思春期 初めての喧嘩

 華蝶は昔は澄んだ声をしていた。よく喋る奴で、甲高い声がクラスに響く程だった。

 それが、ある日突然無口になり筆談で話すようになった。

「華蝶、どうしたんだ?」

 中学の詰襟が似合う様な似合わない様な。そんな華蝶に話し掛けると、黙り込んだ後に嗄れた声で呟いた。

「変声期だ。僕の声が低くて嫌になる」

 華蝶の声は変声期終わりの俺よりは高い気がしたが、かなりのショックを受けた様だった。

「髭も生えてきた。体毛も。もう、女の子みたいにセーラー服が似合わない。僕は男になる」

 陰鬱そうに言う華蝶は、それでも華やかで俺の目には相変わらずの美貌を誇っていた。ただ、確かに昔の様に女の子みたいな可愛らしさでは無く、明らかに華奢だが同性、と言う存在になっていた。

「華蝶は女でも男でも、俺にとっては華蝶だよ」

「風彦だけだよ、そう言うのは」

 いつの間にか華蝶は俺の名前をちゃん付けして呼ばなくなっていた。いつ頃からだろう。中学に入ってそれ程経たない内だったと思う。

「時よ止まれ、お前は美しい。……僕の美しかった時期はもう過ぎた。後は余生だ」

「なんだか小難しい事を言うな、お前」

「ゲーテのファウストの引用だよ。図書室にあった」

「ゲーテ?」

 それを聞いて俺は動揺した。俺が読んでいる小説と言ったら、少年少女向けのライトノベル。他にスポーツもしているし、アニメも観るし、買って貰ったスーパーファミコンで遊ぶのが日課だ。

 文芸部には入ったが、活動内容と言ったら、毎日部費で購入した漫画を読んでだらだらと話しているだけで小説を書いたのは1本2本。それも原稿用紙数枚書いて完結していない。『小説家になる』と言った数年前から、俺はそんなに成長していない。

「そうだ、風彦。小説を書いてみた。読んで」

 そう言って華蝶が渡して来た紙は、ワープロで作られた数枚の小説だった。

「8000字位にしかならなかったよ。難しいね、小説を書くって言うのは」

 そこに描かれていた内容は、これを思い出している今の俺からすると、既存の作家の寄せ集めみたいな自分の文体も確立していない様な代物だったが、その頃の俺には衝撃的だった。

 それは、小説だった。間違いなく完結した短編小説になっていた。

 俺はその頃、小説を完結させた事が無かったから、それだけでも凄いのに、8000字。原稿用紙20枚分。気が遠くなる出来事だった。

「ふん、暇人だな。オカマ野郎! お前詰まんねぇ! 漫画もアニメもゲームもスポーツも、なんにも楽しみが無いんだろ!」

 そう悪態をついたのは、血気の勇というものであろうか。否、勇、等と言うには美化され過ぎた見苦しい嫉妬が入り交じった苛立ちをぶつけただけだった。

 酷く傷付いただろう華蝶が嗚咽を堪えて小説を奪い返して、き、と睨み付けて来た。

「もう、風彦には僕の小説を読ませない」

 それが死ぬまで続いた華蝶の呪いの言葉だった。俺は華蝶のプロットや書きかけの原稿や、手直し前の推敲状態のものを見る事は出来なかった。発表した小説を紙面で見るだけだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る