Ⅴ、相容れない者たち

 アーテルは相変わらずアルブスを探して空を飛んでいた。他の者たちのほとんどは自在に空を飛べる術は持ち合わせておらず、太陽の神であるが故に日の光が当たる場所にしかいない彼を探すのは中々骨が折れることである。彼を創り出したという責任感もあって、アーテルは先陣を切ってずっと追っているのだ。


 この日は天気が悪く、今にも泣きだしそうな雨雲が空の低い位置に広がっていた。この様な天気の中で翼を使った飛行は水分を吸ってしまい難しいため、どうしたものかと空を見上げていた。ほんの一秒経ったらすぐ雨になりそうだが、遠くからは雷の轟音ではなく魔法による戦争の地鳴りが聞こえてくる。一刻を争う事態になってきているのは明らかで、彼女は焦っていた。悲しそうな顔で人間を消すしかないかもしれない、と呟いたのはウィオラーケウスで、命を司る彼女にはあまりにも酷なことだった。わが子のようにその成長を見守ってきた彼女を泣かせたくない一心で、覚悟を決めた様に空をひと睨みすると、真っ黒な翼で飛び立った。






 しばらく飛び、今日のような気象ではアルブスもあまり自由ではないだろうと考えつつ居そうなところを転々とする。彼は飛行する術を持たないが、瞬間移動のような真似はできる。そこが最も厄介だった。


「アーテル様!こんな天気に飛んで大丈夫なんですか?」


よく通る声は後ろから聞こえてくる。一度止まって振り返ると、空と同じ鈍色の翼をはためかせながらカエルムが飛んできていた。水をたっぷり吸ったような重たい色とは裏腹に軽い調子で羽ばたいている。


「まさか今日もアルブス様のもとへ…?」


彼は表情が豊かで、その言葉の裏に何を思っているのか簡単にわかってしまう。それを比較的彼と一緒にいることが多い水を司るカエルレウムにからかわれ、頬を膨らませている様子は同族たちの間では有名だ。形の良い眉を八の字に下げ、目の前にいるのに下から見上げるような見つめ方をしてくる彼は彼女を心配しているようだった。しかし、カエルムにいくら言われようと人間たちが争いをやめてくれない限りは問題の根本的な原因を排除しなくてはならない。意思が固そうなアーテルの様子に、カエルムはため息ともつかない細い息を長く吐いた。


「じゃあ、僕もお供しますね。僕の翼なら天気は関係ないので」


柔らかく微笑みながらそう言った彼に、アーテルは気分が浮上した様だった。行く方向を指し示して互いに頷き、二対の翼が湿った空気をかいた。






 三か所ほど見て回り、次の場所へ行こうとしたとき。陽光の暖かさが溢れて来るのに気が付いたアーテルはその方向へ駆け出した。果たしてそこにアルブスは居て、丁度人間に何かを助言しているようだった。その手には自然物とは思えない質量があるものを持っている。傍らにはアルゲントゥムもおり、困惑したような薄緑の瞳が駆けてきた二人を捉えると一目散にやって来た。


「ああアーテル様、どうかアルブスを止めてください…」


焦燥に駆られたような声色の彼女はそうアーテルに縋る。


「アルブスは人間たちに戦争を焚きつけております、このままでは爆発物によってあらゆるものが消し飛んでしまう」

「なんですって、それは本当なのですかアルゲントゥム様」

「ええカエルム。空である貴方にすら影響するほどの威力です」


信じられない、と言うかの様に目を見開いたままカエルムが首を振る。アルブスはこちらの事に気が付いているはずだが、構わずに魔力のない人間たちへ戦う術を提供している。人間たちに、目眩ましを体に施したアーテルら三人は見えていないのだ。焦ったアーテルがアルブスの腕を掴み上げた。


「っ、何をするアーテル」


彼女の存在を認めざるを得なくなったアルブスは、ぶっきらぼうな言葉とともに掴まれた手を振り払った。ようやくその場に目の前の神以外の存在がいることに気が付いた人間たちは、恐ろしさからか蜘蛛の子を散らすようにその場から離れていく。それを阻止しようとした彼を、今度はカエルムが制した。


「アルブス様、人間たちに一体何を渡そうと?」

「お前には関係がないだろう。彼らは力を欲している、それに応えてやることの何が悪い?」

「その様な破壊しかできない物を与えて、貴方は何がしたいのですか」

「何も。戦う愚かな様が見たいだけだ」

「…なんてこと。アルブス」


カエルムの問に全く悪びれる様子もなく答えるアルブスに、アルゲントゥムが震えた声を上げた。絶句による沈黙が漂う。アーテルはもう猶予はない、とアルブスに歩み寄った。そして静かに、一瞬で自らが生み出した闇の塊でアルブスを取り囲んだ。取り乱す彼に、倫理観を取り戻すまで人間との接触の禁止としばらくの謹慎を言い渡した。この様な強硬手段に出ることは今までになく、闇の牢に捕らえられたアルブスだけでなくカエルムとアルゲントゥムも驚愕の色を浮かべる。この様に神を捉える能力はアーテル特有のもので、一番最初に生まれたが故にこの世界の均衡を保つ役目を持つ彼女に与えられたものだった。それは、4対の色鮮やかな翼をもつとの約束であり誓約。他の仲間たちと平等でありたい願望をもつアーテル自身はこの能力を疎んでいたが。


「…くそっ…!」


捕らえられた白い神は悪態を吐く。複雑な表情を浮かべた黒い女神は黒い球の様に見える牢を操り、カエルムに彼が取り落とした爆発物を持ってくるように言ってその場を後にしようとした。


「この俺が…謹慎だと!?」


突如アルブスの怒号が響き、それは地鳴りのごとくあたりを揺るがした。カッと白い閃光が闇の牢の内側から放たれる。それはあっという間に闇を食らいつくし、束縛を逃れたアルブスが飛び出してきた。彼が放つあまりの熱量と光に三人は目が眩み、その場に崩れ落ちて地を這う姿勢となる。まさしく太陽を司る者、アルブスが踏みしめた大地からは植物が焼け崩れ、全ての水分が蒸発し土壌を干上がらせた。その場に命が宿ることはもうないだろうという程の熱量は暴走して膨らんでいく。


「アーテル…お前を消してやる。思えばお前がいるからこの世界で君臨できない、思うように好きなことも、誰かを命づけることもできない。ならばお前が消えれば俺が支配者だ。闇が統べるよりも光が君臨するほうがふさわしいと思わないか?そして一番の信仰を手に入れ、この世界を俺の思うままに作り変えるのさ」


そう語る彼は、さも良いことを思いついたとでも言うように言ってのけ、両の掌に熱と光を集中させ始めた。逃げなければ、と彼女は頭ではわかっていたが、そもそも闇を司る彼女は光にそれほど強くない。まぶしすぎる光と闇の冷たさからは程遠いすべてを焼き尽くすような熱にてられてしまい、思うように動く力が奪われてしまっていた。遠くからカエルムとアルゲントゥムの逃げろという忠告が聞こえては来るが、もはや応えられやしない。


「さあ、俺にその座を譲れ。この世界の支配者の座を」


来る、避けられない。

アルブスの光と熱が顔を焼く。あまりの激痛に叫びすら絶えて、アーテルは目を閉じられずにそれを受けた。何も見えず、視界の裏が激しい点滅を繰り返しているのに酷く脳を揺さぶられたアーテルは、その場に倒れこんだ。嗚呼、逃げねば次の衝撃が来る。


「アルブス様、沈まれ、お父上」


しかし涼やかな、しかし意思の強い声が響き渡り、一瞬にしてアルブスの動きが封じられた。その場に飛んできたのは自在に飛ぶことができるエスメラルダと、彼に抱えられたカエルレウム。カエルレウムがアルブスの周囲に分厚く水を巡らせ、空であり気象をも操る能力を持つカエルムがそれを一瞬で凍らせたのだ。戸惑いからか熱量が一瞬落ち着き、その氷の壁によって熱は遮断できた。更にそのあとに続いてプルルスがやってきて、その周囲を土壁で覆うと光も遮断された。


「アーテル様!」


カエルムが名を呼ぶのを聞きながら、どうにかアルブスの暴走が止まったらしいことに気が抜けたアーテルは意識を手放した。

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