伍、蓮

 さて、もう一度東の山である。ここには水蓮邸があるが、もう一つ屋敷があるのだ。水蓮邸がある東側と反対側に、他に比べれば大きくはないがよく整えられた品の良い屋敷が静かに佇んでいる。その見た目といい、立地条件と言い、水蓮邸にそっくりなのは同じ山に存在するからだろうか。屋敷の正面は泉が広がり、やはり玄関までは橋が渡されている。そこに咲いているのは薄桃色の蓮の花。幻想的な見た目のこの屋敷は、『蓮屋敷』と呼ばれる。


 蓮屋敷に住んでいるのは二人の神だけだ。どちらも龍神だが、その体の色からとって『銀龍』と『青龍』と呼ばれる。勿論人から呼ばれる名前もあり、銀龍は『椿つばき』、青龍は『みどり』という。銀龍は女、青龍は男である。そして、何を隠そう、この二人こそがこの領域の創造主なのだ。






 朝、起きるのが早いのは銀龍の方である。顔を洗い、身支度を手早く整えると朝食づくりに取り掛かる。今日は何にしようかと考え込みながら、保存庫にある食料たちを眺める。いくつか食材を取り出して並べ、何か違うと思ったら取り換える、その繰り返しを経てようやく決まったようだ。まな板に野菜を並べ、調子よく切りそろえていく。この頃にかたりと背後で音がした。振り返るとまだ寝巻のまま眠そうに青龍が立っていた。くすりと笑うとそんな彼に声を掛ける。


「おはよう碧。まだ眠そうじゃな」

「おはようございます姉さま…花に水をやって来ますねえ…」


寝ぼけ眼のままよたよた歩いていく青龍に気を付けるよう言葉を投げ、銀龍は手元の作業を再開した。そう難しいものを作るつもりはないので、気楽に手を動かす。青龍はというと、顔を洗って身支度を済ませた後、大きめの桶に手をかざした。見る間に中に水が張られ、揺らめく水面に日の光が反射して眩しい。それをかかえて裏庭へ出てきた。そこには様々な花が植えられ、美しく咲き誇っている。菖蒲、薊、葵、椿、紫苑等々…。それらをよく観察しながら柄杓で水をかけてやれば、花弁に乗った雫が宝石のように煌めいた。






 朝食を取り終えて、二人はそろって屋敷前の泉へと出た。蓮は泥の中で咲くため、摘み取るには汚れに注意しなければならないのだが、この二人はお構いなしに手を突っ込んで大輪の蓮を八輪摘んだ。袖口辺りが泥で染まったが、腕を軽く払うとその汚れは跡形もなく消え去る。ついでに蓮の茎についた泥も払うと、青龍の方が龍の姿をとった。銀龍がその背にまたがると、音もなく空へ舞い上がる。その行先は、例の社だ。


 あっという間に到着し、青龍は再び人型をとる。既にすべての花瓶の花が新しくなっているようで、どれもが瑞々しい。そこに蓮を挿して、八つの花瓶の様を眺めた。


「最後の子が来てからもう三十年ほどですねえ」

「ほう、もうそんなに経つか。そりゃああの子たちが慣れてくれるわけよのう」

「しかしまあ、ようやくどこでも生贄なんて因習が無くなりましたねえ。喜ばしい限りで、ねえ?」

「ほんにその通りよ。…またあのようなことが起こってはかなわぬからな」

「あそこも使う機会が無くなりましたし、壊してもいいんじゃありませんかい?あの子たちに見せたくはないでしょう」

「そうだなあ…」


しみじみとした声で話していた二人はそこで会話を途切れさせた。目が合うと同時に頷くと、今度は二人そろって龍の姿になる。穏やかな空へ舞い上がると、蓮屋敷へ戻るべく飛んで行った。






 屋敷へ到着し、青龍が蓮の咲き乱れる沼へ向かうのを見届けた銀龍は台所へと来た。そこで取り出してきたのは、どこで手に入れたのか、道明寺粉だった。砂糖と混ぜて、食紅を混ぜた水でふやかす間に、あらかじめ作っておいた餡子と桜の葉の塩漬けも取り出すとそれぞれ下処理を進めていく。終えるころには早くも道明寺粉がふやけて餅の様になっていたため、手早く餡子をそれで包んでいく。桜の葉でくるみ、桜の花の塩漬けも添えれば見た目の愛らしい桜餅の完成だ。それらを重箱に丁寧に並べてゆく。ちなみにこの箱は、以前彼岸花邸を訪れた時にお裾分けだと言ってもらった魚の照り焼きが入れられていたものである。只返すのでは面白みがないので、せっかくならばということで桜餅を作ったのだ。


「姉さまー、御仕度は…おお、随分作りましたねえ」

「思っていたよりも出来てしまった!が、まあよかろうよ」

「ええ、あの子の好物だ、喜んでくれるでしょうよ。それに眷属の二人も以前それをあっという間に平らげて」

「そうだったなあ、ならばむしろ丁度よかったか。今支度してくるから、碧、それを包むのは任せたぞ」

「あいわかりました、姉さま」


奥へ引っ込んでいく銀龍を見送って、青龍はどこからか黒の風呂敷を取り出した。慣れたように重箱を包んで縛ると、結び目の下に裏庭から摘んできた一輪の菖蒲、二輪の白い彼岸花を差し込んで出来上がりと呟いた。花たちはちょっとした追加のお土産である。ふふ、と笑った青龍は銀龍が戻ってくるのをゆったりと待っていた。

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