3、見回るは、次期女王

 バシリッサは現在頭を抱えていた。と言うのも、今日はやけに行事などの支度が多く、最近行くことが出来ていなかった『蟻塚』の視察へ向かうことが難しくなったからだ。ここの所満月や芸術の祭典、人間の子供たちへ記念の祝福などが押し寄せてきており、特に忙しくしていたところ、視察の時期がやって来てしまったのだ。どうしたものかと悩みながら部下たちの意見書などをまとめていると、そこへ門番の二人がやって来た。軽く挨拶をした二人は、女王の机に山積みとなっている書類たちを見て眉をひそめた。


「バシリッサ、何か手伝おうか」

「そう、ですね…」


女王が自ら処理する仕事は、基本的に女王しか分からなかったり手に負えなかったりする内容の物ばかりである。そのため、いつも隣にいると言っても過言ではない門番の二人だったとしてもその処理をするのは難しいのが現実である。より一層困った様に額に手を当てた彼女のもとへ、もう一人誰かがやって来た。


「母上、どうかいたしましたか」

「エイレーネー様」

「まあ、エイレーネー…」


白にも似たホワイトブロンドの長い髪を揺らし、背中に生えた鳥の翼をそわそわと動かしながらやって来たのは、バシリッサの持つ子供たちのうち長女のエイレーネーだった。赤い瞳も相まって、涼しげな美人であるバシリッサとよく似た娘だ。人間の子供で丁度十二歳くらいに見える。ピュライとクレイスが恭しく頭を下げる中、バシリッサが良いことを思いついたとばかりに目を輝かせた。首を傾げるエイレーネーを、彼女は傍に呼び寄せる。


「エイレーネー、この母の頼みを聞いてはくれませんか?」

「ええもちろんです」


バシリッサは、エイレーネーに視察を頼むことにした。もちろん一人では心配なので、と護衛代わりにピュライとクレイスも一緒に行ってきて欲しいと頼み、すぐに仕事に向かってしまった。その動きに余程忙しいのだろうと感じたエイレーネーは、出かける支度をしようと門番の二人を呼んで、一度自分の部屋へと戻った。


 すぐに使用人を呼んで外行きの服装に着替えたいと伝えれば、仕事の早い使用人たちはすぐに候補を三つほど持ってくる。ソファに座らせられたピュライとクレイスは、その中でも自分らの服装に近いものを着てみてはどうだと勧めた。それに二つ返事で了承したエイレーネーは、指を一つ鳴らしてそれに着替える。門番の二人ほど露出が高くはないが、黒にほど近い緑のドレスはスリットが入っている。気に入りのアクセサリーを選んで付け、大きな鏡で確認した後、すぐに出ようと三人はその場を後にした。






 『蟻塚』はそれ程広い国ではないため、一回りするのにそれほど時間はかからない。まるで散歩の様に歩いていけば、国民たちが次々に王女様、と声を掛けにくる。それに律儀に答えるエイレーネーは、表情こそ豊かでないものの、その丁寧な対応から民に厚い信頼を寄せられている。そこまでしなくても、とクレイスが言ったことがあったが、未来の女王としてこれくらいは普通だと言ってのけた彼女は妖精たちをまとめる素質がありそうだ。また彼女の少し薄めな赤い瞳はこの国で最高位の者しか身に着けることが出来ないサンストーンという宝石によく似ており、その見た目から太陽の石とされる宝石に愛された子、『太陽の娘』と呼ばれ、親しまれている。


「あら王女様!今日はお散歩に?」

「こんにちは、母の代わりに視察なんだ」

「そうでしたか、流石は『太陽の娘』だ、ほんにお優しいわ。ささ、この木苺のジャムをお持ちくださいな。とても美味しくできたのですよ」

「これはこれは…ありがとう、大事に食べるよ」


こういった具合に、何かを貰うというのもよくあることで、特に『蟻塚』の特産である木苺は皆が仕上がりを競争するように彼女に手渡す。おかげで、帰り際になると手荷物がいっぱい、なんていう事はよくある事だった。それを一歩下がったところから見ているピュライとクレイスも、そんなエイレーネーをどこか誇らしげに見守っていた。既に両手いっぱいにお土産を貰ったエイレーネーに、代わりに持とうと言って譲り受ける。木苺のジャムがたっぷり詰められた瓶、フレッシュな木苺、珍しくミントの束、等々。いい香りに包まれ、荷物持ちを買って出たクレイスはふっと顔を緩めた。


 視察の順路も折り返しとなった頃、湖の一角に妖精の子供たちが集まっているのが見えた。向こう側もエイレーネーたち三人に気が付いて、わっと駆け寄ってくる。子どもたちからも、その長いホワイトブロンドが綺麗だと言って特に子供たちのお気に入りにされているエイレーネーは、それに対して悪い気はしなかった。


「エイレーネー王女様!」

「こんにちは、皆」

「こんにちは!ねえ王女様、お歌うたって!」


時折、エイレーネーはこうして歌をせがまれる事がある。それと言うのも、彼女はこの国一番と言って良いほどの歌の名手であり、その美しさもまた民から愛される要素の一つだった。妖精界では芸術に造詣が深いことが人柄ならぬ妖精柄の他に特に重要視されており、国一番に相応しいほどの歌唱力を持つと来ればよく慕われるのも道理であった。休憩がてら歌を歌っていく、と言う言葉に子供たちは喜んでその場に座り、ピュライとクレイスも子供たちに混じって座った。遠くからその様子を見ていた他の妖精たちも集まり、さながら小さな歌唱発表会だ。


 すう、と息を吸って、滑るように音が紡がれる。エイレーネーが子供たちに歌をせがまれる時に選ぶ歌は、ほとんどがこの世界を創造した神々の事についてまとめられた歌である。元は詩であったそれに音を乗せたのは、何でも遥か昔の人間たちらしいというのは妖精たちの間でも有名である。彼らは芸術をこよなく愛するため、その制作の過程で何があったかなどはそれ程重要視しない。しかし、エイレーネー自身はその過程も重要視するタイプであった。特にこの歌が事実であるらしいという噂を聞いた時、彼女は大層高揚した程である。


―無から生まれし 闇夜やみよの女神―

―世をつくるため 手をかざす―


―全てを照すは 太陽の男神―

―夜空を彩る 月の女神―

―生死を分たる 命の女神―

―清さを保つは 水の男神―

―黙してたたずむ 植物の男神―

―駆け巡り舞う 動物の女神―

―世界を巡りし 風の男神―

―還りを見守る 海の女神―

―夜をも照せり 炎の男神―

―いのちを育む 大地の女神―

時刻ときを告げる 天の男神―


―始めに現れたる 十二の神々―

―此れにて創世を 完了とした―


歌い終わった時、一瞬空気が静まり返るのが、エイレーネーは好きだった。その後割れんばかりの拍手をもらうのも好きだった。彼女よりもはるかに幼い子供たちがすごいすごいとはしゃぎ回り、歌声に吸い寄せられてきた他の妖精たちが流石は王女様だと褒め称える。それが何となく擽ったく感じたエイレーネーは、そろそろ戻らないとだから、と適当に言い訳をしてピュライとクレイスを連れてその場を後にした。






 城に帰ってくると、だいぶ仕事を終えたらしいバシリッサが三人を出迎えた。エイレーネーを優しく抱き締め、護衛を務めた二人に礼を言っておやつにしようと誘った。と言うのも、クレイスがここまで持ってきた民たちからの贈り物があまりにたくさんで、早速食べようと考えたからだった。一度贈り物をすべて他の従者たちに預け、四人はくつろぐことが出来るソファへそれぞれ身を落ち着けた。すぐに贈り物の食べ物たちが運ばれ、花は綺麗に纏めて花瓶に生けられた。


「今年も随分と木苺が取れたようね」

「ええ、ジャムを下さった方がどうぞよろしくとおっしゃっていました」

「そう!今度は私が視察に行かないとね、お礼を言いたいわ」


楽しそうに話す母と娘の様子に、どうしてかピュライとクレイスはどこか寂しげな表情を浮かべ、しかし微笑ましいと笑って見守っていた。

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