第5話 親睦会のお誘い

「よしっ! 今日の仕事は終わりっ!」

 キーボードを打つ手を止め、両手を組んで裏返し、上の伸ばして肩まわりの柔軟体操をします。今日の書類入力は、思っていたよりも早く終わりました。ずいぶん順調だと思います。

「じゃあ、今日は上がっても大丈夫だからね。片付けとパソコンのオフは忘れずに」

 上司のお言葉に甘えて、今日は少し早上がりとなりました。

「はーい。わかりましたー」

 パソコンをシャットダウンして筆記用具を引き出しの中にしまい、書類を定位置の棚の中に戻して、今日の仕事はおしまい。タイムカードを打刻してその時間を確認すると、定時の17時の5分前でした。

 事務所を後にして道路に出ると、空はまだ緋色の残り火のような光が残っていてまだまだ明るく、ちょっと寄り道をしたくなる、そんな気配がしていました。

「さて、今日は早めに帰れるし、少しコーヒーでも飲もうかな」

 そう。向かうのは、普段はお昼休憩の時に行くコーヒースタンド『ピーベリー』です。


 夕暮れ時の仕事帰りの時間帯。こんな時だからか、くだんのコーヒースタンドも来店客で賑わっていました。脇に用意されていた席には、お年を召されている紳士お一人様がコーヒーをたしなんでいて、お店前のカウンターでは、イケメン店員さんが3人の女性のお客さんを相手にして、何か色々とおしゃべりをしていました。

 とりあえずその3人の女性客の後ろに回り、カウンターが空いて注文ができるまで待っていました。そこから1分ほどでしょうか。おしゃべりに夢中なイケメン店員さんと女性客のやり取りを聞きながら待っていると、奥の店員さんが私の事を見つけたらしく、イケメン店員さんに声をかけました。声音こわねがちょっと怒っている感じでした。

「おい、お客が待ってるぞ」

「え、ああ。すまんすまん。君たち、ちょっと横にずれてくれる?」

 やっとの事で3人の女性客がどいてくれたので、前に進み出てカウンターで注文をする事に。

「いらっしゃいませ。……今日はひとり?」

「はい。早めに上がれたので。あ、コーヒー深炒りをひとつ」

 あまりお話するネタもないですから、注文だけしてそそくさと脇にずれます。

「深炒りひとつね」

「わかった」

 奥の店員さんに声をかけて注文を通し、イケメン店員さんはまた先程の女性客3人と、楽しそうにおしゃべりの続きを始めました。まあ、おしゃべりに夢中になるのは、悪い事ではないですが……ね。


 奥の店員さんから「深炒り、あがったよ」と声をかけられるまでおしゃべりは続き、イケメン店員さんはちょっと中断してコーヒーの入った紙コップにフタをして、底の方を持って私の方へ差し出してくれました。

「はい、お待たせしました」

「ありがとうございます。いただきます」

 私はなんとなくおしゃべりの邪魔になってるような気がしましたので、コーヒーを受け取ってそのまま帰路につこうとしたのですが、受け取るちょっとした空白の時間に、イケメン店員さんに話しかけられてしまったのです。

「そうそう。今度、お客さん同士の親睦を深めるって事で、常連さんたちと飲もうって話になってね。どう、キミと同僚さんも参加してみない?」

 突然のちょっと早口のお誘いについていけず、一瞬、思考も動作もフリーズしてしまい、どうしようと考え込む感じになってしまいました。

「……うーん……。同僚とちょっと相談してみます」

 なんとはなしに苦手な空気感になってしまいました。ですので返答も、当たり障りない無難な返答になってしまいました。

「来月の第二土曜日にする予定だから、それまでに連絡してね」

 つまり後2週間は猶予がある、という事のようです。これは遠藤さんに相談した方が……あ、あの人なら、真っ先に「参加します♪」って言うでしょう。どうも、逃げ道は残されていない様子です。


 まあ、悪い人ではないようですし、こういうお誘いに乗るのも、時には必要だとは思いますので。ちょっと気は乗らないですけど。

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