Ⅹ、望まれた仲間
アルブスが岩山から解放されて少し経った頃、地底にある『隠れ家』には珍しくアルブスとアルゲントゥムの姿があった。二人は元来光を発するものを司っているために地底とはそれほど相性が良くはなく、以前からアルゲントゥムすらも地底にはやって来ることがほぼ無かった。それが二人揃って来ているので、城主であるアーテルは念のために黒い布で目隠しをしていた。二人は特段用があったわけではないが、アーテルと駄弁りたいがためにやって来たのだ。心なしか空間がやや明るく、この暗さに慣れてしまったウィオラーケウスとカエルムは時折目を休めるように掌で自らの視界を覆った。
「調子はどうだ、アーテル」
「今日は少しお加減が良いのでしょうか、表情が柔らかくて安心しました」
応接間に置かれた上等なソファにゆったりと腰掛け、何やら土産物をいくつも広げながら話している三人は、いつかの会合よりもずっと穏やかな雰囲気だ。丁度今など、人間たちが様々な形の衣装を作り出していて、どれも美しいと言いながらドレスを取り出している。それを宛がって、ああだこうだとアルブスとアルゲントゥムが言い合い、それに挟まれたアーテルはくすくすと笑っている。そんな様子をよかったと言ってウィオラーケウスとカエルムが眺めていると、やがてこんな話題が飛び出してきた。
「そういえば、人間たちを見て、俺たちも愛するというのがどんなものかようやく掴めてきたんだ」
「他の動物よりも人間はその部分が顕著なんです、愛した相手とだけ番って、その間でしか子を生さない…この番った二人を、夫婦、と言うそうですよ」
それに反応したのはカエルムだ。ぽ、と頬を染めた彼をウィオラーケウスが見逃す訳もなく、少し緩んだ顔のカエルムを見上げた。
「そういえばカエルム、お前アーテル姉様とはどうなんだい」
「ぅえっ」
「なんだその反応は、まさかなーんにも進展してないとかないだろうね?姉様も満更でない顔だったし」
ウィオラーケウスの容赦のない言葉に、図星なカエルムはうっと呻いた。実はあの日以来、特に何事もなく平和な日常を過ごしてきているのだが、本当に何もなく日が経ってしまったのだ。カエルムとしては何をどうすれば良いのか全く分からず、行動も出来ないままになってしまっているのを内心焦ってはいるのだが、如何せん誰に相談すればよいのかもわからない。創世の十二神が生まれたときは、とにかく仲間を増やそうという意識が強かった分愛情などはそれ程重要視されなかった。対してカエルムが抱えているのは完全なる恋心と大きな愛情であり、アーテルを大事に思うからこそ何もできていなかったという事だ。そんな様子を沈黙から察したウィオラーケウスは若干呆れ気味の表情を浮かべた。
「…まあ、焦る必要も特段あるわけではなかろうよ。でも実は姉様の方が期待してないとも限らないよ、お前から愛されるのを」
その言葉にカエルムが勢いよく顔を上げると、気配だけでこちらに気が付いたらしいアーテルが軽く手を振っていた。若干方向がずれてはいたが、明らかにカエルムに向かった時の顔の方向で、カエルムは暫くの間思考回路を停止することとなった。
やがてアルブスとアルゲントゥムが『隠れ家』を去り、洞窟内は元の暗さを取り戻した。いつも恒例となっているカエルムの翼での時間確認で、いつの間にか空が濃い紫に侵食され始めている頃だった。
しばらく眺めていると、アーテルがカエルムを呼んだ。すぐ近くへ来いという彼女に、ほとんど体が触れ合うくらいまで接近する。すぐ隣にいることを感じ取った彼女は満足そうに微笑み、また見えるわけでも無い城の外の景色に目を向ける。風を司るエスメラルダが置き土産の様に洞窟内を飛び回って空気の流れを作るので、『隠れ家』の中はほんの少しだけ風が吹いている。その風がアーテルの一部長い艶めく黒髪を揺らし、カエルムの腕に触れる。
「いかがしましたが、アーテル様」
カエルムがそう問うと、アーテルは緩く首を横に振って応える。特に何事もなくその距離感でいるのは何だかくすぐったい、と感じたカエルムは何か話題が無いかと探す。そんな必死な様子を知ってか知らずか、アーテルが不意に今日も来ないのか、と話を振った。
「今日も…ですか?」
何のことだか分からなかったカエルムは首を傾げたが、少しおいて、それが以前まで夜にこっそり部屋へ忍び込んでいた事を指しているのだと察した。彼は岩山での時以来、アーテルを意識しすぎて部屋を毎夜尋ねるのを止めていたのだ。突然の指摘にどぎまぎと言葉にならない声を上げている彼に、アーテルは続けて寝酒でも飲みにおいでと言う。ウィオラーケウスから良い蜂蜜酒を分けてもらったのだと楽しそうに話す彼女は、無邪気なようでどこか含みがあった。あまり勘のいい方でないカエルムも、ここまで分かりやすい誘いは無視できるものではない。
「では…お言葉に甘えて」
一気に緊張が襲ってきたカエルムが絞り出すようにそう返事をすると、アーテルは少し安心したようにふんわりと笑った。
空に『星』が増えなくなって久しくなった頃、創世に関わった十二の神々が『隠れ家』に集った。数日前によく『隠れ家』に出入りするエスメラルダが慌てた様子で世界を駆け巡り、もうすぐ新しい仲間がアーテルとカエルムのもとに増えると知らせてまわったのだ。これにはすべての神が歓喜し、すぐにでも集まろうと居場所が近いものから集った。
最も近い海の神インディクムは、海の中の宝石とされた真珠を持って。
続いて来た水の神カエルレウムは、最も清いとされた湖の水を美しいガラスの瓶に詰めて。
狼と共に来た動物の神フラーウムは、仲間内で最も偉大だとされた狼の亡骸から牙を加工して。
次の日に来た植物の神ウィリディスは、夜に咲く大輪の白い花を束にして。
慌てて来た火の神ルーフスは、火山の中から黒曜石と
知らせから戻った風の神エスメラルダは、人間たちから弦楽器をこっそり買って。
遠くから来た大地の神プルルスは、豊かに実った瑞々しい果実を籠に盛って。
世界を一周してから来た月の神アルゲントゥムは、質の良い蜂蜜を蜂たちから譲り受けて。
月の神と共に来た日の神アルブスは、日の恵みを受けた葡萄で葡萄酒を作って。
皆それぞれに贈り物を持って、『隠れ家』に集まった。子を取り上げるウィオラーケウスと、その手助けをするカエルムはアーテルと共に奥に引っ込みっぱなしで、他の神たちは今か今かとその瞬間を待った。アーテルは一番初めに生まれ、アルブスを『創造』はしたが、他の女神たちと同様な同胞の誕生は経験していない。故に時間がかかるだろうと皆で話しながら、少しの緊張感と共に大人しく応接間で顔を突き合わせていた。
全員が『隠れ家』に集まってから丸一日経った頃、気がはやる神々のもとへウィオラーケウスが走ってきた。遂にか、と神々の期待が膨らみ、何人かは勢い余って立ち上がる。しかし、彼女の表情が芳しくない事に気が付いた神々は、一体何事かと俄かに静かになる。やって来た彼女は、ただ一言、とても静かに告げた。
「死産だ」
その場の時が、止まった様に感じられた。
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