第16話.志田真太郎「研究のために必要だから一度排泄物を確認させてくれないか」

【志田真太郎】


 この世界にやってきて、はや三日が過ぎた。

 初めは戸惑うことも多かったが、人間とは適応する生き物だ。エイモアを始め、親切な人たちの協力もあって、何とかこの世界でも暮らしていけそうではある。


 この三日間、僕たちはひたすらに『魔法』という技術を練習していた。

 トーランドとラナールの説明によると、魔法とは魔力を様々な形に変えて放つ技らしい。そして魔力とは精神力を糧に生み出されるエネルギーである、らしい。


 正直言っている意味が分からなかった。『精神力』の定義は何だ? 聞いても、『心の強さ』とか『己の内に眠る力』とか曖昧な答えしか返ってこない。では『心』とは? 『己の内』とはどこにある?


 端的に言うと、僕は魔法を未だにまともに使えていなかった。僕と三華以外の三人はもう自在に魔法を操っている。一樹はそもそも魔法を最初から使えたし、桜と二葉には『精神力』というものがピンときたらしい。あの二人は根性とかそういうあやふやな精神論が好きだからだろうか。三華は、そもそも魔法が強力過ぎてまだ発現できるほどの魔力が足らないらしいから、魔法が使えないのは仕方ない。

 つまり、僕だけ圧倒的に出遅れている。


 そこで、僕なりに魔法というものについて調べて考察してみた。

 まず、魔法のエネルギーの源について。魔法は基本的に現実にないものを具現化する技術、または存在するものの性質を変える技術のことである。その発生過程では必ずエネルギー、つまり熱量が必要になる。

 その熱量は魔力などと呼称されているが、科学者の端くれである僕としては、そんなあやふやな概念を認めるわけにはいかない。それはきっと、僕たちの身体を動かしている筋肉や脳が活動に消費している熱量、物体が運動する時に必要とするものと同様のものだと仮定する。つまり、E=mc2は魔法においても成り立つと仮定する。


 その仮定下で考えると、魔法を使うためのエネルギーの源となるのは、僕たちの身体が使っている糖分など(もしくは、僕たちの身体自身)から作り出されているのではないか、という仮説が成り立つ。


 実際、魔法を使った後は身体が疲労するらしい。それをトーランドたちは「精神力を消耗したから」と表現していたが、これは全くの見当違いだ。精神力などと言った空想上のエネルギーではなく、通常なら身体を動かすためのエネルギーを魔法に消費しているから疲れるのだ。


 ただ、分からないのはここからだ。明らかに変換効率がおかしい。E=mc2は要するに、物体はエネルギーに、エネルギーは物体に理論上変換可能であるという意味であるが、実際にはそんなことは不可能である。なぜなら、変換する過程で必ずロスが生じるからだ。糖分をエネルギーにする場合、細胞内やミトコンドリア内で代謝される過程でグルコースは大量のATPエネルギーのようなものを生み出すが、その過程で生まれてしまった物質はエネルギーにはならない。


 しかし、我が家で居候しているセラが使う雷の魔法を見れば明らかだが、人の身体が産生できるエネルギー量を超えている。セラは身体の割にご飯を大量に食べるが、あの量を全て吸収して普通の代謝でATPに変えたとしても、あれほどの熱量は出せないだろう。


 だが、食べたものをほとんどのロスなくそのままエネルギーに変えることができるのなら、それも可能かもしれない。その仮説が正しいとすると必然、摂取した量に比して排泄物はかなり少なくなるはずだ。

 研究のために必要だから一度排泄物を確認させてくれないかと頼んでみたが、とても怯えられてしまい、終いには桜と二葉、三華にまで怒られてしまったので未だ確認は取れていない。本当に、研究のためだったのだが……。


 だからまだ確証は得られていないが、僕はこの仮説が正しいと思っている。

 だがこの仮説が正しいのならば、『魔法』を扱える者の身体の中には通常の代謝経路とは別に物質をエネルギーに変換する代謝経路があることになるが……そんなものが本当に存在するかは、正直自信がない。状況証拠で言えばあるはずなのだが……そんなものがあったら、本当に世界の常識が変わるだろう。なんせ、パンで爆発が起こせるのだから。


 トントンと、人差し指で側頭部を叩く。


 まあ、そこまでは何とか考察が進んだのだが、そのエネルギーを炎に変える過程についてはとんと想像がつかない。一人一つだけの魔法ということは、僕の専門分野である遺伝に関わってくる話だとは思うのだが…………本当にそんなことが可能だとしたら、それは本当に人間と言えるのか? ゲノムが持つ30億個の塩基対のうち、どこかの部分が魔法発現遺伝子をコードしていたとでもいうのか。


 分からない。ここにはPCRもコンピュータもない。遺伝解析は不可能だ。故に、あるものは現実のものと受け止め、理論を練り上げていくしかない。


「パパ、まだ魔法使えないの?」


 トーランドとしていた魔法戦闘訓練が一息ついたのだろう、タオルで汗を拭きながら二葉が声をかけてきた。後ろではトーランドも岩に座って休憩しているようだ。

 トーランドが言うには、二葉の戦闘センスは凄まじいらしい。『魔纏い』という魔法が二葉に合っていたらしく、元々の空手の腕も相まってとんでもないシナジー効果を生み出しているらしい。さすが桜の遺伝子を引き継いでいるだけはある。


「うーん、理論はある程度組み上がったんだけどね……それを魔法として発現するのにどうすればいいのかが全く分からないんだよ。何かコツはないかい?」

「理論って……イミフ。でも、パパらしいね。コツかぁ……こう、腹の中に力入れてさ、気合い入れて、その力を腕とかに移動させれば……こう!」


 二葉が近くにあった岩に向けて腕を振るうと、岩はあっさりと砕け散る。二葉の拳には傷一つない。筋肉の収縮力が上がっているだけでは説明がつかない。皮膚の強度も上がっているのだろう。


「少しも理解できない」

「もう、パパってばマジで頭良いのか悪いのか分かんないし!」

「はは、少なくとも効率は悪いんだろうな」


 はあ、と二葉が大袈裟に息を吐く。そして拳をパンッと鳴らす。こういう仕草、桜に似てるな。


「ま、大丈夫だし! あたしの家族は、あたしが守るよ」

 へへ、と照れ臭そうに笑って、二葉はトーランドとの練習に戻っていった。


 ――情けないなぁ、僕。娘に僕が守るって言えないなんて。

 自分の掌を見つめる。この掌から炎が出てくるなんて信じられないけれど、出てきてもらわないと困るんだよ。こんな世界だ。僕にだって、戦う力は欲しい。家族を守る力が欲しい。


 顔を上げて、周囲を見渡してみた。

 周囲を岩壁と森に囲まれた、開けた場所だ。街の近くで、魔物も定期的に駆除されているため安全に魔法の練習ができる。


 武器持ちのトーランドと模擬戦をしている二葉の奥には、桜がラナールに魔法を指導してもらっている。桜の魔法は珍しい魔法のようだが、ラナールは回復魔法の使い手とパーティを組んでいたことがあったらしく(ちなみにその話は20分近くにもなった)、ラナールもある程度は教えることができるとのことだった。


 森を隔てた先では、時折雨も降ってないのに落雷が発生している。一樹とセラが訓練を行っているのだ。一樹は魔力の扱いが上手いようで、あらゆる武器を強化することができる。武器の強化というのは単なる硬質化ではなく、一樹の筋力と武器の重さを考慮しても、それ以上の衝撃を発生させることができる。


 何でも、一樹には魔力が光刺激として感知できるらしい。僕の仮定に基づくと魔力もエネルギーであるから光を放つのは理解できるが、その波は通常の網膜では捉えられないようだ。紫外線のようなものだろう。それを捉えることが可能な一樹の眼が、どれだけこの世界にとって特別なものかは理解できる。セラが興味を示すのも当然だ。


 僕だけ、置いていかれている。焦燥感が胸を焦がすが、だからと言って僕に精神論を理解しろというのは無理だ。ずっとこうやって生きてきたのだ、今さら変えようがない。


 そういえば、三華はさっきまで花を摘んで輪っかを作っていたが、何をしているんだ?

 見回すと、かなり森の近くにまで花を摘みに行っている小さな背中が見えた。森には危ないから近付いては駄目って言っといたのに、夢中で気付いていないようだ。


 連れ戻そう。

 歩いて三華の元まで行く。三華は僕を見つけると、「パパ!」と喜んで走ってくる。愛おしい。


「見て見て、見たことない花があるよ!」

「お、本当だね。地球にはない花かもしれないね」


 三華が指差した先には、美しい青い花が身を寄せ合って咲いていた。花びらと一枚の葉がくっついるという珍しい形をしている。三華は昔から花が好きで、図鑑なんかもよく見ていた。その三華が見たことがないというのだから、本当に珍しい花なのだろう。


「だったら三華が名前つけても良いかなぁ」

「いいんじゃないかい? どんな名前がいい?」

「んー……んー……」


 三華は側頭部をトン、トンと人差し指で叩きながら考える。

 あ、これ僕の真似だ。考え事をするときの癖。


「――あ、じゃあパパ花がいい!」

「パパハナ? 不思議な名前だね」

「うん! この花、お仕事してるときのパパみたい! ほら、花びらの部分が頭で、葉っぱが手なの!」


 なるほど、確かに頭を指で叩いているように見えないこともない。

 それにしても、僕の娘が可愛すぎるぞ、全く。

 クシャクシャと髪を撫でた。



 ――グシャ。


 青い花が、獣毛が生えた足に踏まれて潰れた。いきなり森の陰から現れたソイツは、不機嫌そうに僕らを睨みつけていた。

 見た目は大きな猪であるが、巨大な牙が生えており、頭からは薄黒い角が生えている。


――魔物だ……!


 その角は魔物が持つ魔力の生成器官らしい。魔力を持つということはつまり、魔物も相当量のエネルギーを持っているということ。魔力によって成長したであろう身体は地球の獣より格段に発達しており、また、その身体以上の力が発揮できるのだろう。中には魔法を操る魔物もいると聞く。とても危険な存在だ。


「誰かっ!」

 咄嗟に助けを呼ぶが、その声に反応して猪の魔物が突進態勢を整えた。

 慌てて三華を後ろに避難させる。三華に怪我をさせるわけにはいかない。


「三華!パパ!」

「逃げて!」

 二葉と桜が叫ぶ。振り返ると、皆気付いてこちらに走ってきているが、どうも間に合いそうもない。セラがいれば間に合っただろうが、そもそもこちらに気付いていないだろう。


 ――これは、非常にまずい。

 前を向くと、猪の魔物は既に突進を開始したところだった。


 少し身体をズラして誘導しようとしてみたが、魔物は完全に三華に狙いを定めているらしく、僕には釣られない。

 こうなったら、身体を呈してでも守るしかない。


 三華が僕の腕を掴んだ。

「パパァ……」

 三華が泣きそうな顔で僕を見上げている。その頭をクシャクシャと撫でた。


 覚悟を決めろ、志田真太郎。頭脳労働が仕事のお前だが、一人の父親だろう、自分の娘くらいは身体で守ってやれ。打撲じゃ済まされないし、最悪死ぬかもしれないが……娘を守って死ねるんだ、本望に決まってる!


 魔物が物凄い勢いで迫る。地面からは砂埃が出ているほどだ。残り、十五メートルくらいか。

 僕は左手で三華を後ろに庇い、右手を前に突き出した。


 死んで元々だ……! やってやる……!


 血液が沸騰したかのように熱くなった。口の中はカラカラに乾き、瞳孔が閉じる。

 理論はまだ明らかではないが、今だけは構わない。エネルギーが、身体を循環し手に集まってくる感覚の後――


「――ファイア」


 ゴオッという音と共に、巨大な火球が手のひら数センチ前より射出された。勢いよく放たれたそれは、魔物の頭に激突し、数メートル後ろに弾き飛ばした。


 ――出た。魔法が。理論もクソもないが、使えた!


 しかし、安心したのも束の間だった。魔物は何事もなかったかのように起き上がった。目には怒りの色が見える。先ほどよりも勢いを付けて、猪が突進してくる。

 また右手のひらを向ける。


 ――あ、マズい。

 目の前がグラリと揺れる。エネルギーをいきなり大量に使ってしまったせいで、脳の分のエネルギーが無くなってしまったのか? ここまできて、くそ……。


「――パパ!」

 三華の声が、やけに遠くで聞こえる。

 くそ……。僕の家族は、僕が守ろうと思ったのに……。


 怒り狂った猪の魔物が、すぐ目の前まで迫る。


「----調子乗んなし!」

 高速で駆けつけた二葉が、強化された足で魔物を蹴り飛ばした。百キロ以上はあるであろうその魔物は、ノーバウンドで吹き飛び、後ろの大木にぶつかった。ボギ、という鈍い音の後、木がへし折れる。


 ――はは、すごいな、僕の娘は……。


 二秒後、僕の意識は途切れた。

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