5、舞い遊ぶは、末の姫君

 ここ『蟻塚』で有名な美人と言えば、すぐに挙がるのはやはり女王バシリッサである。長い銀の髪を三つ編みにして冠の様に留めており、鮮やかに染まった夕焼け空の様な赤橙せきとう色の瞳を持つ彼女は常に注目の的である。またその娘であるシャーリーも美人だと評判であり、更に成長すれば背筋の凍るような陰のある美女となるだろうと民衆の中で囁かれている。そしてもう一人、シャーリーの冷たい美しさと対照的に、花の様な美貌を持つと有名な姫がいる。






 現世が一日で朝昼晩と明るさが変わったり、晴れや雨など天候が変わったりする一方で、『蟻塚』のある場所は基本的に木漏れ日の様な明かりがずっと国中を照らしている。そのためか彼ら妖精にはあまり一日という概念が無く、好きな時に起きて活動し、好きな時に好きなだけ眠る生活を送っている者が多い。毎日何かしらの執務がある女王や門の管理をしている門番の双子は例外的に規則正しい生活を送っているが、女王の子供たちは比較的自由な生活だ。次期女王であるエイレーネーはバシリッサに倣って規則正しい生活を送る期間を設けているため、毎年バシリッサが定めた時期だけは時刻をきっちり管理している。他の兄弟姉妹はその義務が無いため、エイレーネーと他の兄弟姉妹が起きている状態で出会うのは、実は少し珍しかったりもする。


 ここ最近は女王になる修行の一環として、エイレーネーは従者たちに起こされて顔を洗い、身支度を整えていた。そこへ一人の従者がやってきて、ぼそぼそとエイレーネーに耳打ちをする。エイレーネーはすぐに頷き、部屋の出入り口を見やった。そこには一人の少女が眠そうな目を擦りながら、結ってもらった高い二つ結びのハニーブロンドを揺らして立っている。その背には、模様が美しい揚羽蝶あげはちょうの翅がある。エイレーネーが手招きをすると、それに気が付いた少女は、ぱっと嬉しそうに笑ってエメラルドグリーンの瞳を煌めかせながらそばへやってきた。


「おはようアレクシア、起きれたのか」

「おはようお姉さま…うん、お姉さまといたかったんだもの」

「そうか、起きれて偉いな」


実は規則正しい生活を送らなくてはいけない彼女を真似て、アレクシアと呼ばれた少女も従者に起こしてもらっている。姉エイレーネーを良く慕う、艶やかなハニーブロンドと宝石のようなエメラルドグリーンの瞳をもつ彼女こそが、女王の子供たちの末姫アレクシアであった。月明りの様なホワイトブロンドと血が透けて見える薄い赤の瞳でどこか冷たい印象のエイレーネーと並ぶと、確かに対となり得る華やかな美しさがあった。


 そんなアレクシアは、姉のエイレーネーを非常に慕っている。彼女曰く、 “お姉さまほど身も心も美しい人はそういない” のだそうだ。崇拝のごとく心酔するアレクシアは、それというのも、エイレーネーにある件で助けられたことがあったからだった。






 支度を済ませたエイレーネーはアレクシアを連れてバシリッサに挨拶をし、その後エイレーネーはいつか分からない未来に担うことになる祭祀としての役割についてを学ぶ時間とした。アレクシアはそれらを学ぶ必要はないが、いつか将来『蟻塚』の女王となるエイレーネーをすぐ傍で支えられる存在になりたいという一心で、隣に座って健気にエイレーネーの音読に耳を傾けていた。


 エイレーネーは歌、ソフォクレスは楽器での演奏、カリトンは絵画と何らかの芸術に秀でている女王の子どもたちだが、アレクシアも例外ではない。彼女が得意なのは舞台芸術、つまり舞踊であった。エイレーネーの歌やソフォクレスの演奏に合わせて踊る姿は、見る者すべてに可憐だと言わしめるほどの美しさだという。時には舞姫と呼ばれる彼女は、裏では毎日稽古を続けている努力家だった。この勉強の時間でも、エイレーネーが少し疲れた素振りを見せると、気分転換でもどうかと言って稽古代わりに舞を披露した。


 しばらく勉強や稽古を続けていた二人は、使用人の一人が盆に飲み物と軽いお菓子を持ってきた事でようやく顔を上げた。いつの間にかなりの時間が過ぎていたようで、使用人は苦笑いしながら、これを食べたらお散歩はいかがですかと二人に提案した。それを聞いて、早速お菓子を摘まみながら二人はこの後にどこへ出かけようかと考え始めた。その様子を見ていた使用人は、姫君たちの外出の支度を他の者にも言付けて、自分自身もお供をする支度をしようとその場を離れた。


 小さな籠に盛られていたお菓子はすべて無くなり、飲み物を飲んで落ち着いたエイレーネーとアレクシアはすぐに支度を始めた。アレクシアは着替えを手伝う使用人にエイレーネーとよく似た、尚且なおかつ動きやすい服をと頼む。瞬く間に用意された衣装を急いで着替え始める彼女に、エイレーネーは小さく笑った。


「そんなに急がなくても、時間ならたくさんある」

「でも、ちょっとでも長くお姉さまと遊びたいわ!」

「ふふっ、そうか。じゃあ早く出ないとだな」


あっという間に着替え終えたアレクシアは、椅子に座って大人しくエイレーネーの支度を眺めている。エイレーネーの衣装は基本的に一人で着替えるのは難しい複雑なものであるため、使用人に手伝ってもらうなどしてどうしても時間がかかるのだ。彼女自身はもっと簡素な服でもいいと思っているが、この国の第一王女ならば、とバシリッサや周りの者達に言われるため素直に従っている。アレクシアはむしろエイレーネーのような衣装が欲しいと常々思っているのだが、まだそれには幼いということで造りの簡単かつ体の動きを制限しないような軽やかな服がほとんどである。それでも、姉とお揃いがいいと駄々をこねて、針子に特注しているので見た目は華やかなものばかりだが。


「さあ、行こうか」


支度を終えたエイレーネーが声を掛けると、アレクシアは跳ねるように椅子を降りて傍へとやってくる。そして隣に立ったのを見届けたエイレーネーは、アレクシアと手を繋いで部屋を後にした。二人が目指すのは、城が入っている巨木で最も太い枝の上である。そこは、二人にとって特別な思い出のある場所なのだ。


階段をいくつも上がり、途中からただの木の幹となった場所をこっそり飛んで、ようやく目的の枝の上まで辿り着いた。巨木の最も太い枝ということでかなり太いため、上に立ってもそれなりの安定感がある。二人は早速腰を下ろし、そこから見える『蟻塚』を眺めていた。


「こうしていると、いつもあの日を思い出すわ」

「ああ…あれは肝が冷えた、母上にあんなに叱られたのは後にも先にもあの時くらいだ」

「お姉さまには申し訳ない事をしたわ…」


ぽつぽつと二人が話す『あの日』とは、一体なにがあったのか。それは、何年も前にさかのぼる。二人は久しぶりに詳しく思い出してみようと、『あの日』に思いを馳せた。






 その日、エイレーネーは次期女王としての見習いを初めて行うとして、この国の女王だけが持つことのできる特別な杖を受け取った日だった。その杖は非常に長くできており、大人が持っても身長の二倍はあろうかという程だった。当然エイレーネーにとってはもっと大きく、地面に立てて支えるのがやっとという程の代物だった。それでも、彼女は自分だけの美しい杖がもらえた事にいたく歓喜し、大事に使おうと心の中で固く誓った。杖を受け取った後は、その杖を普段どのようにその場から消しておくかという手段を、母バシリッサから教えてもらっただけだった。


 その杖をエイレーネーが受け取るところを、アレクシアは双子の兄たちと共に見ていた。姉が受け取った美しい杖を、アレクシアは羨ましく感じながら、もっと近くでそれを見たいと願った。そして、それを良く見せてくれないかと例の枝の上で姉に懇願したのだ。しかし、大事なものだからここでは出すことが出来ないとエイレーネーに言われたアレクシアは、幼子らしく盛大に駄々をこねた。いつもならこうすれば姉が折れてくれることを、彼女は知っていたのだ。しかし、エイレーネーもこればかりはと折れないため、今度は本気で駄々をこね始めてしまった。それは次第に激化していき、初めてこのように機嫌を損ねたアレクシアにエイレーネーもただ驚くばかりだった。


 騒ぎ続けて疲れてきたアレクシアは、ここでうっかり足を滑らせてしまった。翅が生えているとはいえども、まだ幼いアレクシアは飛び方が覚束おぼつかない時期であり、満足に飛ぶことも落下の速度を和らげることも出来なかった。そもそも緊急事態で、瞬時に判断ができないほど、彼女はまだ幼かった。それを見たエイレーネーは、咄嗟にその日にもらったばかりの杖を出現させ、予習のつもりで読んでいた本にあった風の魔法の詠唱を叫んだ。途端に地面から上空へ強い風が吹き、とてつもない速度で落下していくアレクシアの小さな身体を上へと押し返した。結果、落下速度は随分とゆっくりになり、アレクシアはかすり傷一つ無く地面に降り立つことが出来たのだった。


 それを偶然目撃していた従者たちは阿鼻叫喚で、アレクシアの無事を確認する者、バシリッサを呼びに行く者、大きい杖を何とかして持っているエイレーネーに声を掛ける者など、瞬時にその場は騒がしくなった。駆けつけたバシリッサは、地面にへたり込んでいるアレクシアを抱き上げながら怪我が無いかを確認し、急いで降りてきたエイレーネーを妹を危険に曝した原因だと勘違いして突然叱り飛ばすという混乱ぶりを見せた。すぐにアレクシア本人からと周囲にいた従者たちに訂正を受けて無事誤解は解けたものの、突然の𠮟責に驚いたエイレーネーが声は出さずとも大泣きをはじめ、益々ますますその場は混乱の渦中となってしまった。


 その後はバシリッサが、何とかエイレーネーを勘違いの謝罪と妹を助けた事への称賛を繰り返してなだめ、アレクシアに杖がどれほど重要なものかを優しく説いて、なんとか落下事件は終わりとなった。






 一連の出来事を思い出した二人は、今もまだまだだが、あの頃はもっと幼かったと言って笑った。アレクシアの癇癪がすごかったと言うエイレーネーに、アレクシアは恥ずかしそうに眉を下げた。


「あの時、母上が真っ先に私を叱るかと思ったのに、お姉さまに向かってしまって驚いたわ」

「母上も気が動転していたのだろう、私と一緒にいたアレクシアが落ちたと聞けば、何か危険なことを私がそそのかしたのではないかと考えたんじゃないか」

「そうなのかしら…でも、今なら舞を続けて身体能力は上がったから落ちることはないはずよ」

「ふふ、ぜひそうしてくれ」


それでも、後から考えれば面白可笑しく、幼い子供らしい事件だったと二人は笑う。その頃から、アレクシアの姉への心酔が始まったのだ。誰よりも姉が一番という様子に、周囲は微笑ましくそれを見守っていた。そして、今尚姉至上主義は続いている。

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