Ⅳ、”隣人”から”神”へ

 各々好きな場所に自分だけの領域を構えよう、という話により、12人の神たちはそれぞれが落ち着けたり、都合が良い場所を選んでその一角を覆い隠した。目的は人間からの認識がされないようにするためだけのため、必要最低限で良いという者はその領域を覆い隠すことだけして、あとは特に何もしなかった。こだわる者はとことんこだわって、一体どこから思いついたのか現代でいう城の様なものを築いた者もいた。


 その中で一人だけ、アルブスはこれをしようとはしなかった。人間にとって『神』という概念的な存在になることがお気に召さなかったらしく、『隣人』でありたがったのだ。理由としては人間たちから向けられる、彼らにはない強大な『創造力』を持つ神への羨望の眼差しが心地よいという単純で欲に濡れたものだった。


 アーテルはこれを良しとしなかった。他の神たちもそんなアルブスの行動に反対し、アーテルにどうにかするよう頼んできた。自由な行動を望んだエスメラルダですら、己を中心として領域を作ることに反対はしなかったのに対しての彼の行動はアーテルたちの目に余った。人間たちがいかに弱く、他の存在を恐れ、知識を持ちまた吸収することに長けているかを知っている者たちは、早くアルブスを人間から遠ざける必要があると主張し、自らも説得を試みていたが、全くアルブスの心には響かなかったようだ。






 アーテルはアルブスの扱いに困り果てていた。以前から論理的な考えをせず己の気分を優先するようになってきていたアルブスを説得するのは困難を極め、ついに彼女に対して聞く耳を持たずにアーテルの気配を感じると逃げるようになったのだ。これには彼女も諸手を挙げたくなった。一体何がきっかけでこの様になってしまったのか、残念なことにアーテルには全く覚えがなかった。連日の説得のための追跡や返ってくる心無い言葉にすっかり疲弊してしまった彼女は、何となしにふわふわと空中を漂うことが増えた。こんなにも響かない説得を続けて、果たして意味はあるのか。弱った思考で考えるのはそんなことばかりだ。


 そんなある日、何もすることなく空を眺めながら飛んでいたアーテルは何者かにぶつかった。その拍子にバランスを崩して顔が真上を向き、まともに太陽を見てしまったがために目が眩んだ彼女はそのまま落ちてゆく。相手は同族のようで、慌てた声で落下するアーテルを追いかけてきた。


「アーテル様!!」


大きな声と、急に落下を止められたことにより腕に走った衝撃に驚いたアーテルは思わず悲鳴を上げた。地面に叩きつけられることは免れたようで、頭上から降ってくる声は先ほどよりもいくらか穏やかだ。


「申し訳ありませんアーテル様、どこか痛みますか…?」


混乱の淵からようやく戻って来られたアーテルは、その声から相手はカエルムであることを察した。しかし眩んだ目ではきちんと顔を見ることが叶わない。目の様子がおかしいのだと気づいたらしいカエルムは少し弾みをつけてアーテルを浮かせ、そのまま横抱きにして一度地上へ降りた。そのままどこかへと駆けてゆく彼にアーテルは身を任せることにして、具合が戻るまで瞼を下ろしていることにした。






 カエルムが足を止めたのは暗い洞窟の中だった。暖かな陽光が差し込まずひんやりとした空気に、アーテルはようやく一息つくことができた。そっと瞼を開けると、目の前にカエルムの暗い中でもよくわかる鮮やかな青の瞳が揺れている。心配だ、と目だけで語る彼に彼女は思わず口元を緩ませた。息をのむ音がしたが、彼女がどうしたのかと声をかける前にカエルムが口を開いた。


「目、大丈夫ですか?すみません、よく前を見ていれば…」


申し訳なさそうに眉を下げる彼に、カエルムのせいではないと柔らかくなだめてやる。少し視線をずらすと、彼の背には真っ青な空と同じ色の翼が畳まれている。アーテルの視線に気づいたカエルムはよく見えるようにという配慮か、それを大きく広げて二人を包むように覆った。薄暗い洞窟の中ではあるが、この部分だけ空を切り取ってきたかのようだ。


「僕の羽、時間帯とかその日の天気によって色が変わるんですよ。今はまだお昼過ぎだし雲一つない晴れだから、真っ青ですね」


なるほど、と頷く。これまでカエルムの飛行する姿は何度か遠目で見る程度だったアーテルは、その背の翼が見えず、てっきり風の神であるエスメラルダと同様にカエルムも翼なしで浮くことができるのだと思っていた。だが、説明から空と常に同化するような色の翼であったのならば納得がいった。目が治ったことで彼の足の間に座りなおしたアーテルは、仕舞っていなかった自身の翼をカエルムのそれに並べるように広げた。真っ黒に塗りつぶしたような見た目の翼は、暗い色の岩石でできた洞窟の壁との境目が曖昧だ。


「アーテル様のは真っ黒で綺麗ですね。夜の時の僕の羽よりもきっと濃い」


どこか嬉しそうな響きを帯びたその言葉は、最近疲れていたアーテルの心を温かく潤した。今くらいは良いだろうと、忍び寄って来た眠気に身を任せて目を閉じる。そのまま抱えられるような姿勢で座っていたのをいいことにカエルムに寄りかかると、温かく包まれる気配に心地よさを感じながら彼女はあっという間に眠りの淵へと落ちていった。






 衝突からの落下事件後、アーテルとカエルムは翼をもつ者同士としてより親しくなり、行動を共にする機会が増えた。他の者たちに比べて一人で行動することが多いらしいカエルムは、普段からそれ程口数が多いわけでもなく二人してだんまりとしていることが多かったが、不思議とそれに対して不快感や焦燥感はなかった。


 問題のアルブスへの説得は相変わらず難航していた。あの一件からカエルムが同行している分、年長者としての矜持があるのか話を聞く姿勢はとるのだが、やはり自らが人間たちの生活に介入してやろうという考えは変わらないようだ。話もそこそこにその場を去ってしまうばかりで、埒が明かないと二人は頭を悩ませた。アルブスの配偶者としてよく隣にいるアルゲントゥムも時折諭すように話してくれてはいるようだが、と気紛れにエスメラルダが言いながら流れていくのはもう三回目だ。


「困ったな、このままでは争いが大きくなってこの世界を滅ぼしかねない」

「人間を作るのは間違いだったというのか…?」

「作ったこと自体は間違ってない!…と思う、頭のいい彼らをそそのかすような真似をするアルブス様が問題よ」


口々にそう言いあうウィオラーケウス、フラーウム、ルーフスはそろそろアルブスの傲慢で勝手な行動に堪忍袋の緒が切れるといった様子だった。それをおろおろとしながらなだめるカエルム、白い神の説得がうまくいかずに苛立ちが募り始めたアーテルの五人の会合はとうに二桁に突入した。というのも、徐々に人間たちの衝突が激しさを増し、魔力を持つ人間たちの攻撃が強力であるが故に大地が一部ぼろぼろだと大地の女神であるプルルスが嘆いていたのだ。地形にかかわる程にまで発展してきているとなると、連動するように植物、動物、水の流れなどあらゆるものが変わってきてしまう。それはいけない、と更に説得に躍起になっているのだ。


「でも、このままアルブス様を説得し続けて、本当に変わるのか?」

「…それは言ってはダメな奴だ。とにかく最善を尽くすしかない、そうだろう?」

「まあそうだけど、ねえ」


揃って三人が見た方向を、つられてカエルムも窺い見る。疲れたらしいアーテルはいつの間にか丁度いい具合に芝生が密集している場所で眠りに落ちていた。定住していないためにどこにいるかもわからない相手を探し、逃げる前にどうにか話を聞いてもらおうと話題の振り方を変えてみたりと、余程身体的な疲労も心労も蓄積していると見える。その顔は確かに元から白いが、輪をかけて健康的とはとても言えず目の下が黒ずんでいる。四人は互いに顔を合わせて溜息をついた。

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