8話「これで終わりでええのか?」
「のう。なぜ人間に力を与えた?」
眩いほどの満月の夜。丘の上に人の姿はない。
ただ、彼女たちが語らうのみである。
「なぜ? ふふ。ふふふ。うふふふふ」
「ヴィル。なにがおかしい?」
ヴィルへニウムはしばらく笑い続け、その理由を指摘した。
「君だって、人間に力を貸しているじゃないか」
「あのなあ。おぬしが無責任すぎるんじゃよ。力を与えるだけ与えて……あれでは、支える命を失えば魔物化しかねん。この現世には過ぎた力じゃ」
「ふふ。それだよ」
ヴィルへニウムはまたしても笑いながら答えた。
「人間は、見ていて危なっかしいだろう? だから、つい力を貸したくなる。君がそうしたようにね」
「わしは後始末のやり方を教えただけじゃ。数回は直接手伝ってはやったがの」
「まったく。私に聞くまでもないじゃないか、雅。同じだよ。私も君と同じ動機だ」
はあ? と雅は怪訝な顔をする。
「私もそうだよ。十二の部族に力を貸し与えただけ。それがいつしか国となり、これほど大きな繁栄を極めた。ふふ、きっともっと大きくなる。人間たちはやがて、私たちの想像を超えて大きく成長していくはずだ」
「そんなものかのう」
「おや。はじめて意見が割れたね」
「初めから別に一致はしとらんじゃろ」
現世に降り立った二柱の人ならざるものは、人間に「魔術」をもたらした。それは人間の生存を脅かし続ける「魔物」に抗するための術である。特にヴィルへニウムは積極的に人間に関わり、十二通りに姿を変えて、その身に人間を跨らせもした。度を超えた人間への干渉――なにがそこまで彼女にさせるのか、雅にはわからなかった。
「この地上に魔物が溢れ返っているのは、大昔に我々の仲間が暴れ回ったからじゃないかと言われている。だったら、私たちにも責任があるとは思わないか?」
「責任じゃと? 本気で言っておるのか?」
「ふふ。まあ、冗談だよ。でも、魔なる物ばかりが溢れ返り、人が魔の術を持たずにいるのは不公平だとは思わないか?」
「そういうものかの」
雅はヴィルへニウムを背にして寄りかかり、耳を澄ませる。心音、そして魔力の漲り。それはとても穏やかで、弱々しいものだった。
「ヴィル。ずいぶん衰えたのではないか?」
「ふふ。そうだね。だけど、もともと寿命だったんだよ」
「うそつけ。おぬしは現世に長居しすぎたんじゃよ。なぜそこまでする? そんなことをして人間に感謝されるとでも思うておるのか? 人間はおぬしのことなど……ただ“力の源”としか思うてはおらんぞ。力を得た王たちの遺骸も、臭いものに蓋をするように丁重に廃棄されておるくらいじゃからな」
「感謝か。ふふ。どうだろうね。別にそれを望んでいるわけではないけど」
よき友ではある。ただ、別れのときが迫っていると感じていた。
「わしはもう帰るぞ。おぬしは……」
「ふふ。私は残るよ」
「はあ。そうじゃろうな」
「お別れだ。でも、しばらくしたら……また様子を見に来てくれるかい? そのときには君も、人間の楽しさに気づいてもらえると思うよ」
それが、神竜ヴィルへニウムとの最後の会話だった。
***
(まさかとは思うていたが、本当に現世で倒れておったとはのう)
かつての友との再会は意外な形で果たされた。魔物と化し自我を失い、彼女は、彼女が愛した人間たちに害なす存在として目覚めようとしている。だがそれも、彼女が伝えた魔術によって丁重に葬られるだろう。であれば、結末としては悪くない。そう思えた。
(教授め。あやつ……まだやっておるのか)
夜が更けようというのに、研究室の明かりはまだ灯ったままだった。
気配を絶ってその様子を覗き見ることも雅にとっては造作もない。覗き見ているのではない。見守っているのだ。
(うーむ……)
思った通り、キャザウッドの遺跡で見つかった発見は膨大な検証作業を要した。ヴァイスマンからすればこれまでの常識、これまでの学説を大きく覆すものであったに違いない。各種論文、研究ノートと見比べながらああでもないこうでもないと頭を悩ませていた。
(それにしても、大した蔵書じゃの)
壁一面に敷き詰められた本棚が隙間なくギッチリと詰まっている。背表紙をなぞるだけでも目の眩むような情報量が襲ってくるようだった。
(ん? この棚は……)
これまで注意を払っていなかったが、彼女は奇妙な棚に気づく。
背表紙がない。というより、一冊一冊が薄い。そんな本がずらりと並ぶ棚があった。
(うむ……?)
試しに、一冊を手に取る。彼女は、それが「本」ではないことに気づいた。
(これはあやつの研究ノートじゃ。表紙に日付とナンバリング……No245じゃと?)
他にも、何冊か引き抜いて同様に確認する。そのすべてが、年季の入った研究ノートであることが明らかになった。
(なんとまあ熱心なことじゃ。どれ、内容は……)
プライバシーの意識など低い時代のことだ。もっとも、人間社会にそのような意識が芽生えていたとしても彼女は積極的に無視するだろう。
(ほう。王墓の迷宮構造を体系化しておるのか。というより、ほとんどの遺跡はここまで損壊しておったのだな)
あるノートでは延々と似たようなページが続いた。それは魔術実験によって損壊してしまったデノン王墓の復元予想図を何パターンにもわたり書き記したものだった。類似する遺跡と比較したり、残された欠片を合わせて魔力経路紋様の復元を試みているものもあった。結果、年代は後期であると推定されるが、副葬品と思しき遺物が一切発見されないことが疑問として残る旨が記されていた。
あるノートでは魔力経路紋様の違いによって魔素拡散効率がどの程度変化するのかの計算と実験記録が記されていた。実験といっても、王墓と同規模の迷宮を再現することは難しい。よって、ミニチュアの模型を複数製作しているが、ざっと目を通して数えただけでもその数は六十四以上にもなった。
(いや……ほとんど大した差は出とらんじゃろ。ここまでせんでもええじゃろうに)
あるノートでは埋没した遺跡の土壌分析の記録。
あるノートでは残留魔素年代測定の精度を確かめるための実験記録。
あるノートでは壁画に使用された顔料の原材料とその産地の特定。当時と同じ条件で壁画を再現する場合の人月工数と費用の算出。
途方もない執念の記録である。
(いや……バカじゃろ? ここまでするのか? ここまでせんとダメなのか?)
「あれ? No122のノートがないな……」
表紙を確認する。いま手に持っているノートである。
「おほん」
「わ! ミヤビくん。いたのかい」
「いや、その、わしもいろいろ気になっての」
「僕の研究ノートを見たのかい? ちょっと恥ずかしいな……人に見せるものじゃないから、雑多でまとまってなかっただろ」
「まあ、興味深くはあったの」
「そうだ! 聞いてくれるかい?」
もう夜も深い。彼は休まず机に向かっている。人の身である以上、疲労は蓄積しているはずだ。それでも彼は、目を輝かせて声を弾ませていた。
「王墓について、その、新しい仮説が立ったんだ。つまり、王墓は……魔力を拡散させること自体が目的だったんじゃないかって」
「ほう」
ついに、と雅は思った。この男ならいずれ辿り着くだろうとは思っていた。
「いや、すまない。いろいろ前提を端折りすぎたね。というのも、キャザウッドの竜墓だ。あの場所は魔素に満ちていた。強大な魔力を持つ竜が埋葬されていたからだ。でも、それなら……なぜ竜は、今まで目覚めずにいたのか?」
「そうじゃの。確かに疑問じゃ」
「竜墓の機能が魔物化を抑制していたんだ。ただ、竜墓は土砂に埋まり、その入口――いや、出口が塞がれる形になった。そのために機能不全を起こしてしまった。加えて、下層でも致命的な損傷があった。残留魔素年代測定で1900年前の結果が出た箇所があっただろう? あれはつまり魔力経路が損傷して1900年間魔力が通っていなかったことを意味するんだ」
「なるほどのう」
「ヒントとなったのは君の言葉だよ、ミヤビくん」
「へ、わし?」
「試験王墓だよ。王墓は曲がりなりにも魔術的機能を持った装置だ。であれば、そのために何度か実験を繰り返す必要がある。特にキャザウッド竜墓はスケールが大きく異なるものだ。そのための試験王墓がデノンだったのだと思う」
「デノン? あー……」
「えーっと、軍の魔術実験で吹き飛んでしまった遺跡だよ。実はこのデノン王墓も謎が多くてね。ほとんど原型を留めていないこともあるけど……残された跡から復元しようとすると、曲がり角が五つもあることになる。それだけでなく、どうしても噛み合わない瓦礫が多く見つかっていた」
「ふむん、噛み合わない?」
「そう。それはデノンが二層構造の試験王墓だったからだ。ちなみに“竜の角”が発見されたのもデノンだ。おそらくはこの“竜の角”を玄室に安置することで魔力の拡散状況を確かめていたんだろう」
「ほうほう。繋がってくるのう。だが、そもそもなぜ二層構造なんじゃ? 竜がいくら巨大といっても、ならばそのぶんだけ迷宮を巨大にすればよいだけじゃ。事実、キャザウッドの迷宮は巨大じゃったからな。階を重ねたところで術式の効率は大して上がらんぞ?」
「高さが必要だったんだよ。単純にね」
「高さ?」
「竜の大きさに対して出入り口が小さすぎる。通常の王墓がどうだったかはわからないけど……少なくとも竜墓にかぎっていえば、竜が倒れたのが先だった。倒れた竜を囲うようにして墓が建造されたんだ」
「うむ。まあ、そうなるじゃろうな」
「そこで、土壌のサンプルをいくらか採取して分析を依頼していたんだ。わかったのは、立地としてあの場所がもともと窪地にあったらしい、ということだ」
「窪地?」
「そう。だから高さが必要だった。いわば“二階”に出入り口があったのはそういうことだ。当時の建造者は竜墓が埋もれて機能不全になってしまう危険性を見越した上で、二階から魔素を発散する形式を発案したんだ」
「じゃが、埋まってしまっておったの」
「そればかりは……彼らにも予測不能な天変地異があったんだろう。仕方ない」
「天変地異じゃと?」
「そう、これも謎が多いんだ。騎竜時代の王墓は多くが埋もれてしまっているんだけど、その土壌成分がおおよそ一致することで知られてる。そのうちで有力視されているのがプリニウス荒野の大穴が重要な意味を持っているのではないかという説だ。つまりプリニウス荒野と王墓を埋めている土壌成分が一致していることからプリニウス荒野由来の土壌が王墓を埋めている、プリニウス荒野でなにかあったという説だけれど、土壌成分自体はありふれたものだから断定はしがたい。土壌成分分析の精度そのものもまだまだ改善の余地があるものだから世界中のサンプルを掻き集めて比較検証を繰り返しているという話だ。そもそもなにがあったのかまるでわかっていないが、ある民族に伝わる伝説に興味深い一節が――」
「お、おう」
それもそれで重要な話なのだろうとは思ったが、「本題」からは逸れ過ぎると思い、雅は首根っこを掴んで軌道修正した。
「ふーむ。よくまとまっておるではないか。具体的な検証はまだ残っておるのじゃろうが、あの王墓――いや、竜墓か。取り壊される前に必要な記録はしっかり取れたということかの」
「いや……」
ヴァイスマンの表情が沈む。まだなにか心残りがあるといった顔だ。
「見ただろ? あの竜は、左の角が欠けていた。多分、デノンで見つかった角だ」
「そうであろうな。それを調べたいと?」
「それだけじゃない……あの壁画だ。あの立派な壁画の記録が、僕の拙いスケッチだけというのは……あまりにも口惜しい」
「ふむ……」
「あれはきっと、偉大なる竜への……感謝と敬意を表すための一枚だ。でなければ、あれだけの作品を描くはずがない。それも、比較的入口に近い位置に描いたのは、つまり僕らに見せたかったからじゃないのか?」
「わしらに?」
「なんらかの天変地異によって旧王国は滅び、その史料は多くが失われてしまった。残っているのは各地の遺跡。王墓と、副葬品、そして壁画。王墓はただ魔力拡散という機能だけでなく、後世の我々に王の偉業を伝えようという意思でもあったんだと思う」
なぜ王墓には壁画が残されているのか。自己顕示欲の強い王が生前に描かせたのだろう。雅はそう解釈していた。だが、竜墓においてその解釈は通らない。ヴィルヘニウムがそのような自己顕示で人々に描かせたとは思えないからだ。
であれば、単に慣例として描いたのか。あるいは、本当に感謝と敬意に基づいて描かれたものであるのか。彼女は、どのような最期を迎えたのか。
「……でも、まあ、仕方ない。つまりは、彼らの埋葬は失敗してしまった。竜も、魔物として人々の脅威となることを望んではいないだろう。迷宮を取り壊す方法しか、もはや――」
「いや、あるではないか」
「え?」
肝心なところでこの男は抜けている。雅は呆れ返る。そこまで説を固めておきながら、なぜその発想に頭が回らないのか。洞察力の異常に優れた助手の力が、きっとこの男には必要なのだろう。
「竜墓を修復するんじゃ。本来の機能を取り戻せば〈葬火焔〉とやらなど必要ない。竜墓は、もともとそのためのものなのじゃからな。それとも、これで終わりでええのか?」
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