Ⅻ、巡る世界の中で

 季節が幾つか巡り、新しい神もちらほらと増えてきた。一人増える度にまた賑やかになる事を喜んだアーテルは、新たな仲間に宝石で出来た守り石を贈る様になった。最近増えたアーテルの友人のような存在に、ほかの神には自分のような思いはしないで欲しいと零したところ、その友人から提案されたことだった。彼女は生まれた者の瞳に合わせ、加護を付与した宝石を贈っていると言う。加護の付与はその友人の専売特許だが、贈り物自体は悪くない発想だと思ったのだ。


 アーテルがその様にしているのを、カエルムは若干複雑な心持ちで見守っていた。あの産み落とした双子への罪の意識はそう簡単に消えるものではない。また子を亡くす苦しさを、相手に重ねて再び思い出すのが怖いのだろうと当たりをつけていた。甲斐甲斐しく宝石を手の感覚だけで選んでは贈るその姿に、どこか痛ましさを感じていたのだ。しかしどうしようも無いと、堂々巡りの悩みを抱えながらカエルムは彼女の手助けを繰り返していた。






 ある夜、いつもの様にアーテルが就寝するのを見届けて部屋を出てくると、ウィオラーケウスがカエルムを応接間へ呼んだ。促されるまま入ると、そこにはあの日以来来ていなかったアルブスが座って待っていた。ごゆっくり、と言ってその場をウィオラーケウスが引き上げていくのを戸惑いながら見送り、アルブスに呼ばれてすぐ側のソファに腰掛けた。彼が差し出してきたグラスには、葡萄酒が控え目に注がれている。


「まあ、飲んでみろ。お前これはほとんど飲んだ事がないだろう」


そう言われ、少しグラスを傾けて口に葡萄酒を含んでみる。途端に慣れない渋みが舌を襲い、思わずそのまま飲み込んで噎せた。苦しそうに咳を繰り返すカエルムにけらけらと笑いながら軽い調子で謝るアルブスは、口直しにと水を差し出す。それを受け取り、一気にあおった。


「っはあ…!げほ、渋い、ですね、げほっげほっ」

「悪かったな、確かにいつも蜂蜜酒を飲んでるお前には渋みが強いか」


一頻り咳を繰り返し、少し経って落ち着いて来たカエルムは滲んだ涙を拭った。酷い目にあったと思いつつも、風味が悪かったかと言われればそうでもないので唇を濡らす程度にもう一度舐めた。アルブスは暫くそのまま沈黙し、カエルムが本当に落ち着くのを待っている。その姿勢が少し真剣なもので、この後何を聞かされるのだろうかとカエルムも自然と背筋を伸ばした。カエルムが聞く姿勢になったのを確認し、アルブスはようやく話し始めた。


「お前たち、最近二人で過ごしている時間はどうだ。順調か?」

「アーテル様…とのことですよね?」

「当たり前だ、他に誰がいる」


そう言われ、カエルムは思わず口ごもる。お互い、どこか遠慮がちになってしまった現在はあまり好調とは言えない。その原因は明らかに双子の件だが、繊細な事のためあまり踏み込むのも憚られる。そんな最近に少し寂しさを覚えていたカエルムはしゅんと項垂れた。それだけでおおよその事は読み取ったアルブスは言葉を続ける。


「ここに尋ねる誰もが、お前たちがぎこちない事を憂いている。何もすぐに元気を取り戻せなどという無茶はとても言えないが、少し互いの触れあい方を工夫する必要がありそうだと思ってな」


真摯な眼差しでそう話すアルブスに、カエルムは真剣に頷く。カエルムはこれ以上の寂しい思いから脱退したい一心で、アルブスはずっと末っ子と呼んできた者が悩んでいるのを救いたい一心で、二人の語り合いは白熱した。何と、その話し合いはウィオラーケウスが一度寝て起きた後に応接間を覗き込んだ時も続いていた。






 それから少しの時間が流れたある夜、アーテルはそろそろ眠ろうとウィオラーケウスに寝室へと連れて行ってもらいベッドに乗り上がった。カエルムが何やらそわついていたので、邪魔をしないようにと思っての人選だった。では、と部屋を出ていく妹分を声で送り、横たわろうとした時だった。不意に軽く扉を叩く音が響いて、彼女は反射的に返事をした。扉を開ける音とアーテルの方へ向かってくる音は、先程の妹分のそれとは質が少し違う。ほんの少し身構えた彼女は、しかし隣に座った気配にそれがカエルムだと分かって緊張を解いた。


「いい蜂蜜酒を分けてもらったので、温めてみたんですが…ご一緒してくれませんか」


控えめな声でそう尋ねて来た彼に、普段積極的に来ない彼がこれは珍しいと少し感動したアーテルは一も二もなく了承した。よかったと呟いた彼は持って来ていたカップをアーテルに持たせ、自分自身もカップを持って隣に座る。掌にほんのりと温かさが伝わり、甘さとスパイスの刺激的な香りが鼻腔をくすぐる。蜂蜜酒がそれなりに好きなアーテルは、早速口をつけた。


「いかがですか?今日のはシナモンとクローブを少し混ぜてみたんですが…」


彼の問いかけに、素直においしいと伝える。吐息だけで笑ったカエルムも少し蜂蜜酒を飲み、ほうと息を吐く。少し飲むだけで体がよく温まる飲み方は、やはり眠る前の寝酒に相応しい。そう改めて感じたアーテルは僅かに眠気を覚えていた。ふわふわとした思考回路の中で、そういえば何故彼は珍しくも部屋を訪ねてきたのだろうかと思い立つ。そこから芋づる式に今までの何とも言えない冷えた緊張感が二人の間にあったことを思い出して、一気に眠気が飛んでいった。なんの話をしに来たのか、何となく察してしまったアーテルは不安げにカエルムの名を呼ぶ。すぐに返された彼の優しい声にすべてを預けたくなり、手探りで彼の身体を探す。


「どうしました、僕ならここですよ」


咄嗟に何を探しているのかが分かったカエルムは彷徨うアーテルの腕をそっと引いて、蜂蜜酒が零れないように一度カップを置いてから彼女の身体を包み込んだ。抵抗なく凭れ掛かった彼女の黒髪が梳く様に撫でられ、その心地よさにより一層体重を預ける形で座った。


「…アーテル様、僕、今日は二人でお話しようと思って来たんです。お互いに思っている事とか、色々整理するために」


少し舌っ足らずな口調で言うカエルムは幾分か幼く感じられ、それが泣いているようにも感じたアーテルは肩に落ちてきた頭をそっと撫でた。自分も本当はこのままではいけないと思っていた、お互いに話し合ってもとの様になりたいと溢したアーテルに、カエルムは両腕できつく彼女を抱き締めた。


 そこから、二人は様々な事を話し合った。未だ癒えない双子が死産だった事実は、無理にしまい込もうとせずに想うだけ想っていようと決めた。それ以降どことなくぎこちなかったことについては、もっとお互いに思っていることを話し合う機会を作ろうと約束した。お互いに愛情は確かにあることを確認し、良い『夫婦』とやらでいたいと言い合った。静かに泣き、額を寄せ合って、二人は未来に進むことを決断した。


 翌日、ウィオラーケウスが定刻通りにアーテルを起こしにやって来ると、ベッドの上では瞼を赤く腫らしながら手を固く繋いで眠り続けている二人を見つけた。一瞬驚いた彼女だったが、すぐに微笑んでおやすみと呟き、その場を後にした。






 また季節は巡り、地上では美しい花が咲き乱れる頃。風の神が世界の各所に散らばる神々のもとへ知らせを持って訪ねて来た。曰く、闇の女神と空の神の娘がたった今無事に誕生したとのこと。ある神は歓喜に震え、ある神は子が無事であることに涙した。そして、創世の十二神である神々は、いつかのように『隠れ家』へ集った。今回は十の神々から、一つの祝いの品が贈られた。鷲の瞳を名前に冠した、黒と灰色が入り混じる美しい宝石で作られた耳飾りは、贈られてすぐに身に着けられる事となった。


 二人のもとに生まれ落ちたのは、影を司る女神。右目は青く、非常に光に弱いため普段隠すこととなったが、他の部分に関しては大きな問題もなく五体満足に近しい状態で誕生した。母譲りの癖のないまっすぐな黒髪をゆらし、彼女は現在どこかの森を管理する役目を担っているという。時折父と母のもとに戻っては、新たに加わった友人である梟たちの紹介を嬉々としてしているようだ。






 世界は、今尚様々なものを抱えながら回っている。神々が増えていく中で、創世の十二神は何者かによって人間たちに凡そ正しく伝えられ、詩となり信仰されるようになった。それがどうしてなのか、正しい事は神ですらも把握している者はほんの一握りだ。噂では、白が似合う金髪碧眼の青年が神託を得たと言って広めたらしい。その彼曰く、最も初めに生まれた闇の女神は誰よりも偉大であるとのことだ。


 そんな噂を、神々は笑って聞く。同じ輪で笑い、世界のあらゆる事象を見守る、闇を司る黒い女神は今日も空の神と共に生きている。

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