5話「当時のこと知っとるんじゃけどなー! わしー!」

 石扉は重く、固く閉ざされていた。そもそもが二千年前の遺跡である。扉のような単純な機構であっても正常に機能を保っていることは滅多にないのだ。

 構造は両開き。ヴァイスマンは押したり引いたり、隙間を覗いたり慎重に扉を調べていた。腕力が必要ならアンドレ准士官を呼び、雅は除け者である。そうして五分以上が経過した。


「はぁ〜〜、見ておれんの。可愛いわしに任せい」


 二人を石扉の前から離す。ふん、と少し魔術で力を加える。石扉は勢いよく開いた。


「な、なな、ミヤビくん!」


 ヴァイスマンの声には珍しく怒気が込められていた。すぐに石扉まで駆け寄り、状態を確認する。


「よかった……特に損傷はなさそうだ」


 褒められるとばかり思っていた雅は呆気とられる。なにか悪いことをしたようなバツのわるさだったし、実際そのようだった。


「ミヤビくん。その、事前に説明してなかった僕も悪いけど……遺跡の扱いはくれぐれも慎重にね? 石扉が壊れたら大変なところだった。特に、このあたりの装飾は欠けやすいからね」

「お、おう。すまんかった、の……」


 ヴァイスマンは扉を開けるのに手間取っていたのではない。扉を注意深く観察し、できるだけ状態を保全したまま開くすべを模索していたのだ。なにより、この程度の力任せは手応えからしてそこの准士官アンドレにもできそうだな、と雅は思った。


「怒られちゃったっすねミヤビちゃん。でもすごいっすよ。ずいぶん滑らかな〈干渉〉っすね」


 口振りからして魔術の心得もありそうだ。もっとも、圧倒的上位者なのがどちらであるかは明白だった。慰めを意図した言葉のようだが身の程を弁えてほしい。


「ひとまず中へ入ろうか。……緊張するね」

「あ、ランプは俺が持ちますよ!」

「いや、僕にも持たせてくれ。護衛である君にはどちらかと言えば銃を持っていてもらいたいな……いや、銃だと流れ弾が遺跡に当たって……」

「剣も使えるっすよ。そっちの方がいいですかね?」

「わしは素手じゃぞ?」

「うん。魔物はできるだけ倒すよりは遠ざける方向でお願いできるかな」

「魔物次第ではあるっすね……そうっすよね、遺跡を壊すわけにはいきませんし」

「どんな魔物でもわしなら余裕じゃぞ?」


 遺跡に足を踏み入れ、ヴァイスマンは息を呑んだ。あまりにも見事な保存状態で遺跡が残されていたからである。


「壁に魔力経路の紋様……蛇行紋の一種だ。となると、この遺跡は騎竜時代後期……ルオペー王墓と同じ鋳型か……?」


 壁にランプを掲げ、教授はまず壁の紋様を確認した。「入口」から軽く覗いただけでも迷宮構造は伺えたが、魔力経路まで彫られているなら確実だ。王墓であるかはともかく、術式迷宮であることは間違いない。


「すごいっすね。見ただけでそこまでわかるんすか?」

「まだ推測だけどね。詳しくは後で検証するとして……今しかできないことをやっておこう」


 リュックを下ろし、ヴァイスマンは道具を取り出した。攪拌機能のついたガラス製の魔術装置である。


「壁の表面を少し削って……」

「なんすか、それ」

「残留魔素年代測定器だね。理魄石に染みついた魔素は発散しづらいからね。空気中の魔素濃度と比較することで最後に魔力が通った年代を特定することができるんだよ。ただ、こうまで魔素濃度が高いと正確な測定ができるかどうか……」


 と、教授は入ってすぐのところでしゃがみ込んだ。あまりの牛歩に雅はやきもきしたが、つい先ほど怒られが発生したばかりなので黙ってその様子を見守ることにした。


(なつかしいのう。なにせ生き証人じゃからの、わし)


 二千年の時を経た遺跡は記憶のものと比べてもほとんど遜色がない。雅もすべての王墓建造に関わったわけではないし、ここを訪れたのも初めてではあったが、当時の懐かしさは確かに感じられた。


「ぬ?」


 暗がりの向こうから気配が近づいてくる。害意の気配だ。

 カサカサと不快な音を立てながら忍び寄る影は、毒蠍の魔物である。大型犬並みのサイズで、十匹ほどが群れをなして近づいてきていた。


「あちゃ〜、やっぱりいるんすね。魔物」

「うわっ、わわわ……」


 アンドレが冷静に構える一方、ヴァイスマンは腰を抜かす。


「先生。倒すことはできますけど」

「で、できれば遺跡を傷つけないよう追い払ってくれ」

「そうっすよね。ちょっと下がっててください」

「わしがわしが」

「ミヤビちゃんも下がって!」


 雅を抑えながらアンドレは腰に下げた筒を放り投げた。魔物の手前で落下した筒は煙を吐き出す。魔物は急に動きを止め、いそいそと逃げ帰っていった。


「? なんじゃ」

「退魔煙筒っす。人体にもちょっと有害だから吸わないようにね」


 またしても雅にとっては未知の技術だ。そのうえ、魔術によらないものであるらしい。


(まあ、わしならもっと鮮やかに処理できるがの)


 それ自体は紛れもない事実である。


「それにしても、あんな魔物がいるにしては綺麗っすよね、この遺跡」

「たぶん、休眠状態にあったのだろうね。魔物は人に害なす存在だ。人がいなければ大人しいといわれている」

「へえ。そういうもんなんすね」

「僕も魔物学は専門じゃないから詳しくはわからないけど……よし、結果が出た」


 というのも、残留魔素年代測定である。


「うーん、測定ミスかな? 結果は0年前だ」

「0年?」

「つまり、この遺跡は今も稼働中ってことだね」

「な、なんすかそれ」

「この測定手法はあくまで“最後に魔力が通った年代”を調べるものだ。製造年とはズレることが多い。それでも、これまではせいぜい百年程度の差しか出なかったんだけど」

「製造年代は蛇行紋を見れば明らかじゃろ。さっさと奥へ進んでみんか?」

「待って、ミヤビくん。進むならこっちだ」


 一人で進もうとする雅を引き留め、ヴァイスマンは指をさす。進む方向に根拠があったわけでない雅は渋々従う。名目上は「可愛い助手」の立場であるから仕方ない。


「やはりあった……! はは、これはすごい。これほどの保存状態で残っているなんて……!」


 辿り着いた先は広間だ。迷宮の年代がわかればその構造もおおよそ同じだ。四方に四箇所存在する広間は「魔力の溜まり場」としての機能を持ち、また壁画が描かれていることが多い。

 教授はその壁画が確認したかったようだ。


「うおお……。これ、赤竜っすよね。たしかトヘイ王墓でも同じのが描かれているんすよね」

「そう、赤竜はライエル二世の時代によく描かれているモチーフだ。よく知っているね。本当に素人かい?」

「た、たまたまっすよ! 学生のころ地元だったんで、発掘作業にアルバイトで参加したことあるんすよ。それで興味を持ってて……」

「トヘイ王墓かい? 僕もその発掘作業には参加してたよ。ん、もしかしたら……」

「え! マジっすか! 教授もあの現場に?」

「あのとき、僕はまだ教授ではなかったけどね。作業員も百人以上はいたから……いやいや驚いたね。会っていたかもしれないわけだ」

「先生って実はかなりすごい先生なんじゃ……」

「はは。そんなことはないよ。……っと、本当にすごいなこの壁画は。赤竜だけでなく青竜に白竜――」


 その壁画は幅12m、高さ3mの壁にみっちりと描き込まれていた。描かれているのは色とりどりの竜に騎乗する王の姿である。文化遺産としてのみならず、一つの芸術としても壮大な作品であるといえた。


「まるでつい先ほど描かれたばかりのような発色だ。となると、建造まもなく埋もれてしまったのか……?」


 ヴァイスマンはランプを手に持ち、舐めるような距離まで壁に顔を近づけて観察していた。ランプ以外に照明のない暗がりゆえに仕方のないことだが、それでは全体像を見通すことはできない。


「おほん。少し下がっておれ」


 あらゆる魔術を極めた雅には解決策がある。〈光球〉の生成である。


「うわっ」

「ふふん。少し眩しすぎたかの。わしのように」


 晴天の陽の元にも匹敵するほどの明かりで広間は照らされた。こうして計十二体の騎竜が描かれた壁画の全体図がのもとに晒される。ようやく目の慣れたヴァイスマンとアンドレは感嘆の声を漏らしていた。


「これは……まるで、これまで見てきた数々の竜壁画の集大成だ。旧王国における、僕の知るかぎりでは全種の竜が描かれている……」

「うひゃー……。結構細かく描き込まれてるんすね。この黒竜とかめちゃくちゃかっこいいじゃないっすか!」

「おほん」

「うん。ミヤビくん、ありがとう。助かるよ。こんなことまでできたんだね」

「ホントっすよ。このレベルの〈光球〉がこんなに安定して……」

「そうじゃろそうじゃろ。さっきの魔物ももっと穏便に対処できたんじゃがのー!」

「……魔物、また来てるみたいっすよ」

「ん? そうか。まあ見ておれ」


 雅はまた異なる術式を編んだ。結果、広間に迫っていた魔物は“見えない壁”に阻まれ弾かれる。


「〈障壁〉を張った。これで魔物は広間には近づけん」

「……え、マジですごいっすね。ミヤビちゃん……ほんとに子供?」

「子供ではないんじゃなー! これが」

「先生。なにものなんすかミヤビちゃんって」

「僕もよくわからなくてね……。いや、でも本当に助かるよ。これで腰を落ち着けられるわけだね」


 そういい、ヴァイスマンは本当に腰を下ろして、リュックからスケッチブックと鉛筆を取り出した。


「少し時間はかかるけど、スケッチをとらせてもらっていいかな。僕たちがこの遺跡に足を踏み入れたことで空気成分が変化して、そのうち色褪せていくからね。今のうちに正確な記録をとりたいんだ」

(また長くなりそうじゃの……)

「どのくらいかかるんすか? 何時間もかかるようだとミヤビちゃんの負担も大きいんじゃないかと思うんすけど」

「何時間でも何十時間でも問題なくいけるんじゃがー!?」


 そういうことになった。

 できるだけ簡易なスケッチに留めるとヴァイスマンがいうが、この規模の壁画だ。数時間はかかるだろうと雅は覚悟した。もちろん〈光球〉も〈障壁〉もたとえ一日中でも維持し続けることは苦ではない。単に退屈しそうだと思っただけだ。雅としては早く探検に出かけたかった。


(にしても……下手じゃの)


 壁画を目にしても、雅にはその程度の感想しかない。


「先生。竜って、実際にはいなかったって聞いたんすけど……これってぜんぶ想像描かれたんすか?」

「定説だとそうだね」

「うーん。俺はいたと思うんすけどね。こんなんいなきゃ描けませんって! いや、昔の人の想像力をバカにするわけじゃないんですけど」

「はは。僕もそう思うよ。竜具なんてのを想像でつくれるものか、とはね。仮に想像上の存在だったとして、いったいどこから着想を得たのか。興味は尽きない。当時の生存者に話を聞きたいくらいだよ」

(ここにおるんじゃけどなー! 当時のこと知っとるんじゃけどなー! わしー!)


 彼らの話を後ろで聞きながら雅は気持ち悪い笑みを浮かべていた。これはこれで退屈はしなさそうだと思った。


「へえ、うまいもんすね先生。色はどうするんです?」

「さすがに着色してる時間まではないからね。記号表記にとどめているよ」

「あー、このRとかBとか……。具体的にはどういう意味なんです? たとえばR3DTってありますけど」

「赤三号竜泪石。砕いて油に溶かすと絵具になるんだ。ヒンクス山でよく採れる」

「あ、なるほど! 当時使ってた顔料なんすね」

「うん。当時の壁画から成分を分析して推定してるんだ。産地の限定されるものもあるから交易の流れを推測する材料にもなるね」

「はえ~。G1Glってのはなんです?」

「緑一号海緑石だね。他には……」

(は? 当時の顔料まで特定しておるのか?)


 雅も知らぬことである。この調子で長々と講義は続いた。たかが一枚の壁画から途方もない情報を読み取っていた。持ち込んだ資料と見比べながら装飾鎧や槍など騎乗者への言及、描かれている竜具がどの遺跡から出土しただの話は続く。少しばかり怖気を感じた。


「うーん、ここでもこの黒が使われているのか」


 すらすらとスケッチを続けていたヴァイスマンの手が止まった。左端に描かれている黒竜まで歩み寄りまじまじと眺め、スケッチブックには“B3?”とだけ書き記した。


「黒って、炭とかじゃないんすか?」

「うん。鉄やマンガンの場合もあるけど、この黒はどうにも違うみたいなんだ。黒三号と暫定的に呼ばれてる。この、黒竜に使われている黒だね」


 ヴァイスマンがなにか悩むたびに(知っとるんじゃけどなー!)とほくそ笑んでいた雅だが、壁画に使われている絵具の原料など知るはずがなかった。


「壁画に黒竜が描かれるようになったのはかなり後期の方だね。もしかしたら、この遺跡は“最新”のものなのかもしれない」

「最新の遺跡って、なんか変な表現っすね」

「“最後の王墓”でもいい。騎竜時代、最後の王が眠る墓だ」

「ひゃー、そう聞くとワクワクしてきたっすね! 次は玄室を目指すんすか?」

「そうだね。君たち二人がいたら魔物の心配もなさそうだ。先へ進もう」


 ヴァイスマンは学者として慎重に言葉を選んでいた。

 ここは「遺跡」ではあるが、「王墓」とはかぎらない。迷宮構造の特徴や描かれている壁画からもこれまで調査した王墓遺跡を連想させるものではあるが、まだ「玄室」と「遺骸」を確認したわけではない。だというのに、彼はつい口が滑りここを「王墓」と呼んでしまった。


「……ない?」


 迷宮を辿り、四つの曲がり角をまがった。スケッチブックに構造図を書き記しながら歩いてきたのだから、間違いはないはずだ。

 このなにもない小さな部屋が、遺跡の「中央」であることは。


「玄室がない……」


 王墓の玄室は周囲の迷宮とは異なる石材で構成されることが多い。そして、内部には煌びやかな装飾、棺と遺骸、副葬品が納められている。

 だが、彼らが辿り着いたのはなにもない、迷宮の延長ともいえる一室であった。


「どういうことだ……?」


 ヴァイスマンは頭を悩ます。ただ、その表情は苦悩のものではない。口元を覆っても笑みが零れるのを抑えきれないほどの興奮である。

 これまでの常識を覆すまるで未知の形式。すなわちそれは、考古学に光を投げかける「新発見」である可能性が高いからだ。

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