Ⅸ、彼らの願い
目を覚ましたアルブスは暫くの間呆けた様にぼんやりと宙を見ていたが、やがて眼の焦点が合うと怒りの様相を呈した。しかし彼がどんなに力を振り絞ろうとも、彼を封印する為だけに造られたこの空間では美しく光り輝くだけである。敵わないと分かったアルブスは諦めた様に力を収め、不貞腐れて膝を抱えた。その様子を見ていたアルゲントゥムが呆れて溜息を吐く。
「アルブス、なぜ貴方がこの様な措置を取られているのか心当たりはあるのでしょう」
「…そんなものは、ない」
「いいえ、貴方は確かによく知っているでしょう。恒常に世界を見詰め、如何に貴方がこの世の和平を願っていたか…隣に立っていた私はよく知っているつもりです」
アルゲントゥムの諭すような言葉が広い空間に柔らかく反響する。アルブスは彼女を見つめるものの、一言発した以降はむっつりと口を閉ざしている。他の者はその様子をはらはらと見守っているが、アルブスはこの世界で二番目に力の強い神であるために、下手に口出しをするのが恐ろしく黙っている。あの最も強いはずのアーテルの目をも焼いてしまった彼の力は、やはり影響力においても強大である。
「貴方は、今何を考えているのですか。何を求めて行動していたのですか」
畳みかけるように問うアルゲントゥムの声は尚優しく、決して責める様な意図は持っていない。暫く沈黙がその場に落ち、誰もがその緊張感に体を強張らせた。一体アルブスが何を思っているのかはとても考え付くものではなく、ただ彼の言葉を待つしかなかった。
やがて根負けしたのは、アルブスの方だった。長い沈黙の果て、このまま押し黙っていても仕方がない事を良く分かっているのはアルブスも同じであった。息を吸い、大きく溜息を吐いた彼はようやくその重い口を開いた。
「俺は、アーテルに気を掛けられたかっただけだ…」
ぼそ、とそう言った彼は両膝に顔を埋めて隠した。周囲に並んでいた神々はその幼い言動に驚きを隠せず、一瞬ざわめいた。思いもよらぬ理由はそれだけ衝撃であり、それも高位の彼の言葉となればより一層の驚きだった。しかしそれを抑えたのは、アルゲントゥムの隣に立っていたウィオラーケウスだ。彼女は一歩前に出て、全員に語り掛けるように話し出した。
「ふむ…私たちがつくった人間たちにも、似たような様子があった。先に生まれた子供が後から生まれた子供に嫉妬をし、母をどうにか振り向かせようと悪戯を繰り返す」
そう言う彼女に、共同で人間を創り出したフラーウムとルーフスが頷く。彼女が語るに、人間は神に似せて創った動物的存在であり、それならば反対に彼らの行動が神の行動や心情と同様であると言える可能性は大いにあるという事らしい。此度のアルブスの行動も、そういった考え方では十分あり得ることであり、条件としてはよく似ている。自らが生み出した神たちと言えどもその感覚としては兄弟姉妹に近く、ならば最も初めに生まれたアーテルをもとは慕っていた彼が彼女の気を引きたいがために起こしたというような説明がつく。ただやり方が問題だらけだったが、というウィオラーケウスに、アルブスは気まずそうに他所を向く。
「しかし、理由はそれにしても何故人間に爆発物などというものを与えようと?」
「俺につくる事が出来る物の中で、人間が扱える物はこれしかなかった。自分の領土を広げたいと言う人間がいたから、丁度いいと思って渡した」
「…そこは流石、太陽を司るもの故というか、なあアルブス様、我が父よ」
困ったお人だとウィオラーケウスが言い、確かに言葉が足りなかったけれど少し気持ちが分かるとアルゲントゥムが言う。アーテルに気を掛けてもらった側である下の神たちは二人の言葉に、そういうものかとそれぞれながらに納得した。人間や他の動植物など命あるものたちと違い、神には明確な成長期間がない。そもそも初めから成熟しているのか、反対に一生を人間の子供の様な精神状態でいるのかすらも定かでない。ならばこの機会が成長の段階としても良いのではないだろうかといった具合に、やや強引ではあるものの見解を一致させた。
では人間たちの現状をどう見るか、と声を上げたのは大地の女神プルルスだった。彼女がある意味一番の被害者であり、爆発物で大地が抉れてしまった部分も少なからずある状態を最も憂いていた。彼らから爆発物をすべて取り上げるのは神である彼女らにとっては造作も無い事だが、人間たちは知識を溜めることが出来る。全く同じでなくともよく似た物を作り出す可能性がないとは言えず、根本の解決にはならない。それに重い口調でルーフスが答えた。
「残念ながら、俺たちが思う以上に人間と言う生き物は随分臆病で欲深くできてしまった。もう彼らを止める術は無いし、止めに入るというのならば…あれらを滅ぼす他ない」
釣られてウィオラーケウスとフラーウムが暗い表情を見せる。彼らが共同で創り出し、可愛がり、行く末をそっと見守って来た人間たちを滅ぼすのはやはり惜しいのだろう。しかし同胞が辛い思いをするのを見過ごすわけにもいかないのだ。その様子を見てようやくアルブスも事態を重く受け止め、大人しくその様子を見守っている。
「もう少し、見ていてあげてもいいのではないかしら?大地の修復は私たちも協力しましてよ」
「僕もそう思います。何より彼らは創造する力が強く、出来上がって行くものは目まぐるしく面白い」
ここでインディクムとカエルムが人間を残す方に意見を上げた。海を司るインディクムにも影響は少なくはなく、空であるカエルムにすらも影響を及ぼしかけている現状で、それでも残してみてもいいのではないかと言ったのだ。それに仕方ないといった様に加わったのは、植物を司るウィリディスだ。彼もまた被害者の一人だが、カエルムと同様の理由を述べて残してもいいと言う。そんな彼らの意見に釣られるように、この話題を上げたプルルスももう少しは多めに見てもいいと言い始めた。彼女も元来温和で見守る性質が強く、そこまで他の神が人間に期待をしているのならばと否定的な意見を取り下げたのだ。
「では、もう少し様子を見守るという事で、皆よいでしょうか」
アルゲントゥムの問いかけに、否の声を上げる者はいなかった。それにほっとした顔でウィオラーケウス、フラーウム、ルーフスがお互いを見やる。大丈夫そうだという確信をようやく得た一同は、それぞれの立つ柱の鉱石を砕いた。途端に中央の鉱石も崩れ去り、中に閉じ込められていたアルブスは力を収めて久方ぶりに外へと出てくることが出来た。
「もう暴走はおよし下さいね。私の兄様」
「ああ…すまなかったアルゲントゥム。プルルスも、人間を創った三人も、他の者たちも…申し訳ない」
周囲を見渡しながら、集まって来た神たちに向かって素直に謝罪するアルブスは随分と殊勝に見える。そして、ウィオラーケウスに手を引かれてやって来たアーテルを認めると、その目隠しを見て痛々しげに顔を歪めた。目の前にアルブスがいることを分かっているらしいアーテルは、静かに顔を上向きにする。
「…アーテル…美しい黒曜の目を潰してしまった、申し開きのしようもない、悪いことをしてしまった。貴方から空を奪ってしまったのは俺だ…」
彼女の自由な方の手をすくい上げ、涙声になりながらそう話すアルブスは心の底から反省していた。心の、自分でも見えない奥底で求めていた眼差しは、自らの光と熱で焼いてしまった。もう二度と見ることも見られることも叶わないその瞳に、彼はあまりにも大きな後悔の念に駆られた。しかし、もうどうしようもない。アーテルは哀れなまでにしおらしい弟分の柔らかい金髪をそっと撫でてやった。
苦しい表情が和らぎ、少し落ち着いたアルブスは照れたようにアーテルから一歩離れた。手が届かなくなったアーテルは無理に追うことはせず、すっと手をおさめる。ほとんどの神たちが状況を読んでいなくなった結果、この場に立っているのは四人のみとなっていた。アルブスは傍に来ていたカエルムを見て、哀しげに微笑んだ。
「カエルム、俺たちの末の弟。アーテルの心の空になってやってくれ」
「ええ、それはもちろん」
「新たな仲間が出来たなら教えてくれよ。盛大に祝福を送りたい」
新たな仲間。その言葉が意味するところを一拍おいて正しく理解し、カエルムが目を見開いてアルブスの顔を凝視すると、彼はにやりと悪戯っぽく笑った。カエルムの心の内を、彼は知っていたのだ。たくましい腕が伸びて来てカエルムの黒髪をかき混ぜるように撫でると、こちらを遠くから見ているアルゲントゥムの隣に歩いて行った。ぽかんと口を開けてそれを見送ったカエルムは、後から羞恥で耳まで赤く染まりあがった。それを後ろから見ていたウィオラーケウスのにやにやとした笑みを見なかっただけ幾らかマシかもしれない。彼女に手を引かれ立っているアーテルは、その様子を見えないまでも大人しく聞いていた。
「…
ふと呟く様にこぼれたウィオラーケウスの言葉にカエルムが振り返ると、アーテルはその形の良い唇の端を少しだけ持ち上げていた。カエルム、とその口が紡ぐのに反射的に彼が返事をすると、ウィオラーケウスと繋いでいるのとは反対の手を持ち上げた。それが何かを探すように彷徨うので、カエルムはその手に自分の手を重ねた。どうやら正解だったようで、アーテルは重ねられたカエルムの手を自分の頬に当てた。闇を司る彼女らしくひんやりとした、滑らかな肌触りが心地よくカエルムの手にある。それは、毎夜毎夜密かに撫でていた感覚と寸分違わず同じであった。アーテルの口が開く。
…カエルム、毎夜私に口付けを送ってくれたのはお前だろう…同じ触り心地だ。苦しい悪夢から突然美しい空の下に戻ってくる夢を見る時、必ず見えた翼はお前のものだろう。
美しい空をありがとう、空を司る子。そう締めくくられた彼女の言葉に、カエルムの胸は酷く締め付けられた。視界が狭まり、彼女しか見えなくなり、鼓動が速まっていく。今まで秘めていた想い、許しも得ずに触れていた勝手な行動に対する罪悪感、知られていた上でそれを受け止めてもらえた嬉しさと驚き…様々な感情が一気に押し寄せ、徐々に視界が潤み始める。震え始めた彼に気が付いたアーテルは、どうしたのかと言いながらカエルムの腕を辿って顔に手を伸ばした。その爪先が濡れる感覚を覚え、相手が泣いている事を知った彼女はそっと零れていく雫を拭ってやる。その雫の一つだけが、大粒の形を持ったものになってアーテルの手の中に転がり落ちた。
「…アーテル様、あ、アーテル様」
震える声を絞り出す。アーテルは一言も発さず、ただカエルムの頬を伝う涙を拭い撫で続ける。
「アーテル様…好きです、好きなのです」
漸く零れ落ちた言葉に、アーテルが泣かなくともよいのにと少し笑いながら応えてやる。しかし更に溢れて来る彼の涙を、彼女はカエルムの顔を引き寄せて唇で拭ってやることにした。
すっかり二人の世界なアーテルとカエルムを、いつの間にか遠くへ移動していたウィオラーケウスはどこか安心したように見守っていた。蜂蜜酒を甘いとは言えども、実のところは彼女ほど酒が好きじゃないカエルムが毎夜舐める程には、自らを追い詰めていたのをずっと見てきたのだ。父にルーフスを持つカエルムは実のところ激情型である。普段は母であるプルルス譲りのおっとりとした性格が目立つが、時には燃え盛る炎の様な強い感情を呈する彼は、正に日々移り変わる空模様の様である。
「…何はともあれ、一番いい結果に収まったと言えるだろうなあ。良かった良かった」
さてこの場に邪魔者はいらないだろう、と彼女は二人を背に歩き出す。外に出れば既に日は沈み、空には無数の『星』が輝いているのが見える。この後きっと一つだけ大きな『星』が増えるのだろうと思うと、何だか面白く感じた彼女は機嫌よく岩山を降りて行った。丁度良く一羽の鳥が飛んできたのを呼び寄せ、カエルレウムとウィリディスを海の近くへ呼び出すように言づけてから彼女も道を急いだ。何を語ってやろうか、多少は酒の肴にしても文句は受け付けてやらん、と足早に歩く彼女は非常に晴れやかであった。
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