Ⅷ、諍いの果て

 その日はよく晴れた青空が広がり、外で活動するには申し分ない日和となった。そんな心地の良い日に似つかわしくなく、カエルムは険しい顔をして飛んでいた。彼が目指すのは黒い岩肌が目立つ切り立った断崖が多い山脈で、遠くに微かに青くかすんで見えるそれはまるで剣が空に刃を向けているかのようだ。


 ふと風が下方から吹き付け、それに従い見下ろせば森の一角、木が無くぽっかりと空いた場所でエスメラルダが大きく手を振っていた。彼は来い来い、というようにカエルムを手招いている。それに何かを疑うことも無く素直に下降すれば、エスメラルダだけでなくウィオラーケウス、ウィリディス、インディクムが傍に立っていた。そして木々に隠されるように真っ黒な扉付きの箱のようなものが鎮座していた。それは随分と大きく、扉の小窓部分は分厚い布で閉め切られているため中身が何かは見ることが出来ない。


「もう中に?」

「ああ、いらっしゃる。初の試みだ、4人とも頼んだよ」

「おう」

「ウィオラーケウス、君はどのように?」

「私は大丈夫だ。もうすぐフラーウムがを連れて来るだろうさ、そのうちの一羽に乗せてもらうよ」

「それは心強いですね」


手短に会話を済ませ、ウィオラーケウスがその場を少し離れると共に4人が位置に着いた。ウィリディスが箱のようなものから根を生やし動かすことで開けた場所へ移動させ、一つの面に取り付けられた椅子のような部分に腰掛ける。その後ろ部分にも同様に張り出した箇所があり、そこにはインディクムがウィリディスのいる方向を向いて立った。エスメラルダとカエルムはその両側に立って手を添え、飛び立つ姿勢を作る。


「準備はいいかしら、お三方」

「ああ」

「いつでもいいぞ」

「姿勢も整いました!」


確認をとったインディクムは片手を上げ、合図をするかのように振り下ろした。微かな轟音が地面から鳴り響き、次の瞬間、地表から大量の水が吹き上げて箱ごと4人を押し上げた。それに合わせてウィリディスが箱の底部分を変形し船のように仕立て、それをエスメラルダとカエルムが両側から倒れないように支える。水の勢いは増し、やがて地上に生えた木々を遥かに超える高さまで浮かび上がった。不思議と水を被っているはずの木々は濡れることも無く、やがて高く盛り上がった水は波のように前進し始めた。


 次第に速くなっていく速度に、やや船が負けて左右に傾きそうになるのを何とか支えながら一行は進んでいく。あっという間に出発地と断崖の中間地点を通り過ぎ、上手くいきそうだとウィリディスが満足そうに頷いた。翼で飛ぶ分、箱に当たらないようにカエルムはやや上を行く。対して、エスメラルダはそれを補うように下部分を風で保護し続けている。いつの間にか両脇に生成されていた櫂が水を掻き、始めは不安定だった箱もだいぶ安定して進んでいた。






 やがて目の前まで断崖が迫り、ゆっくりと波は止まった。水量もそれに合わせて徐々に減少していき、最終的に水は全て見えなくなり箱舟は地面に着地した。


「…ふう、流石に疲れますわね」

「俺もここまでずっと何かを支えるのは初めてだ」

「ふむ、二人ともご苦労だったな。ここからは私が運ぶから先に合流していろ」

「僕はお供します」

「それがいいだろう、普段居る者が傍にあるだけで心は落ち着くものだ」


先にエスメラルダがあっという間に飛び去り、インディクムも崖に沿った一人しか通れないような道を地道に歩いていくのを見届けて、今度はウィリディスがインディクムの立っていた場所へ交代で飛び乗り箱に手を添えた。すると箱の底部分から太いつたが伸びて箱が持ち上がり、まるで虫の脚のようにうごめいて箱を動かし始めた。その様子を見たインディクムは一瞬ぎょっとした顔つきで横を通り越す箱とウィリディスを見た。その思いの外速い移動速度に、彼女はすぐに我に返って追いかけ始める。道を無視して崖を登っていく黒い箱を護衛するように、カエルムはすぐ傍を飛んだ。

 あっという間に目的の場所まで辿り着いた箱はやがてぽっかりと口を開けた洞窟の前で止まり、伸びていた蔦は丸く車輪状に変化した。それはゆっくりと回り始め、若干覚束ないながらも洞窟の奥へ進んでいく。どういう原理か、自ら光る鉱石が辺りを照らしているため、進むうえで特筆するべき問題は何もない。蔦の車輪によって運ばれていく黒い箱に手を添えながら歩くカエルムと、先導するように前を行くウィリディスは一言も発さず、車輪が石を弾く音だけが反響する。やがて沈黙に耐えられなくなったカエルムは、何か話題は無いかと記憶を探りながら声を絞り出した。


「ウィリディス」

「どうした」

「あ、ええと…」


大した話題も見つからず、咄嗟に声が出たカエルムはしどろもどろになりながら口ごもってしまった。それを見て何となく事の次第を察したウィリディスは、ふと一考して口を開いた。


「時にカエルム、お前はあの空に表れた『星』とやら、何も知らないのか」

「えっああ、はい、何も知らないですが…皆気になっているようですね」

「ああ、種族を問わず色々な噂で持ち切りだ。まあ夜空にあんなに目立つものが出来たんだからな、無理もない」


軽い調子で話しかけてくるウィリディスに、内心カエルムは気が気でなかった。実は犯人がカエルムと知っていて叱られるのではないか、もしくは呆れられてしまったのではないか、と悶々とした考えが頭を絶えず巡る。何も言葉を返すことが出来ずに黙っていると、先にウィリディスがまた話し始めた。


「色んなヤツに話を聞いてみたが誰も知らないと言う。唯一、ウィオラーケウスが意味ありげに首を振ったが…あれも終ぞ口を割らぬ。一番あれに近いのはお前だから、何か知っているかと思ったが…」

「あ…そ、そうでしたか」


ぎこちないカエルムの返事に、ウィリディスはなんとも言えない曖昧な表情を浮かべた。それが果たして、カエルムが何かを隠していることに気が付いたからなのか、はたまた別の事を想っての事か。図りかねたカエルムは気まずく思いながら、しかしこれ以上言えることも無いと進む道を真っ直ぐと見据えた。それを見たウィリディスも特にそれ以上言及することは無く、再び静かに進み始めるだけだった。




 二人が次に足を止めた時、岩山の中であるにしては広い空間には大きな岩の柱が立ち並んでいた。十の柱が円形に並んでおり、その中央に一際太い柱が立っている。周囲の柱と中央の柱どちらにも岩の柱に挟まれる様に鉱石が埋め込まれているが、中央の柱に埋め込まれた鉱石には何かの影が見える。それが、現在封印措置を取られた日の神であるアルブスだった。あまりにも太い柱のおかげで明るく発光する程度に収まっているが、これが何の障害も無ければ、この場のすべての目をあっという間に焼いてしまう強烈な熱と光で満たされることだろう。


「ああ、来たか。無事に来られたようで何よりだ」


出迎えたのは出立の際に一度別れたウィオラーケウスで、傍にはフラーウムも控えている。薄暗いこの場には、目を凝らせば他の神々も勢揃いしているのが見える。ウィオラーケウスは運ばれてきた黒い箱を軽い調子で四回叩き、それに向かって姉さんと呼びかけた。それに呼応するかの様に黒い箱はその形が解けるように消えて行き、そこに残ったのは黒い目隠しをしたアーテルだった。凛とそこに立ち続ける彼女をウィオラーケウスが手を引いて誘導し、十の柱が立ち並ぶ円状に丁度柱一本分空いた場所へ連れていった。そしてウィオラーケウス自身が紫の鉱石が埋め込まれた柱の下へ向かうのを見て、他の神もそれぞれの色をした鉱石の柱の下へ向かう。


「…揃いましたか」


現状、アーテルとアルブスを除くとこの場で最も高位な者はアルゲントゥムである。彼女の呼びかけに他の者たちが思い思いに応えると、中央の柱を除く全ての鉱石が光り輝きはじめ、その光は鉱石を離れると中央の柱へ一度に集中した。色とりどりの光が白に吸収され、やがて色の差が分からなくなってきた頃に、眠るアルブスが目を覚ました。

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