4、呼ばれるは、双子の王子
現世では雨模様が続いているある日、バシリッサは何やら出かける支度をはじめていた。準礼装をして、遠出の際に使う馬を呼び、護衛の一人としてクレイスを指名して、と彼女はやけに慌ただしい。それにいち早く気付いたのは女王の長女のエイレーネーで、バシリッサが支度をしている場所へひょっこりと顔を出した。
「母上、どちらへ行かれるのです」
「ああエイレーネー、母は炎の丘へ向かうのですよ。上の王子がキリの良い誕生年になったそうで、ぜひ祝福をと頼まれましてね」
それを聞いて、エイレーネーはああ、と納得した。炎の丘にはドラゴンの女王がいるが、その息子の一人は彼女とほとんど同い年なのだ。向こうの方が少し年上で、彼はもうそんな年だったか、と感慨深く久しく会っていない王子に思いを馳せた。その間にもせっせと支度を済ませていたバシリッサは、エイレーネーとその隣にいた留守番組のピュライに下の子たちをよろしく、と言って出発していった。
「…ふむ、どうしようかな」
「ならば、ソフォクレス様を誘って歌の練習はいかがですか」
「確かに。あの子はどこへ行ったかな…」
今日やることがすぐに決まったエイレーネーは、ソフォクレスと呼ばれた者を探しに城を歩くことにした。巨木の中に作られた城はそれ程広くはないが、子供にとってみればかなり大きな建物である。きょろきょろとあたりを見回し、時には従者たちに居場所をたずねては行き先を変更するなど、うろうろと彷徨っていた。
暫く歩き続けると、向かい側から少し灰色がかった金髪の少年が歩いて来た。エイレーネーに気が付くとすぐに駆け寄ってくる。少し下がった目元と深緑色の瞳が印象的なその少年は、姉さま、と呼んできた。
「カリトン」
「姉様、どうしたのです?」
「ソフォクレスを探しているのだが、見つからなくて…」
「ああ、アイツなら多分裏庭で日向ぼっこしてますよ。一緒に行きましょう」
そう言ったカリトンと呼ばれた少年は、エイレーネーの隣に立って一緒に彼女が来た道を戻るように歩き始める。カリトンはエイレーネーの弟であり、ソフォクレスという少年の双子の弟でもある。彼の背にはまるで蝙蝠のような髪と同じ色の皮膜翼が生えており、忙しなく開いたり閉じたりしている。その手には大きなキャンバスと何かの道具箱があり、重そうにしているのを見たエイレーネーは道具の束からキャンバスを抜き取った。
「あっありがとう姉様」
「うん。今日も描くのか」
「そうなんです!ちょうどソフォクレスを描こうと思ってて」
「そうか。お前の絵はすばらしい、楽しみだ」
エイレーネーの真っ直ぐな褒め言葉に、カリトンはうっすらとはにかんだ。芸術の何かしらが得意である者ほど優秀とされる妖精たちの中で、カリトンは絵画の方面に飛びぬけて秀でている。その中でも彼が好んで使う画材はパステルで、明るく華やかな画風が特徴だ。城内にいくつも飾ってある絵画は大半が彼が幼少期から描いてきたもので、題材は兄弟姉妹の事が多いようだ。今回の題材も双子の兄のソフォクレスという事で、エイレーネーとカリトンの現状の目的は合致した。
少し歩き、やがて二人は城の中庭に辿り着いた。巨大樹の城は入り口がある側を正面として、裏側に少し幹がへこんだ部分を利用した中庭が作られている。城を造った者によって美しいランタンが下げられたこの場は、城に住む者たちの憩いの場となっている。そして、そこに誰よりも入り浸っているのが、エイレーネーの弟でありカリトンの双子の兄であるソフォクレスだった。少しあたりを見回せば、植えられた小さな木の根元で横笛を奏でるアッシュブロンドの美しい少年がいた。彼こそがソフォクレスであり、カリトンと同系統の明るい緑の瞳が双子を思わせる。またその背には透ける蜻蛉によく似た翅がある。
「ソフォクレス~」
「ん…ああ、カリトン、姉上もいらっしゃったのですね」
「また横笛の練習か、流石だなソフォクレス」
すぐに近くへ駆け寄るカリトンとその後ろを落ち着いた様子で歩いてくるエイレーネーに、ソフォクレスは表情を変えずに迎え入れた。くるくると表情がよく変わるカリトンと真顔が基本のソフォクレスは、よく城の者や国民たちに正反対の双子だと言って見守られている。見た目はそっくりなので、態度などで見分けがつきやすく助かると言う者がほとんどである。しかしソフォクレスもエイレーネーによく似て紳士的な対応ができる少年のため、決して好感度は低くない。
「よかったらソフォクレスを描かせてほしいんだ、どう?」
「練習中で良ければな。姉上はどうされたのです?」
「お前さえよければ、歌の練習に付き合ってほしいと思って」
「なるほど、ぜひ」
カリトンは早速絵を描くためにキャンバスをイーゼルに立てかけ、たくさんの色が揃えられたパステルの箱とそのほか必要な道具が一通り揃えられた袋を開いた。パステルは描くと粉が出るため、傍には手を拭くための専用の布もきちんと用意している。傍にいた使用人に声を掛けて椅子を持って来てもらい、椅子に腰かけたカリトンは早速構図を考えるべく一つのパステルを手に取った。その様子を暫く眺めていたエイレーネーとソフォクレスは、急に真剣な顔つきで二人を見始めたカリトンに我に返り、すぐにそれぞれの練習の体制を整えた。
「さて…何を練習しましょうか」
「そうだな、きっと祭が近くに開催されるだろうし、やはり『創世の詩』だろうか」
「ああ、確かに満月が近いですからね、母上が企画しそうだ」
ソフォクレスが横笛を構えてエイレーネーに目配せをすると、彼女はそれに応えて頷いた。すう、と深く息を吸い込んだ彼が唇を吹き口に当てて息を吹きだせば、なめらかな音が辺りに響き始める。それに合わせ、エイレーネーが静かに丁寧に歌声を乗せる。
彼女らが選んだ『創世の詩』は、世界中で様々な時に歌われるもので、昔から大事に伝えられてきた歌だ。この世界を創世した神々を称える歌は、時に重要な場面での余興にしばしば選ばれる。彼女らがよくこの歌を練習しているのも、各々の持つ演奏の技術が高いことが買われて頼まれることがあるからだった。
のびやかに流れる心地よい音楽に、それが聞こえる範囲にいる者たちは少しの間手を止めて聞き入った。城に残っていたピュライも中庭が見えるバルコニーの手摺に寄りかかり、三人の様子を眺めていた。彼女は三人が幼い頃から傍で見守って来た一人で、更に幼い頃の拙く可愛らしい様子からよくここまで成長したものだ、と感慨深く思いながらいた。歌や楽器の演奏よりも主張がない分目立たないカリトンの絵を描く様子も、ピュライはきちんと見ていた。その色の乗せ方が少しずつ変わってきていることも良く知っていた。
やがて何曲かの演奏が終わり、エイレーネーとソフォクレスがふっと息を吐いたところで、ピュライは惜しみなく拍手を贈った。それに反応した三人がバルコニーを見上げてくる様子は、芸術の腕が上がったといえども彼らがまだこどもである事を知らしめた。
「姫様、王子様方、よければ少し休憩なされては?クッキーが焼き上がったそうで」
中庭でお茶にしようと提案すれば、彼らは素直に頷いた。普段は王女や王子と言う立場を良く理解しているだけにすました行動が多い彼らだが、こういったときはちゃんとこどもらしい反応を返してくれる。彼らが真面目であるため、実はそれを知っている者は数少ない。口の端を少し上げたピュライは、小さなお茶会を開くための用意をするために中庭へと急いで向かっていった。
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