拾、天津狐:結

 一頻り話したところで、天狐は疲れたのかため息をついた。顔を上げると、聞いていた三人は、なんとそろって涙していた。紅緋は号泣、濃藍はそこまではいかないものの共鳴したのか胸を押さえて静かに涙を流し、龍神に至っては這いずって天狐の膝に縋りついた。天狐は驚き半分ほれ見たことかという気持ち半分で複雑な表情になった。一刻は経っただろう、話過ぎて喉の乾いた天狐は立ち上がろうとしたが龍神が縋って離さなかった。代わりに察しの良い紅緋が号泣は止まらないものの盆に四つの水を入れた湯飲みを持ってきた。


「…だから言いましたのに、嫌な気分でしょうと」


天狐の言った言葉に三人が反応した。きっと同じように睨まれたことに、思わず彼女の心臓が縮み上がる。三人は天狐を睨みつけたまま、また大粒の涙をこぼした。今度は紅緋と濃藍も両腕に縋りついてきて、団子状態である。動けないままどうしたものかと思って見ていると、龍神が泣いて揺れた声のまま言葉を紡いだ。


「どうしてっ…どうしてあなたはそうなんだ」


曖昧な物言いに首を傾げた天狐に、両側から追撃がかかる。


「ずっと、抱えて、なんで一人だけで」

「そうですよ!ずっと辛いだけじゃ、ありませんかっ」


つかえながら言葉を紡いでいく三人に、天狐は言われた言葉を反芻した。一人で抱えたままでは辛いばかりだ。辛い、という言葉が妙にしっくりきた。何も返してこない天狐に訝しんだ三人が顔を上げると、彼女は目を見開いて涙を溢れさせていた。あの、天狐が。


「辛い…ええ、辛かった。ずっと、何か悲しくて、それに見ないふりをしてきたのも、秘密にしてきたことも、抱え込んだ罪の意識も」


静かな声が籠った音になる。驚いた三人はそれを見て固まっていたが、やがて思い思いに腕を伸ばして天狐を三人で包んだ。龍神が真正面から抱き着き、その上から紅緋と濃藍が抱きしめた。


「聞いてくれて、ありがとう」


その言葉を最後に、四人はずっと泣いていた。






 紅緋が目を覚ますと、自分含めた四人がそのまま寝落ちたことに気が付いて、他を起こさないようにそっと起きあがった。みんな瞼を赤くして、それでもどこか満たされたように眠る三人をみて、声は出さずにそっと笑った。外を見てみるとかなり日は昇っていて、昼餉の方が近いかもしれないと考えた紅緋は、もう少し寝顔を見ていても罰は当たらないだろうと一人頷いた。


 少したって日差しが眩しくなったのか、龍神がぼんやりと起きた。小さくひそめた声で話しかけると、はっきりしない挨拶が返ってきた。それでも再度眠るつもりはないらしく、彼女は体を起こした。水を要求されて新しく水を入れなおした湯飲みを差し出すと、そっと両手で受け取った。


「…昨日は、衝撃的だった」

「そうですね…あんな過去があろうとは思いもしませんでした」

「私もだ…」


まだ起きない天狐と濃藍を起こさないよう、囁き声で会話をする。濃藍が龍神と天狐の腰元をまとめて抱えるようにして寝ているため、不用意には動けないのだ。


「私は元人間で、生贄になっていたのだな」

「話の限りでは…」

「まあ、知ることが出来てすっきりした。仲間外れよりは何倍もいい。だが…そんなに大切にしてくれていたとは」


有難い限りだ、と龍神がはにかんで見せた。初めて見る彼女のその表情に紅緋は驚いたが、すぐに肯定して同じように笑い返した。






 ようやく全員が起きて、揃って昼食を終わらせた。昨夜のようなこともあったが誰も態度は変わらず、いつも通りの日常に戻っていた。食後に天狐が自分で作ったと言っていた人間だった龍神の墓にきて、一様に手を合わせた。


「自分の墓に手を合わせるとは、なんとも不思議な気分だ」

「はは、そうかもしれないですね」

「紅緋と濃藍は似たようなことを週に一度はしてますね」

「…確かに」


くすくすと笑う四人のそれは平和そのもので、この時期には珍しく晴れ渡った空がとても暖かだったのは、龍神と、天狐の二人の眷属のおかげかもしれない。穏やかな心地の天狐は、今度こそ慈しみにあふれた手つきで人間の彼女が眠る墓標の石をなで、苦しみのかけらもない柔らかな微笑みを見せた。






 ある良く晴れた日、天狐が山の見回りという名の散歩から帰ってきて、何げなく空を見上げた時だった。突然目の前に何かが飛び込んでくるのに反応しきれず、その何かと共に勢いよく地面に転がった。何が何だかわからず、目を白黒させていると、天狐の上に乗った何かが動いた。


「菖蒲様!」


なんとそれは龍神だった。よほど急いだのか頬が上気して、普段よりも幼く見える気がする顔が覗き込んでくる。まだ衝撃が強くぱちくりとして動かない天狐を見て、龍神が慌てて立ち上がる。手を差し伸べられて立たされた所で、龍神の声が聞こえていたのか中から紅緋と濃藍が駆けてきた。龍神が来ていることに気が付き、中へと促してくる二人を龍神が制した。


「菖蒲様、もう一度飛びたくはないか」

「えっ…そりゃあ、まあ、でも私の羽は…」


その先は言葉にはならなかったが、既に天狐の過去話を聞いている三人は全員その続きが分かる。彼女の翼は祟り神の穢れに当てられたのか、既に焼け落ちているのだ。とても飛べるような形ではなくなっており、痛みも伴うため、天狐はあの事件以来誰の前でも翼を出したことがないのである。まさかそれを知らないわけがなく、それならもう一度とは言わないはずだ。どういうことか、と天狐は龍神をやや訝し気に見つめた。反対に紅緋と濃藍は何かを察し、どこか浮足立っているようだった。


「それをな、戻せるようにしてもらったんだ」


言葉が少なすぎて、彼女の意図が読めない天狐は首を傾げた。龍神が何やら懐を探り、一つの巾着を取り出した。中身があるようで少し膨らみ、重さでゆらゆらと彼女の手元で揺れている。その中身を取り出してみるように勧められ、天狐が龍神の開いた巾着に手を突っ込んだ。硬い感触が指に触れる。そのまま掴み出すと、それぞれ赤、紫、青の輝く石が付いた三つの紐飾りが出てきた。どれも黒い紐が使われ、赤の石が括り付けられたものと青の石が括り付けられたものには更に紫の小さな石が、紫の石の物には赤、青の小さい石が付いている。天狐には、その石が何かしらの術を掛けられている物だと瞬時に悟った。だがその内容までは分からず、龍神に尋ねた。


「それを着けている者は、揃いの物を着けている者と力を共有する事ができる。力の内容は何でもいいが…それを、紫を菖蒲様が、赤を紅緋が、青を濃藍が着けて、翼を出せば元の翼に近いものに戻すことが出来るはずだ。それと紫の石には治癒の力もある。もしかしたら、使い続ければ元に戻るかもしれない」


さあ、と促す龍神に、天狐は首を振った。


「いいえ、響季。これは使いません。これじゃあ、まるで紅緋と濃藍が道具のようではありませんか」


その一言に龍神はぱちくりと目を瞬いたが、すぐにむっすりとしながらそんなことを言ってもいいのか、と零した。その言葉の意図がまたもや読み取れずいると、なぜか気落ちした紅緋と濃藍が龍神の隣へ並んだ。眉を八の字に下げ、いつものような快活な表情と涼やかな真顔ではない二人に、さらに混乱した天狐が二人の様に眉をへにゃりと下げて見詰めた。徐に紅緋が天狐の手から赤と青の石の紐飾りをとり、青の方を濃藍に渡した。器用に腕に括り付け、天狐を見返す。


「…実は、これ、俺らが提案したんです。あの話を聞いた日からずっと考えて、響季様にもずいぶん手伝ってもらってようやく完成した」

「俺たちは菖蒲様が思っているほど弱くありません。体力だってお渡しできるくらいあります。体力の譲渡については銀龍様に相談済みですし、俺たちに体を大切にといつも言ってくれますが、そっくりお返しします」

「…黙って事を進めていたのは悪かった。でもこの二人も、私も、これを作るのを手伝ってくれた碧様も…これに祈りを付加してくれた他の皆も。貴方のことを心配している。かつてあんなに空を美しく飛んでたじゃないか…どうして止めたのかをようやく知って、今の私なら力になれると思ったんだ、二人も」


いつものようにはしゃいだり、そっけない声ではない、本当に心から思っている言葉が天狐の心に染み渡る。思えば、こうした大ぞれたことの無いように生活をしてきた理由は、すべて過去の出来事が原因だったと振り返る。しかし目の前の三人はただの人間ではない。大切に大切にと思ってしていたことは、いらぬ心配だったようだ。神という同じ立場に立った龍神、自分の眷属であり他の眷属たちよりも年齢が高い状態で此処へ来た紅緋と濃藍。箱入りで可愛がるようなか弱い子たちでないことは、随分前からそうだったはずなのに。そう思って天狐は自嘲気味に笑った。迷いの色はそこにはない。手に残っていた紐飾りを手首にくくれば、紅緋は破顔し、濃藍と龍神も柔らかい笑みを零した。






「いきますよ」


 その掛け声の後、覚悟を決めた天狐は自分の翼を引き出した。いつもならこの時点で眩暈がするような痛みに襲われたが、今回は痛みは確かにあるものの、本当に微かなもので静電気程度にしか感じなかった。ほっと息をつき顔を上げると、その場から紅緋と濃藍が姿を消していた。慌てて辺りを見渡すと、どこからか声が聞こえてきた。


《大丈夫ですよ、俺たちは貴方の視界を通して景色を見ています》

《それよりも、飛べますか》


その声は龍神にも聞こえているらしく、天狐に飛んでみろと促している。ああ、懐かしい。そう思いながら、いつかの感覚を取り戻すために二つほど羽ばたいた。体の浮く感覚がして、揚力も十分であることを確認すると、足に力を込めた。思い切り地面を蹴ると同時に大きく羽ばたく。


「…ああ!」


思わずうれしさに声を上げる。たった一回の羽ばたきでかなりの距離を飛び上がったことに気分は高揚するばかりで、上を向いて上昇し始めた。快晴で雲一つない空に、黒い天狐が己の翼で飛んでいる。あっという間に屋敷は豆粒の様になっていた。


《随分あがりましたね》

「ええ…本当に久しぶり」

《菖蒲様が見ていた景色は、こんなだったのですね…目が眩みそうだ》

《でも、すごく綺麗だ》

《ああ、本当に》


空からの景色が初の二人のためによく周囲を見てやろうとそのあたりを旋回していると、下から黒い龍が飛んできた。すぐに目の前に並び、同じ速度で旋回を始める。


「響季、紅緋、濃藍!本当にありがとう!」

「…よかった。このまま皆に見せに行こう」


表情がないはずの龍の姿で、龍神は微かに笑ったようだった。そして天狐の背、翼の色が僅かに赤と青に色づいて煌めいた。

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