6話「え、そんなん知らん……」
「見てくれ。これだ」
玄室の存在しない王墓の謎。
十日間に渡って隈なく探索することでヴァイスマンはようやくその答えを見た。
「落とし戸だ」
すなわち、この遺跡が階層構造である可能性である。
(え、そんなん知らん……複層構造の王墓じゃと?)
連日の探索に飽きていた雅も、その発見には目を丸くした。当時を生きていたからといって当時のすべてを知っているわけではない。そう思い知らされてきたが、こうまで知らぬものがあるとは思っていなかったからだ。
「つまり……下があるってことっすか?」
「そうだ。驚くべきことにね。床の紋様を記録しているときに気がついたんだ」
注意深く見なければ単に紋様の一種にも見える。十日も気づかなかったのはこのためだ。雅はどうせ試験王墓の一種だろうと思っていた。むろん、それでも「玄室」に該当する部屋が存在しないことの説明がつかない。
だが、迷宮が二層以上の階層を持つのであれば説明はつく。もっとも、階層構造を持つ迷宮術式は理論上ありうるが、建造の手間に比して効率の向上は望めない。規模を拡大したいのであれば横に広げればよい。そんなことは当時から明らかであったし、その常識に囚われていた雅にとっては思いもよらぬ発想だった。
「これは……なるほど。戸というよりは単なる蓋だね。かなり重い」
「持ちましょうか? ってか、どこに手をかければいいんすかね」
「おほん」
雅の魔術をすれば造作もなく、そして傷つけることなく丁寧に開くことができる。遺跡を扱うための繊細な魔術も今や手慣れたものだった。
「深いな……ランプで照らす程度では底が見えない」
「なんかやばい雰囲気あるっすね。魔素も下の方が濃いみたいっす」
「おほん」
雅の〈光球〉は自在に宙を舞う。階下の広大な空間が照らされた。単に深い穴というわけではなく、上層と同等以上の迷宮構造があるらしいことが見てとれた。
「高さ6mはあるぞ……それに、通路の幅が広い。最大規模のナパルト王墓より大きいんじゃないか?」
ヴァイスマンは興奮に目を輝かせていた。その緩み切った表情はこのまま飛び降りかねないと思えるほどの危うさを感じさせた。むろん、雅の魔術をもってすれば安全に降りることはできる。
実際に降り立つことでヴァイスマンの興奮はより大きなものになった。アンドレも同様であり、雅にもその気持ちがいくらかわかる。彼女にとってもこの様式は未知であったからだ。
迷宮構造であることは同じである。ただ、通常の王墓は一人が通れる程度の最小限の幅で通路が構成されている。この遺跡の場合は三人が横に並んでも余裕がある。
「アンドレくん。これは、思った以上にすごい発見かもしれないぞ」
「……そうみたいっすね。なんなんすか、これ。こんな広くてデカい迷宮……聞いたことないですよ」
「見てくれ。魔力経路紋が三本も並んでいる。かつてないほど大規模な術式迷宮だ。ミヤビくんはどう思う?」
「わし? いや〜、どうじゃろうな〜。うーん。わからんのう」
実際、本当にわかっていなかった。
「あ。やばいっす、先生」
蓋を開いた時点で感じてはいた。階下はより高い魔素濃度に満ちている。
すなわちそれは、より狂暴な魔物が発生していることを意味する。
「…………ッ!」
真なる恐怖を前にしたとき、人は声を失う。
ガギリ、と金属音めいた足音が鳴り、それは獲物となる侵入者の姿を捉えた。
それは人類の根絶を願う害意そのものである。見上げてなお全貌を見渡せぬほどの、巨大な蜘蛛のごとき魔物。六つの赤い眼は獲物を決して逃さない。濡れた刃のように鋭い八本の脚は肉を裂き骨を断つ。酸性の唾液滴る顎に挟まれたなら、哀れな羽虫のように飲み込まれるだろう。
遺跡の保全などと言っている場合ではない。アンドレの判断は早かった。素早く小銃を抜き、その顎を目掛けて発射――確かにそれは命中した。対魔物を想定した、火薬量の多い大口径の弾丸だ。
しかし。
黒鉄のような外骨格に弾かれる。人類が携行できる程度の武器では、傷一つ与えられはしない。
「おほん」
ただし、魔術を除いては。
「え?」
助かったという安堵による弛緩と、状況理解が追いつかぬがゆえに漏れた声である。
体高3mにもなる巨大な蜘蛛は、今や見下ろせるほどに頭を下げて、潰れていた。
「言ったじゃろ。わしがおれば“危険”などというものは存在せんと」
「……はは」
もはや、乾いた笑いしか出ない。雅が「行くぞ」と先導しても、二人は思わず距離をとった。
「ま、マジでなにものなんすかあの子……あんな魔物、軍でも倒せる人そうそういませんよ」
「さあ……本当にわからなくてね。あれだけの実力があれば学院でも噂になっていそうだけど……」
などと小声で話していても、雅には丸聞こえである。もっと畏れ崇め褒め称えるがよい。
「あ! まずいまずい、忘れてた。残留魔素年代測定をしてもいいかな」
ヴァイスマンはリュックからガラス製の器具を取り出す。またあれか、と雅は呆れた。
「上でさんざんやったじゃろ。どうせまた0年じゃて」
「まあ、念のために、ね」
測定にはおおよそ十五分から二十分ほどかかる。精度を高めるためにはその場から動けないし、足を踏み入れてすぐに測定した方が精確な数値が出るのだという。せっかく未知の空間に辿り着いたというのにまたしても足止めを食らうことになる。雅はため息をついた。
「ミヤビくん。考古学とはこういうものなんだ。僕たちには遺跡に初めて踏み入ったものとしての責任がある。細心の注意を払っても、人が踏み入った以上、遺跡は変質してしまうからね。できるだけ元の状態で記録をとらなければならないんだ」
「……わかっておる」
「いや、でもアンドレくんにはすまないね。仕事とはいえ、こんなことに付き合わされて退屈だろう」
「え、いや! そんなことはないっすよ! 実際の調査現場に立ち会えて感動してるくらいっす」
「それはよかった。助かるよ。ところでアンドレくん。君はなぜ考古学に興味を?」
「へ、俺っすか? いやぁ〜、大したことではないんすけど……なんか、ロマンあるじゃないっすか」
「ロマンか。確かにね。きっかけはなんだい?」
「きっかけっすか? やっぱトヘイ王墓の発掘アルバイトが大きいっすかね。子供のころ博物館に連れられたことはありましたけど」
「今でも行くのかい?」
「たまにっすよ。たまにっすけど……やっぱりいいっすね。昔の遺物や遺跡を見て、こう、なにがあったのかとか考えるの。特にこんな巨大な迷宮……今の技術でも作るの大変なんじゃないっすか?」
「そうだね。二千年も前にこれだけの建築技術があったのは驚きだよ。でも、それ以上に気になるのは“なぜ作ったか”だ。今の技術でも作れなくはないだろうけど、まず作られることはない。理由がないからね。とても道楽で作れるような規模じゃない」
「あー、王墓の機能って今でもよくわかってないんすよね。ただのお墓でこんなふうにつくる意味ってなさそうですし……。ところで、先生は?」
「僕かい?」
「考古学を志した理由っす」
「似たようなものだよ。子供のころ、遺跡を見学する機会があってね――」
雅はなんだか蚊帳の外ではあったが、魔物が襲ってこないか警戒するという重大な役割があるので仕方ないのだ。それに、下手に口を出せばネタバレしかねない。
「ミヤビくんは、エンゲルハルトだったよね」
「んお?」
「なんすか、エンゲルハルトって」
「こういった王墓――いや、ここが王墓だとはまだ決まっていないが――の設計指示をしたとされる伝説の人物だよ」
「え、この王墓を? そっか、作った人がいるはずですもんね」
「そうじゃ。基本設計は難しくはないし、工法も単純じゃ。人手と時間はかかるがの」
「へえ。まるで見てきたようにいうんすね」
(わしじゃもん。王墓の設計指示しとったのわしじゃもん)
話しているうちに、ヴァイスマンの測定結果が出た。
「約1900年前……推定製造年とほぼ合致する……」
「は? 上だと0年じゃったろ? やっぱり壊れてるんじゃないのかそれ」
「初日以来器具は二つ用意している。どちらも壊れてるなんてことはないはずだ……」
想定外の妙な結果にヴァイスマンは首を傾げた。その表情はワクワクを抑えきれない子供のようであった。
「先へ進もう。構造図を書きながら要所で測定を行う。この遺跡は……やはり、なにかある」
空気は重く静かに沈んでいた。だが、息苦しくはない。二千年の時を隔てた冷たく厳かな空気に肺が満たされるたび、不思議な高揚感が身を包んだ。
足音が反響を繰り返して響き渡る。歩を進めるにつれ、上層より遥かに巨大な迷宮であることがわかってきた。そもそも通路幅が三倍以上だ。それでいて複雑さは同等以上。面積にして九倍以上はあるものと予想された。
(なぜこんな巨大な王墓をつくったのじゃ? しかも二層構造……まさか……)
教授の口から出た“最後の王墓”という言葉が雅は引っかかっていた。「なにもかも知っている」という全能感はもはやない。
「ここだと……測定結果は0年だ」
「なぬ?」
「ミヤビくん。もうちょっと上の方を照らしてくれるかい?」
「ん。こうか?」
「ありがとう。なるほど……少し欠けている……?」
「先生! というか、魔素がめちゃくちゃ濃くなってきたっすよ。中央が近いんじゃないすか」
中央――玄室が近づくにつれ濃くなっていく魔素。
その意味を考えるほどにヴァイスマンの胸は高鳴る。そして雅も、なにかいやな予感を覚えていた。
「破鋼石だ……!」
道中で幾度も立ち止まり測定を行い、あるいは魔物に阻まれながらも、彼らはついに辿り着く。
迷宮とは異なる材質――黒色の破鋼石によって構成される、玄室である。
「二層構造の王墓……! 上層はやはり迷宮構造を補強するために増設されたものなのか!」
玄室にも迷宮と同じく「入口」がある。外壁を回りながらヴァイスマンは「入口」を探す。
「大きい……。迷宮もそうだが、玄室もかなりの大きさだぞ」
未知に次ぐ未知。興奮は冷めやらぬ。
「扉があったぞ。こっちじゃ」
「ほんとかい?!」
ヴァイスマンも手が震え、石扉の装飾を調べるどころではなかった。アンドレもまたその様子を眺めながら固唾を飲み込む。
「開けるぞ。ええな」
かくして、ついに玄室への扉が開かれる。
雅が〈光球〉を随伴させることで内部は明るく照らされた。
基本構造は、よく知る玄室をそのままスケールアップさせた形だ。破鋼石を積み重ねて壁を構成し、表面を滑らかに削ってある。煌びやかな装飾壁画が描かれ、脇には壺のなかに副葬品が納められている。
ただ一つ、根本的に異なるのは。
彼らの目を奪ってやまなかったのは、その中央で身体を丸めて眠っていた存在。
竜である。
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