11話「おぬしは、考古学者なんじゃからな」
少女に手を繋がれた大佐は突如として姿を消し、数分後に再び姿を現した。仲良く手を繋いで。
戻ってきた大佐は額に脂汗を浮かべ、部下の前に一瞬だけ取り乱した表情を見せたが、すぐに取り直し作戦変更の指示を出した。
すなわち、ヴァイスマン教授の代案を受け入れること。
〈葬火焔〉術式の構築を中断し、竜墓修復による魔素源無害化へ方針を即座に切り替える。取り急ぎ、上層全周の土砂を撤去し石扉を露出させる。
突然の方針変更に部下たちは戸惑ったが、ヴァイスマンの直訴をその場で聞いていたこともあり、その意義と手法についてはすんなりと受け入れることができた。
そして、ヴァイスマン教授には損傷個所を洗い出すことを目的とした調査活動の再開を許可した。
「い、いったいなにをしたんだい、ミヤビくん」
「なに、おぬしの説得に一押ししてやっただけじゃよ」
アンドレもまた喜びの声を上げ、ヴァイスマンの手を取った。
「なんか……よくわかんないっすけど、よかったっすね! マジでよくわかんないんすけど……」
訝しげな視線の先には鼻を高くして胸を張る少女の姿があった。
「さて、まずは上層から精査しよう。下層は魔物が狂暴だからね。上層の魔力経路が修復されることで下層の安全性も増すはずだ」
損傷箇所を調べる方法は二つある。
①残留魔素年代測定。「1900年前」など、0年でない数値が出た場合はそれ以来魔力が通っておらず、どこかで経路が滞っている可能性がある。
②目視。ただし、これは必ずしも正確ではない。目で見てわかりやすい損傷もあるが、僅かな汚れが機能障害に繋がっていることもある。また、大きく損壊しているようで魔術的には問題のない場合もある。
修復が成功であるかどうかは、実際に修復してみて結果を見るしかない。
教授は測定器を可能なかぎり持参し、兵士たちにも支給した。繊細な扱いは要求されるが、数分の講習で誰にでも使うことができる。ヴァイスマンの別働隊としてはアンドレ准士官に指揮を一任した。
結果、二十二箇所の損傷を発見。うち、致命的な四箇所を絞り込むことができた。
「あ、待てよ。もしかして……そうか、なるほど」
立ち寄った壁画の間にて、ヴァイスマンは手を打った。見つめる先は左端の黒竜である。
「黒三号。原料はいったいなんなのかと思っていたが、これは角だ。竜の角が用いられている。あの色と同じ色だ……!」
これには、さすがの雅も呆れ果てる。
「あのなあ、教授。今はそんな場合じゃないじゃろ? 竜の活性化もだいぶ迫っておるからな?」
「あ、うん。いやごめん。ついね……」
ケスラーがヴァイスマンを退けたのも、ある意味で正しかったのではないかと思えてきた。
「さて、次は下層か。本腰を入れないとね」
下層は広く、根幹でもある。把握している損傷箇所の一つは天井近くにあり、修復作業も難しい。もっとも、魔物が少々狂暴なくらいでは雅がいる以上大して問題にはならない。要するに神の加護を受けているようなものだからだ。もっと崇め奉るべきなのだ。
軍の用意した縄梯子を伝って教授は下層へと降りた。いや、わしの力を使えばそんなんいらんのじゃが? と雅は思った。
「なんだか、何度来ても寒気がするね……」
「そうじゃろうな。また魔素が濃くなっておる。取り急ぎ、発見できておる箇所だけでも修復作業に移るべきかもしれんの」
「いや、寒気というより、感動かな……胸の底から打ち震えるような……」
「…………」
前回は比較的早く玄室を発見してしまったがため、下層の構造図は不完全なものに終わっている。ただし、以降は軍が術式構築のため探索を進めていたため完全な地図が手元にある。
「そうだね。ひとまず、一箇所心当たりがある。あの場所を直すだけでかなり変わってくるはずだ」
向かった先は、測定結果が「1900年前」となった先、そして「0年」の数値が出た境目である。改めて天井を眺めると、そこには深い亀裂が刻まれていた。
「ほう。あれか。うーむ、なるほどのう」
「なぜあれが致命的な損傷になっているのかはよくわからないんだけど……」
「なに、そんなこともわからんのか? あの亀裂が上層まで通じておるからじゃ。“扉”以外が“出口”となっておるために経路が崩れておるのじゃよ」
「な、なるほど……! いやすごいね、ミヤビくん」
「そうじゃ。わしはすごいんじゃ。そのうえ可愛い。途方もないほどにな」
さっそく作業に取り掛かろうとヴァイスマンは重いリュックを床に置いた。が、困った、という顔を浮かべていた。
「脚立も持ってくるべきだったね……こういうところで準備が甘いな、僕は」
「いらんいらん。わしがおるじゃろうが」
ふわり、と教授が宙を舞う。そのまま該当の損傷箇所に手が伸びる位置まで高度が調整された。
「わわわ」
「高い高いじゃ」
ただ、肝心の道具が手元にないため損傷箇所に手が届いても意味がない旨を、ヴァイスマンは申し訳なさそうに伝えた。
「ええい、道具も同様に浮かべてやる。なにがいるんじゃ?」
「シャーフハウゼン・セメントを使う。バケツに粉末と水を入れて混合して欲しい。それからコテと、ああ軍手も――」
思ったより大変だった。リュックの中身はギチギチに詰まっていた。教授は別にいったん降ろしてもよかったと思った。
そして、一時間ほどの作業を経て修繕は完了する。途中で何度が魔物が襲ってきたが、雅には欠伸の出るような相手だ。あとはセメントが乾くのを待つだけである。
「うむ。これなら早く済みそうじゃの。〈葬火焔〉術式とやらよりよほど早いのではないか?」
「どうだろう。迷宮術式を修復する方法の問題は、結果が見えにくいことにあるからね。修復が完了したからといってすぐに沈静化するわけではない。もしうまくいってなかったら――と手に汗を握る期間が発生してしまう。その意味で、やはり不確実なんだ」
「弱気じゃの〜。そんなだからケスラーを押しきれんのじゃ。もっとこう、絶対できる! 確実! お前たちのより遥かに早い! とか、はったりでもかければよかったんじゃ」
「いや、そんなのが通用する相手じゃないよ。大佐は」
「そうかのう〜? あやつの方はわりとはったりで乗り切ろうとしておったところがあるぞ? なーにが“気持ちはわかる”じゃ」
「でも、結果として大佐は折れてくれた。ミヤビくんが後押ししてくれたおかげだ」
「それはそうじゃな。ちょっとわしの力が絶大すぎたな」
「うん。ありがとう。……なにをしたのかは、よくわからないけど」
そうして調査を進めているうちに、二人は再び玄室の前に辿り着いた。黒い破鋼石によって包まれた、竜墓の核。厳かな雰囲気に、ヴァイスマンはただ外から眺めているだけで息を呑んだ。
「のう、少し覗いてみんか。のう?」
「え?」
そういった役割はむしろ自分の方にあると思っていたヴァイスマンは、意外そうな声を出した。
「い、いや、でも危険じゃないかな? 活性化も進行しつつあるみたいだし……」
「そうはいっても見たいじゃろ。特に、魔物化している竜の姿が見られるのは今だけかもしれんからな」
そういわれるとヴァイスマンも弱い。結局は好奇心を抑えられない子供なのだ。
(ヴィルめ。まったく、変わり果てた姿になったものじゃ)
全長12mにもなる巨大な黒い竜は、ときおり低い唸り声のような音を鳴らし、玄室で身を丸めて横たわっていた。
瞳は閉じている。眠っているのは確かだが、鼓動が聞こえてくるような生命力がある。実際、玄室に足を踏み入れるだけで確かな熱が感じられた。
頭部には左右に二本の大きな角、うち左の角は先が欠けていた。その間には三本の小さな角も生えている。さらには、背骨から生えるように骨質の棘が頸部から尻尾の先まで連なっている。その数をかぞえ、壁画の再現度の高さにヴァイスマンは感心した。
(苦しそうじゃな。少し待っておれ。墓の修復が完了したなら、より安らかに眠らせてやる)
その身に過剰な魔力を宿すものは、死後変化の自己融解による分解作用が追いつかずに魔物と化し、魔素を発生させる源となる。そして、一度その状態になってしまったなら、たとえ魔物と化した死骸を消滅させたとしても魔素源はその場に定着し、以後も魔物を発生させ続ける。
これは竜とて例外ではない。というよりは、竜ほどの魔力を持たなければ滅多に起こりえない現象だ。彼女はこの世界にとってもともと異物であり、不自然な、過ぎた力なのである。
「これからが忙しくなるぞ……!」
竜を前にし、滝のような汗を流して、ヴァイスマンは声を震わせた。
「竜は少なくとも十二体いるんだ。つまり、この規模の竜墓があと十一基はあるはずだ。総力を挙げて捜索しなければ……!」
(あ、そういう解釈になるんじゃな)
真実は異なる。竜は一柱しかいない。ヴィルヘニウムの一柱のみだ。
ただ、彼女は姿を変えて何度も人々の前に現れていただけだ。竜の実在を示す痕跡がこれまでほとんど発見できなかったのも、ただ一柱しかいなかったからである。
「ふふ。楽しいね、ミヤビくん。結局のところこれなんだよ」
「ほう?」
「“考古学にはなんの価値があるのか”とか、“なんの役に立つのか”とか、そんなふうに聞かれることはたびたびあった。まあ、学問にも“現実的脅威”として予算の問題があるからね。そのたびにもっともらしい答えを捻りだしてきたものさ。でも、結局本音は一つだ」
大人の図体をしていても、それがヴァイスマンの本質だ。
「“楽しい”からだよ。ただ“知りたい”からだ。そして、できればみんなと共有したいね。遺跡を保全して、いろんな視点からいろんな角度で分析したい。そうすれば、きっとわかるはずだ」
ケスラーを前にしては言い出せなかった本音だ。それを聞き、雅はただ優しく微笑んでいた。
「おっと、あまり長居はできないね。仕事に戻ろう。ケスラー大佐に怒られる」
「これが仕事じゃろ? おぬしは、考古学者なんじゃからな」
「まあね」
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