陸、神の子

 神の子、と呼ばれる存在がある。


 『神の子』とは神々の間で使われる呼び名で、人間からするとその存在は『生贄』である。遥か人の世が始まった頃からいつしか起こった生贄の文化は、神々からは己の力のために有難がられるようになり、わざと天災を起こして生贄を取ろうとする神まで現れたのだから、生贄の存在というのは多大な影響を及ぼすものだったことがわかる。


 生贄の捧げられ方は集落によって異なり、生かして送り出す場合もあれば殺して祭壇に乗せておくという場合もあり、そのどれもが惨いものだったのは言うまでもないだろう。


 そんな『神の子』という存在にも例外はある。とある地域で日照りが続き作物が枯れ果ててしまいそうになり、この集落で伝わる神に雨を降らせてもらおうと、とある少女が毒を飲まされ生贄として捧げられた。しかしそれが逆に神の怒りを買ってしまったのか、たった一晩で集落は豪雨により水没、激しい風により建物はことごとく倒壊した。もちろん作物はすべて流され、生き残った者を数えたほうが早いくらいの死者が出るという悲惨な結果が出ることとなった。後に辛うじて生き残っていたこの集落のかんなぎが言うには、その大災害の後に神直々にお告げがあり、生贄は体がしっかりしたころの少年少女一人を、途中で食べられる食料を持たせて山へ入らせろ、決して殺すな、送り出すのならば年に一度のみで良いということだった。それに従ったところ、大きな災いは無くなったということである。


 この地域ではそれ以来、年に一度生贄を出していた。始めの八年間は普通に終えたものの、九年目に送り出した生贄は、なんと一年後に元気な姿で山から下りてきたのだ。集落の者たちは随分と驚いたが、その生贄本人が、詳細は約束で言えないが辛いこともなく元気だったというので、誰もが胸を撫でおろしていた。更には始めの八人も元気だったなどというので、九人目が無事降りてきたことに家の倅は、娘はと最初憤った親たちは僅かながらも溜飲が下がったようだった。






 この初めの八人は、言わずもがな天狐、鬼神、烏天狗、龍神の眷属たちのことである。


 彼らは、誰もが自らの意志で神々のもとに留まることを決心していた。やってきた順としては、柳、杏、支子、濃藍、蘇芳、縹、竜胆、紅緋の順となる。この領域の神々は、誰もが生贄を文字通り喰って取り込むことを良しとせず、本当であれば始めの柳から一年間の奉公という形で返す予定だった。しかし、神が認識から外れると消滅の危機に遭うという事実を誰かがうっかり漏らしたようで、ならば人間である自分がずっとここにいればいい話ではないかと神々に迫ったのだ。正直なところ彼に対して愛着がいつの間にやら湧いてしまっていた彼女らは、三日三晩の話し合いを経て、希望した者はここに置くことを決めたのだった。そうすると、生贄の側は皆立て続けにここに残ると言ったものだから、予期せぬ事態に困った四人の神は、結局二人ずつ引き取り、それ以降は始めの計画通りに有無を言わさず一年だけの奉公で返した。そのため始めの八人は結果として神の眷属という立場になり、今に至るまで神々の御付きでいる。


 眷属という存在になるということは、人間であることを捨てることにもなる。眷属となることで大きく変わるのは、その者の持つ時間で、成長は止まり体の機能はそこまでで留まることとなる。鍛えることによる筋力や体力増加は可能なのだが、背丈が伸びない、女性であれば女らしい体つきにはならないといったような支障がいくつも出るのだ。さらには神と同じく決まった寿命は無くなり、眷属として仕える神が万が一消滅した場合、ともに消滅するのが運命となる。しかし元人間である事には変わらず、建前上は生贄のために神の存在は確固たるものにはなるのだ。だが眷属にされる側の同意がなければおいそれと眷属にすることは出来ないため、この領域の者たちはつくづく運がよかったのだろう。


『神の子』たちの役目は、舞を奉納することである。所謂神楽と役割は同じで、違うのはこの舞が精神力を削ってしまうということだ。削れる精神力は神の格によって異なり、上級になればなるほど消耗は激しくなる。それを見越したうえで、体がある程度出来上がった少年少女という条件付けがなされた。本来この舞は生贄が消耗しきり命を落とすまで続けさせる神が多いのだが、この領域の神々はやはりそれも良しとしなかった。一時の爆発的な力は必要ない、普段暮らせる体力だけあれば良いとした彼女らは、『お勤め』と称して朝のみに短時間の舞をさせることにした。そして、普段は舞に耐えうる体づくりをと一定以上の運動を課したのだ。






 そんなこの領域に住む『神の子』たちは、時折それぞれの主から許可をもらい八人で集まっている。特に大した用事はないものの、作った菓子を持ち寄ってみんなで食べたり、誰かの屋敷に集合してだらだらと話をしたり、山で遊んだりと楽しげである。神々もそれが微笑ましくて、働きすぎだと感じた時分には神の方から集まることを進めることすらあるほどだ。神々の会合もあるがそれは近況報告など事務的なものであり、彼らのようにただ遊ぶだけの集まりは中々縁がないのだ。だからそれを知っている彼らは偶に神々を遊びに巻き込む。自分たちの作った菓子を食べ比べしてもらうささやかな品評会のようなものを催すと、彼女らは大抵喜んで参加しに来る。字が上手い鬼神には書初め大会を見てもらい、大烏を従える烏天狗には空への散歩に連れて行ってもらい、歌が上手い天狐を呼んでうっかり寝かしつけられ、舞の達人である龍神と共に舞い踊り、御守を手先の器用な銀龍と青龍に習って作ってみたり…。それは彼らの親や兄弟のような存在に構ってもらえる感覚で、彼ら自身も嬉しがった。






「あ、やあ紅緋!濃藍も!」

「よう。相変わらず彼岸花がすごいな、真っ赤だ」

「よく来たな皆。待ち合わせたのか。さあ行こう、菖蒲様が一つ大部屋を貸してくれた」


 今日は、八人は彼岸花邸に集まっていた。どの屋敷からも平均して同じ距離で来られる屋敷のため、ここが会場になることは他に比較して多い。部屋に通されると、やってきたうち各屋敷の一人が持ってきた包みを広げる。そこにはそれぞれ菓子と、何枚もの色紙が入っていた。濃藍と紅緋が手分けして飲み物を運んでくる。その盆にはやはり色紙。


「今日は菖蒲様は?」

「いらっしゃる。暇なんだそうだ」

「じゃあ丁度よかったですね」


そういって彼らはいそいそと色紙を手に取った。唯一の少女である竜胆に他の男子勢は折り方を教わりながら、一人は鶴、一人は金魚、またある一人は蝶というように次々紙製の動物や飾りを折っていく。一通りの種類を折り終えた時、見計らったかのように天狐が部屋へ訪ねてきた。


「いらっしゃい皆さん、精が出ますね」

「お邪魔してます菖蒲様」

「菖蒲様、今お時間よろしいですか?」

「ええ、暇ですよ」


こいこいと彼らが手招きするのをみて、純粋に興味を持った天狐は子ども達の輪へ入る。すると一番近くに座っていた柳が筆と墨を渡してきたので、早くも合点のいった彼女は折られた紙たちに何やらさらさらと模様を描き込んだ。周りの八人はまるで重要な儀式を見るかのように大真面目でその様子を見詰めていた。やがて筆を置くと天狐は口の前で合掌し、何かを歌うように囁き、ぱん、と柏手を一つ。


「…わあ!」


彼らは歓声を上げる。天狐によって命を吹き込まれた折り紙たちはそれぞれ自由に動き出したのだ。飛んだり泳いだり、その光景は不思議な夢のようである。幼い子供の様にはしゃぐ彼らを、天狐は嬉しそうに眺めていた。






 この領域では彼らの脅威となる存在はいない。神々に見守られた八人の『神の子』は日々舞を踊り、主の存在を守りながらのびやかに生活している。

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