第4話 契約

 ぐすぐすと鼻をすする私に、セイル様がハンカチを差し出してくださいます。

 私は申し訳なく思いながら、涙と鼻水をハンカチで拭きました。

 人のハンカチを使うなど初めてのことですけれど、下ろしたてのハンカチのようでしたので、それほど抵抗はありませんでした。



「も、もう大丈夫か? シチューのおかわりとか持ってくるか?」


「ふふ、もう大丈夫ですわ。取り乱してしまってすみません」


「そうか。なら良いのだが……」



 セイル様の持ってきてくださったたくさんの物に囲まれて、私の心は決まっていました。

 ハンカチを握りしめ、私は、一つ息を吐いて言葉を紡ぎます。



「セイル様、私、貴方と契約しますわ」


「えっ、本当か!?」


「ええ、ですが契約と言っても、何をすればいいのか分かっていないのですけれど……」


「オレ様に時々魔力をくれればそれで良い」


「それだけですか?」


「うむ。あ、それとオレ様はものを運ぶのが得意なのだ! だから、今みたいにオレ様が運んだものを喜んでくれたら嬉しいぞ!」


「あはっ、あはははは!」


「な、なぜ笑うのだ! 何か変なことを言ったか?」


「いえ、ふふふ、失礼しました。セイル様のお力はとても素晴らしいですわ」


「そうであろう、そうであろう。そうだ大事なことを忘れておった。契約の条件を確認しよう。オレ様はお主が死ぬまで魔力を定期的に供給してくれれば問題ない。命を取ったり、お主の嫌がることはしないと誓おう。代わりに、お主にオレ様の力を貸すということで」


「まぁ、私の希望も聞いてくださるのですね」


「当たり前だろう。人間界で活動する悪魔には色々と縛りがあるのだ。たまにそういうのを無視して勝手に振る舞う悪魔や人間もいるが、オレ様には無理だな!」


「そうなのですね。さきほどセイル様がおっしゃった条件で問題ありませんわ。よろしくお願いいたします」


「うむ! では血の契りを交わそう」



 セイル様は自分の親指に歯を立て、血を出しました。

 私はどうしたらと戸惑っていると、セイル様が爪を尖らせ、私の親指にも小さな傷を付けてくださいました。

 私たちはお互いの親指を重ね合わせ、血を混ぜ合わせます。

 セイル様にも心臓はあるのでしょうか。

 とくとくと、いつもより早い鼓動が、私だけのものだったとしたら、少し恥ずかしいなと思いました。

 セイル様が聴き慣れない言葉で何やら呟くと、触れ合っている場所が一瞬光り、私の中にセイル様の気配を感じます。

 触れ合っていた親指が離れても、それは変わりません。



「できたぞ。これで我らは繋がった」


「不思議な感覚です」


「うむ、オレ様の中にもお主の魔力が感じられるぞ。確かに奇妙な感覚であるな」



 誰よりも、何よりも深く繋がっている感覚。

 これは、悪魔の罠なのでしょうか。

 こうして人間を虜にしてしまうとか。



「オレ様、あまり人間と契約したことがないからな。詳しいことはよく分からんのだ」


「そうなのですか?」


「うむ、周りがどんどん契約して自慢してくるものだからな、オレ様も負けたくなかったのだ」



 それで、あんなに必死だったのですね。

 私はまたおかしくなって笑ってしまいます。

 下唇を突き出して、拗ねるようにセイル様が私を睨み、それもまた可愛らしく思えてしまったのでした。

 罠でもいい。

 こんなに笑ったのは生まれて初めてなのですから。

 セイル様が、誤魔化すようにフォークにケーキを乗せて私に差し出してくるのを受け入れながら、私は自分の選択に間違いはないと、そう感じていました。





 気付けば明かり取りの窓の外は暗闇に包まれていました。

 小さく切り取られた空には、星の一つも見えません。


 私は二階の洗浄をすることにしました。

 セイル様は、大量に運んできてしまったものを地下に片付けてくれています。

 食べ物などの傷んでしまうものは、後で地獄に持って帰るとおっしゃっていました。


 塔の壁に沿って螺旋階段を登ると、塔の半分くらいを埋めるように部屋があります。

 そこには粗末なベッドが一つだけ置いてありました。

 私が洗浄を終えると、様子を身にきたセイル様が顔をしかめます。



「なんだこのベッドは。こんなものに寝てはお主の柔肌が傷付くではないか! 少し待っていろ」



 セイル様は粗末なベッドを持って消えてしまいました。

 そして、すぐに大きなベッドを持ってきてくださいました。

 布団もふかふかで、太陽の香りがします。

 ついでにと、椅子も一脚持ってきていて、それは一階で私が座る椅子なのだそうです。


 他にも何かいらないかとセイル様の目が訴えているように感じられて、私はお願いをすることにしました。



「では、ティーテーブルと、椅子を二つ。茶葉と、ティーセットをお願いできますか? 私、セイル様とお茶が飲みたいです」


「おお! 任せておけ!」



 セイル様は喜び勇んで消えました。

 本当に、物を運ぶのが得意なのですね。

 それにしても、これらの物は一体どこから持ってきているのでしょう?

 まさか泥棒……?



「きちんと代金は払っておるぞ。地獄にはな、人間の作るものが気に入って、それらを真似して作ったりする奴らもいるのだ」


「きゃっ!」


「ああ、すまぬ。驚かせたな」



 びっくりしました……。

 地獄の皆様についても驚きましたが。

 ではこのベッドも、可愛らしいティーカップも悪魔の方が作られたのでしょうか。

 意外です。

 地獄に太陽があるのかと疑問に思っていると、そういう場所もあると教えてくださいました。

 地獄、すごいです。



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