拾壱、宴

 彼岸花邸では、朝から紅緋が大広間の掃除を普段以上にきっちりとこなし、濃藍が様々なご馳走の下ごしらえを次々に終わらせていた。ここの主である天狐も玄関などに飾っている花を新しいものに取り換え、物置から大量の行燈を持ち出して来たりしている。その量がすさまじく、途中から紅緋が手伝いに来て片っ端から埃を払ったが、中々終わりそうにない。遂には音をあげた天狐が濃藍も呼びに行った。紅緋はそれを苦笑しながら手は止めずに見送った。


 この事態は何事か。それはというと、今日は年に一度の特別な日なのだ。






 昼過ぎ、ようやく支度が済んだらしい天狐は着物を着替えていた。普段のとは違う、重厚感のある衣装は着るだけでも一苦労しそうな代物である。しかし、慣れているのか難なく終えた彼女は、今度は広間にやって来て、不備がないかを再度確認する。行燈はまだ昼であるため灯りは灯っていないが、配置した場所で行儀よく鎮座している。それに満足し、天狐は表へと出た。


 少し後、空を歩いてきたのは三つ目の大きな牛だった。天狐の前に停まると大牛はその場に座り、後ろに引かれていた牛車に座っていた鬼の御者が下りる。天狐に一礼して、開いた窓から声を掛けると、先に蘇芳が下りてきた。続いて杏も降りてきて、中に手を差し伸べると、その小さな手にしなやかなほっそりとした手が重ねられた。ゆったりとした動作で降りてきたのは鬼神で、こちらもいつもの衣装とは違い、まるで十二単のような華やかさだ。


「ようこそ、ここまでお疲れさまでした、薊」

「ああ、久しいな菖蒲。まったく、着物が重くてかなわぬ」

「ふふ、そうでしょうとも、中へお入りなさいな。杏、いつもと同じ部屋ですから行きなさい。その隣に紅緋と濃藍も待っておりますよ」


鬼神と眷属二人が中へ入るのを見送ると、すぐに今度は二羽の大烏が到着した。その後ろから鴉天狗が大仰に降り立つ。大烏の背から支子と縹が下りてくると、大烏はあっという間に飛び去って行った。鴉天狗はあまり見た目に大きな変化はないが、着物が良い素材の物に変わっている様だ。


「やあ菖蒲!ただいまこの鴉が到着したぞ」

「はいお疲れ様です葵。中にお入りなさい、お茶を用意してますよ。お二人も、隣の部屋にどうぞ」


あっという間に中へ入っていくのを見ていると、更にもう一組が到着した。銀、青、そして黒の龍神が元の姿で一堂に会すと、迫力があり中々に見ものである。黒い龍の背に乗った竜胆と柳が飛び降りてすぐに、人型に戻った龍神が天狐のもとへ歩いてくる。彼女もやはり普段に比べたら華美な牡丹の髪飾りをして、いつも羽織っている大きな浅葱の羽織りの下は、黒い着物と濃紅の袴にに上品な透けた着物を重ねている。二人の眷属と銀龍青龍がそれに習う。


「菖蒲様、ただいま参った」

「ええ、ここまでお疲れ様です。さあ中に入りましょう、他の皆は到着していますよ」






 この領域に住む六人の神が揃い、年に一度の会議がはじまった。とはいっても緊張感がある大層なものではなく、それぞれの管轄下にある領域の現状報告がほとんどであるため、皆気楽に座している。


 眷属の八人はこの次の部屋に控えており、何やら慌ただしい。二手に分かれて、濃藍、柳、蘇芳、支子の四人は厨房で料理の続きや他の屋敷から持ってきた品を綺麗に並べたりと忙しく動いていた。一方残りの紅緋、竜胆、杏、そして縹は、押し入れから様々な箱を引っ張り出して、その中身を取り出していく。漆塗りの美しい意匠が施された杯が人数分一式、普段使われるものとは違い、豪華で緻密な細工が施された大きな行燈、明かりのための道具としてもう一種類、篝火のための籠や支え、等々。次から次へと出されて組み立てられ、部屋の隅からぎっしりと各道具が埋め尽くしていった。そのどれもが見るからに高級品であり、現代には見られない過去の品ばかりである。


 手慣れた様子で組んだり整えたりと忙しそうな彼らのもとへ、ひと段落したのか厨房組の四人が盆に菓子を乗せて戻ってきた。一度作業を止め、手を清めて行儀よく輪になった。隣の広間での会議はまだ続いているようで、神々の声が聞こえるのを聞きながら大福を頬張る。煩くならないようにと声を潜めて、しかしいかにも楽しそうにしゃべりながら休憩のひと時を過ごした。さざめきの様な笑い声は無邪気な子供たちそのものだ。






「さて、これにてお話の方は終了といたしましょう。例の如く、花見の支度を子等が整えてくれているでしょうから、暫しお待ちを」


 日が傾き始めた頃、天狐はそう言ってその場を立った。隣を覗くと、すでに支度が終わっていたようで道具を組み立てていた四人は一様に労いの言葉を天狐にかける。それに同じ言葉を返し、両側の襖を全て取り払うように指示した。すぐに実行され、襖が全て取り払われるとあっという間に三つの広間が合わさった大広間へと早変わりした。同時に外に続いている障子も開け放たれ、彼岸花邸の庭が一望できるようになる。庭にはこの屋敷の呼ばれ方の所以ゆえんである赤い彼岸花が一面に咲き、なんとも不思議な光景である。しかし今は更に、彼岸花たちの中央には滅多に見られないほどの桜の巨木が立っていた。枝にはまだつぼみも見られず、冬に見られる裸の状態である。天狐が大きく柏手を一つ打った。すると先ほどまで部屋の中で一か所にまとめられていた篝火や行燈が一瞬で飛び、桜の木の下、縁側のすぐ近く、部屋の天井へ移動する。もう一つ叩くと、それらに一斉に炎が付き、薄暗くなった辺りを暖かい橙色に照らした。


「…良いでしょう。さあ皆々様、お好きな場所へ。貴方たちも座りなさい、今日は席などないですよ、全て自由です」


その言葉に、五人の神たちが好きな場所を陣取り、空いたところへ眷属の八人が好き好きに収まった。それを確認して天狐がまた柏手を打つと、全員の座っている前に豪華な食事の乗せられた膳が現れた。また、酒の類やそれを注ぐための杯、大皿料理なども適当な場所に鎮座し、部屋は一気に宴の様相を呈した。天狐が縁側とは反対側の端に立ち、落ち着いた声を響かせる。


「さあ、宴の準備が整いました。神の皆様は此度の話し合い、子ども達はこの宴のための準備、誠にお疲れさまでした。手元に飛んだ杯をお取りください…飲み物も入りましたね、よろしいですか」


全員が天狐の方を振り向き、様々に返事をした。それに頷き、天狐が大きく両手を広げる。


「では失礼。桜の木をご覧くださいな」


一つ深呼吸の後、今までで一等大きな柏手が鳴る。


何もついていなかった桜の木は、見る間につぼみを膨らませ、そして一斉に開花した。少しばかり強い風が枝を揺らして、多少の花弁が舞い落ちる。幾つもの篝火がそれを照らし出して、いつの間にか完全に火が落ちて真っ暗な中に幻想的な世界を創り出す。彼岸花すべてが光を受けて、彼岸花自身が輝き桜を照らし出しているかの様にも見える、幽玄的、華やかな光景に、ある者は歓声をあげ、またある者は感嘆の息を漏らした。


「それでは皆様、好きに食べ、飲み、語り合いましょう。素敵な時間となりますよう」






 年に一度の宴の日。この領域の要人たち、そして支える子ども達はこの日を楽しみに、日々を過ごしている。

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