9話「さて、話を聞いてもらおうかの」

「てっきりお帰りになったとばかり……こんなに早くまたお会いできるとは思ってなかったっす!」

「いや、まあ、はは……」


 王立学院とキャザウッドは気軽に往復できるような距離ではない。「教授はまだキャザウッドに滞在していた」のだとアンドレが考えるのも無理のないことだった。

 実際には雅の〈転移〉魔術のなせる業である。ちなみに〈転移〉魔術の単独発動は今の世においてなお過ぎた力であることが判明し、雅は念のためヴァイスマンに口止めをしている。もし世間的に発覚すれば途方もなく厄介なことになる気がしたからだ。


「さっそく本題で悪いけど、大佐は手紙をお読みいただけただろうか」

「手紙っすか?」

「ああ。もう届いてはいるはずだけど」


 というより、基地に直接投函している。郵送よりその方が早い。


「どうっすかね。あれ以来ずっと術式構築の指揮にかかりっきりみたいっすから……めちゃくちゃ忙しいみたいで」


 彼らが待ち合わせをしたのは基地の近くにある喫茶店である。アンドレも制服のまま、昼休みの合間を縫って会ってくれている形だ。


「やはり直訴しかないか……うーん、アンドレくんにあまり無茶は頼みたくないけど……」

「直訴ってなんすか。なにかあったんすか」

「それがね――」


 ヴァイスマンは大佐にも送った手紙の写しを見せた。

 その内容は竜墓の役割についての説とその立証。そして、竜墓を本来の機能を取り戻す形で修復できたなら〈葬火焔〉による破壊は免れるという内容だった。具体的な手法についての計画も草案として付記している。


「……すごいじゃないっすか。そうか、迷宮構造にはそういう意味が……じゃなくて、これならあの遺跡を壊さずに済むんすよね?」

「そのはずだ。そのはずなんだけど……」

「ぜひ協力させてください! 大佐も……顔は怖いっすけど、話せばわかる人です! さっそく声をかけてきますね!」

「あ、ちょっと」


 という間に行ってしまった。善は急げとはいう。清々しい好青年っぷりにヴァイスマンは胸を打たれていた。ちなみに、雅は隣の席でちびちびとジュースを啜っていた。


「無理じゃと思うぞ。あれではな」

「え?」


 ひとまず安心だと胸を撫で下ろしていたヴァイスマンに、冷や水を浴びせるような言葉がかけられる。


「ケスラーという男、あれはかなりの堅物じゃ。ああいった手合いは、一度と決めたことを滅多なことでは覆したりはせん」

「そうかな……。アンドレくんのいう通り、大佐は悪い人ではないとは思うけど」

「悪人ではなかろう。やつの動機はこの国を、この街を、民を守ることじゃ。それが達成できるなら、なぜ手段を変える必要がある?」

「そうか。軍にとっては脅威を取り除けるなら同じことなんだ……。であれば、より確実な手段を選ぶ」

「そのうえ、途中までは進行しておる計画じゃからの。手紙程度では読んだとしても“めんどくさい”で切り捨てられて終わりじゃ」

「だったら……」

「直訴するしかあるまい。強行突破じゃ」


 ***


 迷宮は深い闇に閉ざされている。

 ゆえに、その探索には光源ランプを外部から持ち込む必要がある。彼らは多くのランプを持ち込み、通路の各所に設置した。それでも、下層は通常の九倍もの広さを持つ巨大な迷宮だ。薄暗がりであることに変わりはない。繊細な作業である術式構築には大きな困難が伴った。


「大佐。D3での基礎構築が完了しました」

「ご苦労」


 甘い見通しだった。

 一ヶ月で終わるだろうと思っていた。だが、迷宮での術式構築は想像以上に苦労の連続だった。術師を多く動員すればよいというものでもない。一度連絡が滞れば指揮系統に乱れが生じ、立て直しに時間を要する。構築にわずかなミスが発覚しやり直しになることもあった。

 そしてなにより、のだ。


「敵襲! 蝙蝠型、六体!」


 迷宮の広さゆえに魔物も大型化する。襲来したのは蝙蝠の魔物。翼を広げた全幅が2mにもなる。吸血性であり、一度の捕食で人間から致死量の血液を奪い取る。鋭い牙と、高い機動性を誇っている。


「構え」


 ケスラーは八人の部下に指示を出した。彼らは小銃を構え、狙いを定めて発砲の合図を待つ。


「待て。まだ引きつけろ。まだだ……撃て!」


 高速で飛翔する魔物を、彼らは的確に撃ち抜いた。ケスラーの指揮と、日頃の訓練の賜物である。


「……一向に数が減らんな。発生速度に対し駆除が追いついていないのか?」

「可能性はあります。竜が活性化するにつれ魔物も狂暴化していますから」


 魔素源を絶たぬかぎり魔物は発生し続ける。だが、対症療法としての魔物の駆除も決して無意味というわけではない。魔物の再発生には時間がかかるからである。つまり、駆除の速度が発生速度を上回れば一時の平和は得られる。この迷宮においても、それで作業が楽になるはずだった。

 これもまた、ケスラーにとっては見込み違いである。


「まずいな。本部から再度増援を要請すべきなのかもしれん。魔物の駆除を担当する遊撃部隊が欲しい」

「そうですね。想定より進行がだいぶ遅れています」


 迷宮において確認された魔物は七種。毒蠍、蝙蝠、鶏爆弾、蜥蜴、鼠、粘液生物――そして、そのうちで最も狂暴であるのが。

 黒鉄の蜘蛛と呼称される魔物である。


「次から次へと……!」


 頑強な外骨格。獲物を狙う六つの眼。刃のように鋭い八本の脚。そしてなにより、最大の脅威となるのは体格サイズである。体長6m。体高3m。人間は餌に過ぎないのだと否が応でも思い知らされる。


「構え。狙いは首の付け根だ。まだ引きつけろ」


 アンドレ准士官の報告より、小銃が通用しないことは聞いている。だが、急所を狙った一斉射撃でならどうか。対魔物用に火薬量を増やした大口径の弾丸は厚さ20cmの石壁をも貫通する。


「まだだ。まだ引きつけろ」


 その弾丸を至近距離で一斉に浴びせる。これで倒せぬはずがない。


「撃て!!」


 八つの銃口が火を吹く。弾丸は超音速で風を切り、統率された彼らの狙いは一点へと集中する。

 その結果――。


「倒れぬ、か」


 怯みはした。重傷を負わせることはできた。しかし、命までは届かない。兵の再装填より早く、魔物は態勢を整え襲いかかってくるだろう。


「――やはりこいつは、私でなければ無理か」


 小銃で倒せぬ魔物を倒せるような人間は、軍でもそうはいない。

 それこそ、ケスラー大佐ほどでもなければ。


「〈炎贐灼刀〉」


 腰に差した剣を抜き、魔術を発動する。刀身は熱を帯び、やがて燃えはじめる。鉄の融点を遥かに超える高熱も、魔晶鋼の刀身であればこそ耐えられる。およそすべての生物を絶命させうる灼熱の剣。それは、魔物とて例外ではない。

 ケスラーが剣を振るうことで、その遠心力により炎熱が射出される。狙いは首。部下の一斉射撃によって傷んだ、首の付け根である。


「さて」


 首が、するりと落ち、その巨体も、糸の切れたように崩れ落ちた。


「作業を再開する」


 ケスラーは納刀して、術式構築の指揮に戻った。


「……さすがです、大佐。あの魔物が相手では、どうやら我々は力になれぬようで……」


 兵も魔術を扱えぬわけではない。軍人を志すなら基礎教養である。ただ、小銃以上の威力を発揮できるものの数は少ない。ゆえに彼らは小銃で武装する。「数少ない人物」は、現部隊においてはケスラー大佐ただ一人にかぎられる。


「いや。先の一斉射撃があればこそだ。かなりのダメージを負わせられていた。だが、厄介だな……。黒鉄と遭遇したなら現状は私がいないかぎり作業を中断し撤退するほかない。やはり、本部に増援を要請し遊撃部隊を組織する必要があるか。あるいは、なにか別の――」

「大佐! ここにいらしたのですね!」


 迷宮の奥から一つのランプが灯り、駆け寄って近づいてくる。ケスラーもよく知る人物である。


「アンドレ准士官か。今は当番の時間帯ではないはずだが」

「お、お話があって、はぁ、はぁ、探していました……」


 息を切らしながら、彼は手紙の便箋を握っていた。


「ヴァイスマン教授から手紙が届いているはずですが、目は通されましたか?」

「手紙? 来ていたかもしれんな。あいにくと多忙で読んでいる暇がなかった」

「これです。ぜひお読みください」

「いや、おおよそ察しはつく。彼の気持ちはわかるが……一切の手心も加えられん状況だ。教授は今キャザウッドに来ているのか?」

「え、あ、はい。来ています」

「お帰り願ってくれ。迷宮の実態をこの目で見て、保全を考えているような余裕は一欠片もなくなった旨を、改めて残念だと」

「て、手紙は! お読みいただけないのですか!」


 アンドレの訴えは、別の兵による報告によって掻き消された。


「大佐! 背後より敵襲です! 再び、黒鉄の蜘蛛、一体!」

「わかるな、アンドレ准士官。手紙を読む暇すらないのだ」


 ケスラーはアンドレの肩を叩き、背を向けた。向かうべきは教授の手紙ではなく、狂暴な魔物であったがゆえに。

 再び同じ手順で、小銃の一斉射撃を浴びせたのちに〈炎贐灼刀〉にて仕留める。魔物に学習能力はない。一度倒せなら二度でも三度でも同じ手法で倒せる。ありうるのは、こちらの過誤ミスである。ゆえに油断はできない。一手誤れば犠牲の出かねない相手であることに変わりはないからだ。

 だが、その緊張はすぐに解けた。

 倒すべき相手が、すでに地に伏せるように潰れて倒れていたからである。


「さて、話を聞いてもらおうかの」


 その奥より姿を表したのは、一人の少女。

 そして、背を向けたはずのオースティン・ヴァイスマン教授であった。

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