10話「じゃが、わしには届いたぞ」

「ヴァイスマン教授。この迷宮はすでに第一級危険区画に指定されている。民間人はお帰り願いたい」


 それが、教授の姿を見るなりケスラーの放った一言である。

 強固な鉄のように揺るぎない。その態度には、強い意志で臨んでここまで来たヴァイスマンを思わずたじろかせるものだった。


「……手紙は、お読みいただけてないようですね」

「ああ。申し訳ないが、今は一刻を争う事態なのだ。貴殿と話す時間も惜しい」

「魔素源を無害化する、もう一つの計画プランがあります」


 話を聞くつもりのないケスラーに対し、ヴァイスマンは単刀直入に彼の興味を惹く言葉を選んだ。話を聞いて欲しいと懇願するのではなく、話を聞く価値があることを示したのだ。

 ケスラーの表情が変わった。大方、彼はヴァイスマンのことを感情的な言葉を並べるだけの陳情にでもやってきたのだと侮っていたに違いない。だが、教授は“理”で武装を固めてここに立っている。これまでの研究を集結し、現実的な対案を示すだけの根拠を持っている。

 一方、雅は軍ですら容易くは仕留められない黒鉄の蜘蛛を一撃で無力化した謎の天才魔術師には興味を抱いたりはせんのかのう〜、とチラチラ大佐の顔色を伺っていた。


「聞かせてもらおう。手短に頼む」

「まず、前提として――竜はなぜ、二千年近くものあいだ不活性状態にあったのか。なぜ今になって目覚めようとしているのか。それは、この竜墓に魔物化を抑制する機能が備わっていたからです」

「ほう?」

「お時間をあまりいただけないようなので、結論を言います。竜墓を修復し、本来の機能を取り戻したのなら、魔素源は無害化することができるのです」


 そこまで聞き、ケスラーは顎に手を置いた。数秒、沈思黙考し、そして尋ねた。


「……本来の機能、か」

「他の王墓も同様です。魔素拡散機能については実証データも揃っています」

「わかった。その詳細については、貴殿を信頼しよう。具体的にはなにをすればいい? 工数はどれだけかかる?」


 アンドレの言ったとおり、ケスラーは話せばわかる人物だ。相手の立場を尊重し、理解しようとする姿勢を見せる。そもそもの発端として、教授に調査を依頼したのもアンドレの嘆願を聞き受けたからに他ならない。


「まずは、竜墓を掘り出す必要があります。掘るといっても、現在露出している入口のように、残る三つの入口を露出させるだけです。つまり、上層の全周を掘り出す形です。手間はかかるでしょうが……」

「なるほど。それだけの作業であるなら……早くて二日か。遺跡の外であるなら魔物の妨害の心配もない。他には?」

「迷宮術式の魔力経路をいくつか修復しなければなりません。前回の調査で把握できているのは、少なくとも上層で八箇所。下層で二箇所です。ただ、これについてはまだ未発見の損傷箇所が残っている可能性があります」

「なるほど。それは現在我々が進めている〈葬火焔〉術式と同程度には困難だろうな。魔物の妨害を受けることになる」

「はい。その点は……」

「で」


 ケスラーの声が、低く、重く響いた。


「成功確率はいかほどかね」

「……それは、難しい問いかけです」


 ヴァイスマンは言葉を詰まらせた。想定外の問いだったからではない。ケスラーに気圧されていたからである。


「竜墓の保存状態は極めて高い状態です。機能不全に陥っていたとはいえ、竜を不活性状態に保っていたことからもかなり高い確率で――」

「100%、ではないのだな?」


 空気が、凍りつくような一言だった。


「……はい。ただ、“確実”だと断言できないのは竜墓の損傷状態をまだ完全には把握できていないからです。ただ、保存状態は極めて高いため修復箇所はかなり少ないかと……。詳しくは、これから調査を許可いただければ……」

「悪かった。学者である以上“100%”などとは迂闊には口にできぬだろう。質問の仕方を変えよう。現在進行している作戦――〈葬火焔〉術式による滅却と比して、成功確率や安全性は高いといえるかね?」

「……それは」


 またしても難しい質問であった。〈葬火焔〉術式についても改めて調べている。発動に成功すれば、遺跡と魔素源ごと竜を滅却できるのは確実だろう。これまで幾度も実証実験の重ねられ、その信頼性は高い。まず、その点が重い前提として立ちはだかる。


「失礼。またしてもあまりよくない質問だった。恥ずかしながら、見ての通り我々の作戦もかなり手こずっている。進行度はまだ二割にも満たない。だが、逆にいえばそれだけは進行している。それを今さら別手法に切り替える理由メリットはあるのかね」

「遺跡が、保全できます」


 ヴァイスマンは、力なく答えた。


「遺跡の保全か。たしかに、有意義ではあるだろう。この遺跡に重大な価値があることはよくわかる。だが、同時に重大な脅威なのだ。なにより問題なはその脅威をいかに排除するかということだ。その手法が二つあったとして、成功率が同程度なら現行案から切り替える理由はない」

「……〈葬火焔〉の術式構築にかかる期間は、最短で一か月とおっしゃいましたね」

「ああ。そして、おそらく……最短では済まないだろうと覚悟している」

「修復作業は二週間です」


 暑いわけではない。むしろ、静かに冷たく沈んだ空気のなかで、ヴァイスマンは額に粘り気のある汗を浮かべていた。手足が痺れ、足元がおぼつかない感覚すらあった。持論を補強する確かな強みを打ち出せたはずが、不安が消えなかった。


「なるほど。たしかにそれは魅力的だ。しかし……一つ気にかかっている点があった。詳細な原理については貴殿を信頼するとはいったが、私にも魔術の心得はある。聞かせてもらおう。迷宮術式による魔素源の無害化には、どれくらいの時間がかかる?」


 痛いところを突かれた気がした。

 その点については手紙にも記していたし、説明するつもりでいた。ただ、その機会を逃していただけだ。そのため、持論に不利であるかゆえにあえて黙っていたような――そんなバツの悪さを覚えた。


「短くて、数十年。長ければ百年ほどはかかると試算の結果が出ました」

「ほう」


 それを聞き、ケスラーは自らの顎を撫でた。


「つまり、仮にうまくいったとしても――それだけの期間、キャザウッドは地下に爆弾を抱えるということかね」

「いえ! そのようなことは……。竜墓が正常に機能すればその時点で魔素拡散が起こり、竜の活性化は抑制されます。魔物もすぐに大人しくなるものと……」

「すぐに?」

「数週間ほどで……」

「ふむ」


 ケスラーはヴァイスマンの進言を頭から否定しようというのではない。思った以上に現実的な代案があったために、真剣に現行案と比較検討して考えている。彼の表情からもそのことは読み取れた。

 しかし。


「やはり、貴殿の案は不確定要素が多いと言わざるを得ない。この竜の王墓は従来知られているものより遥かに巨大なものなのだろう。つまり、前例がないということだ」

「……はい」

「竜について、というよりは魔物については貴殿も専門ではないはずだ。竜がいつ完全な活性状態として目覚めるのか。そして、その脅威はどれほどのものなのか。未知の要素は多い。貴殿の代案プランが、その点で〈葬火焔〉に勝るものとは思えない」

「上手くいきさえすれば、作業自体は速やかに終わります……!」

の確認に時間を要するのが問題なのだ。術式構築が完成さえすれば成功が見込まれる作戦と、“成功したかどうか”が曖昧なままになる作戦。私は前者をとらざるをえない」

「しかし……!」

「……誤解しないで欲しい。私も、遺跡の文化的・学術的価値には理解を持っているつもりだ。これだけの発見が失われるのは惜しい。だが、民の安全はそれ以上に重要なのだ」


 ケスラーはそういい、背を向けた。代わりに彼の部下が遺跡の出口まで案内すると駆け寄ってきた。


「大佐……! あなたも、あの壁画を見たはずです! あの壁画を見て……なんとも思わないんですか!」


 大佐は足を止める。しかし。


「……ああ。実に美しい壁画だった。壁画だけでも切り出せれば、とは思わなくはない。だが、雑事に惑わされて作戦の成功率を下げることはできない」


 万策尽きた。大佐の心を動かせるだけの実利メリットを提示できなかった。ヴァイスマンにとって遺跡の保護はなにより重いものだが、ケスラーにとってはそうではない。その差を埋めることができなかった。


「先生。残念ですが……」


 アンドレもまた、涙ぐみながらヴァイスマンに声をかけた。ヴァイスマンは膝から崩れ落ちるような敗北感に襲われていた。


「まったく。少しはわしを頼ってもええのではないか?」


 それは、ヴァイスマンの後ろで沈黙を守っていた少女の声であった。ヴァイスマンが懸命に訴える様を、その背後からただ見守っていた少女である。


「どれだけ言葉を重ねても届かん断絶というものはある。どうあっても理解の得られん人間というのはいるものじゃ。というか、教授。おぬし異常じゃからな。異常者の言葉は届かんものじゃ」


 なぜか辛辣な言葉を浴びせられ、ヴァイスマンは呆気とられる。だが。


「じゃが、わしには届いたぞ」


 次に続く言葉は力強く。


「あとは任せい」


 ケスラーの元へと歩き出すその背は、少女の見た目に似つかわしくなく、妙に頼もしく見えた。


「ん? なんだ。君は……ヴァイスマン教授の、助手だったかね」

「そうじゃ。わしからも少しよいか?」

「結論は出たはずだ。悪いが――」

「よいから、少し手を貸せい」


 瞬間、眩い陽光がケスラーを襲った。

 立っているのは薄暗がりの迷宮ではない。地平まで続く鮮やかな緑の草原であった。


「な……っ!?」

「あやつは、ここに来て一目でどこか言い当てたぞ。おぬしにはわかるか?」

「な、なにを言って……」


 理解できぬのも無理はない。〈転移〉魔術の単独発動は現代でも不可能であると結論づけられている。魔術について深い知見と経験があればこそ、その常識は確固たるものとして聳え立っている。

 だからこそ、軍はトンネル工事による地下輸送網を必要としているのだ。


「馬鹿な……〈幻影〉か? いや……現実、紛れもなく現実だ……。ならばなぜ、〈転移〉先に法陣維持の術師がいない?!」

「ほれ、標を置いてある。一度徒歩で辿り着いた先なら好きなだけ飛べるぞい」


〈転移〉魔術そのものはケスラーの常識にも存在する。ただ、そのためには「移動元」と「移動先」の両者で法陣を展開し続けていることが条件となる。その維持のためには術師が四六時中つきっきりでなければならない。つまり、優秀な魔術師を数名ローテーションで拘束することになる。さらにいえば、「今から〈転移〉する」という連絡も必要だ。

 以上から、軍事的観点から見て〈転移〉魔術は実用的なものとはみなされていない。魔術師の資質に左右されることのない鉄道の方がよほど優れた輸送手段なのである。

 だが。


「〈転移〉魔術の……単独発動だと?!」


 だが、これほど容易く〈転移〉が実現できるのであれば、すべての前提が崩れ去る。


「交換条件じゃ。ヴァイスマン教授の対案プランを採用しろ。そうすれば、お前たちにこの〈転移〉魔術を伝授する。なに、習得はちと厄介じゃが、おぬしほどなら数日で同じことはできるじゃろ。ちまちまトンネルなど掘る必要はない」

「…………ッ!!」


 声が出ない。あまりに偉大なる雅の魔術を前に、あれほど上から目線だった眼帯髭がおそれをなして萎縮している。


「あ、そうじゃ」


 ふっ、と雅の姿が消える。数秒後、再び姿を表す。ただし、その手にはヴァイスマン研究室より持ち出した迷宮構造のミニチュア模型があった。


「むろん、重量物も運べるぞ。軍事目的に利用するなら兵站とかじゃろ? 食糧でも武器でも好きなだけ運ぶがよい」


 ケスラーは息を呑んだ。あまりにも重い実利を伴う圧倒的な対案を前に、ただ腰を抜かしていた。

 

「な、なにものだ。貴様はいったい……なにものなのだ!?」

「わしか? うーむ、おぬしらの言葉でいうなら、そうじゃの――」


 言い淀んだのは、なんというべきかを悩んだからではない。顔の角度だ。どの角度で台詞を発すれば最もかで悩んでいた。そして、陽光が逆光となってより美しく映える最高の角度を見つけ出し、雅は答えた。


「わしは神じゃ」

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