第3章 黄昏が見た夢

1、そこは、妖精の国

 人類は誰も知らない、存在すらも確かでない場所はいくつも存在する。神話で登場する場所、伝説の王が訪れた場所、はたまた死んだ後に連れてこられる常世の国。そう言った場所を知り得るのは死者だが、死者が話すことなど出来るはずもなく、そう言った場所は謎に包まれているばかりである。もしくは無い、と断定されているものもあるだろう。


 そのような場所のなかで、よりおとぎ話的であり迷い込んだ者がいるとされる場所がある。常若の国とも呼ばれるそこは、入り口が一か所ではない。定まっていないがためにどこからでも入れるとも解釈ができ、また常に入り口が開いているわけではない。しかし入り口となる場所には条件がいるようで、実際に行ったことがあるという者たちの証言をまとめると、少なくとも入り口は三つあるようだ。二つは森の中にあり、蟻塚、炎の丘にそこは存在するという。もう一つは遥か北に存在する小さな島だったとされ、ここから迷い込んだという男はその島の生態を調べるために上陸していたらしいが、確かに五か月ほど通信が途切れている期間があった。


 ということでまことしやかにささやかれている人類たちとは違う次元の世界に住んでいるとされるその国は、普段『妖精の国』と呼ばれている。






 満月の夜、とある森の一角で美しい銀の光が漏れていた。その光を頼りにたどっていくと、そこには土が盛り上がって出来た蟻塚があった。光はその下に開かれた部分から漏れ出ている。それにつられたように、様々な翼を持った小さな体の者やどう見ても普通の動物とは違う異形の生き物たちが集まり、中へ入り込んでいく。我々もこれに乗じて、入ってみるとしよう。


 入るとまずは、岩でできた広い空間が入って来た者たちを迎える。壁面には自ら発光する鉱石が連なり、道を照らしている。どうやら外へ漏れ出ていた光の正体はこれの様である。奥へ進むのとは反対に出ていく者たちもおり、時々知り合いなのか立ち話をしている者もいる。そうした中を進んでいくと、光が徐々に少なくなってきた。同時に道も細くなり、崖が一方にあるため油断をすれば転落しかねない。体の大きい者たちが注意深く進んでいくのを後目に、飛べるものや体が小さい者たちはその脇をすいすいとすり抜けていく。


 更に進むと、今度は鉱石ではなく太陽のような暖かな光が辺りを包み込んでいる。一部からは草が生え、地面が石ばかりの無機質なものから柔らかな土に変わっていく、丁度境目辺りに来たようだ。ここからはもう崖からの落下を恐れる必要もなく、皆楽し気に歩いていく。心なしか空気も温度が上がっているようで、初めの洞窟のような暗い雰囲気はいつの間にか無くなっていた。


 そしていつの間にか周囲に背の高い木が現れ始めた頃、奥に見えるものがある。それは巨木に囲まれた石造りの大きな門。あらゆる彫刻が施されており、色は無いものの豪奢に感じられる。そうしてここへたどり着いた者たちに、ある者が声を掛けている。異国の踊り子のような真っ赤な衣装を纏った者が、訪ねてきた者たちをひとりひとり見定めては入るように促し、そうして彼女に認められた者はこぞって門を開けることなくすり抜けていく。もう一人、形はそっくりなものの対照的に青い衣装を纏ったものはすり抜けていく者たちを見守っている。そうして、その場を潜り抜けられれば、目前に広がるのは常若の国。妖精たちの国だ。






 門の前にいた二人は、妖精たちから門番として親しまれている存在だ。赤い衣装を着た者はピュライ、青い衣装を着た者はクレイスといった。二人は常にこの周辺にいて、こうした常若の国の門が開かれるときに別の者が紛れ込んでいないかを監視しているまさに門番の役割を果たしている。この門を開く、または閉じることができるのは、この国を治める女王以外にはこの二人のみだ。


 今回の開門が終わり、二人も門をすり抜けて妖精の国側へ入ると、ピュライが門を閉じた。とはいっても、門自体が開いているわけではないのでわかりづらいのだが、正確に言えばすり抜けられる空間を閉じたといった方が正しいのだろう。そうした後に二人が向かうのは、この国を見守るようにそびえ立つ大樹。この大樹の中へ続くうろは二人の屈強なセントールが見張っており、やってきた二人に気が付くと恭しく頭を下げて道を開けた。対照的な二人は遠慮なくその間を通り、上に続く階段をのぼっていく。何人も横に並べるような広い広い階段で、時折すれ違う妖精と互いに会釈をしながらたどり着いたのは、これまた広く造られた広間。他に比べて一等豪華な造りになっているその広間の中央でくつろぐ人物に、ピュライが声を掛けた。


「女王、門を閉じた」

「ああ、ピュライにクレイス。今回もご苦労様」


見事な銀髪を揺らして振り返ったその人物こそが、この国の女王、バシリッサだ。周囲には数人の御付きが控え、やんごとない身分であることは一目でわかる。その相手に敬語を取った言葉遣いをするピュライに対して苦言を呈する者はしかしながらいない。


「そうです、二人とも今はお腹が空いているかしら」

「まあ、それなりに」

「わたしも…多少…」

「あらよかった。さっき娘たちが見事なベリーを届けてくれてね、よかったらお茶会でもいかがかしら」

「ええ、喜んで」

「そう言ってくれると思ったわ。じゃあ準備をお願いね」


そう女王に声を掛けられた一人の従者が恭しく頭を垂れて、その場を離れていく。更に他の従者が気を利かせて持ってきたソファに、門番の二人は腰を下ろした。目の前に、あっという間にお茶会の準備が整えられていく。木でできた机に、今日は少し気温が高いからか美しいガラスのコップにアイスティーが注がれる。ミルクや蜂蜜の入った陶器製の壺、香ばしく仕上げられた焼き菓子、そして収穫されてからそれほど時間の経っていない艶やかなベリーが盛られた皿が置かれた。女王が一粒取って口に入れたのを見て、二人もそれに倣い一粒をつまみ上げる。それはブラックベリーのような木の実で、少し強めの酸味があり甘めに作られたアイスティーに丁度良い。


「今日は門の様子は?」

「特に変わったこともない、通る者たちもいつも通りだった」

「そう。何よりだわ」


そう言いながら、女王のすらりと美しい指が今度は焼き菓子をつまみ上げる。ピュライはアイスティーに口をつけた。クレイスは何かが気になったのか、二つ目の木の実をまじまじと観察している。


「これからまたしばらくは貴方たちも暇ね」

「そうなるな」

「何か予定でもあるのかしら」

「いや…何も」

「クレイスは?」

「へ、あ、アタシも何も…」


そう、と言った女王はどこか面白そうな表情を見せている。それが何か思案を巡らせている時の表情で、何かを企画しようとしているのが分かったピュライは彼女に問いかけた。


「バシリッサは何か?」

「いいえ、また舞踏会でも開こうかしら」


舞踏会。この国ではこの女王の気まぐれによって結構な頻度で開かれている国全体の催し物だ。とはいえそもそも気まぐれな妖精たちの国なので、内容は特にこれとは決まっているものではない。歌い、踊り、語り明かすというような無礼講の祭りのようなものだ。時には別の妖精の国と合同で開くこともあり、交流の場と言っても過言ではない。楽しそうな女王の様子に、おそらく舞踏会は開かれるのだろうと予想しながら、ピュライとクレイスは顔を合わせてかすかに微笑んだ。妖精の国に住むものとして、やはり舞踏会は魅力的なものであるようだった。

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