4話「は? この鉄の塊が動くのか?」

(列車!)


 目的地のキャザウッド市とやらに雅は覚えがなかった。標がなければ〈転移〉は使えないのでそこまでは徒歩になるだろうと思っていた。

 だが、ヴァイスマン教授に連れられた先は「駅」と呼ばれる施設だった。


(な、なんじゃ……あの巨大な鉄の塊……あれに、人が入って……?)


 大勢の人が行き交い、異様に長く巨大な物体が並んでいた。ヴァイスマンの言動から察するに、あれが「移動手段」であるらしい。雅の知る二千年前にはあり得なかった光景だ。学院周りだけでも建築様式の変化と建築技術の進歩は伺えていたが、この光景はさすがに予想を超えていた。もっとも、あの鉄塊が「建築」の範疇に収まるものであるかどうかも疑問だった。


(妙に煙臭いし、熱もあるの……いったいなんなんじゃ?)


 目に映るものなにもかもが物珍しかった。だが、雅は努めて冷静を装った。無知を晒すわけにはいかなかったからである。


「乗るのは……トホーズ行だね。あっちだ」

「トホーズ? 目的地はキャザウッドとやらではなかったか?」

「もちろん、途中のキャザウッドで降りるよ?」

「??」

「あー、トホーズ行というのはそっち方面という意味で……」


 典型的な「無知」による質問をしてしまったと、教授の答えと表情から雅は察した。さながら「列車」や「駅」をはじめて目にする田舎者といったところだろう。ただ、思えばもともとそういう設定だった気がするので別に問題ないようにも思えた。


(は? この鉄の塊が動くのか? もうあんな遠く……どういう魔術機構じゃ??)


 そろそろ好奇心を隠しきれなかったのもある。開き直って思う存分きょろきょろした。煙を吐く鉄製の大質量物体が行ったり来たりをしていた。それでいて魔術の痕跡が感じられないのが不思議でならなかった。


「ミヤビくん。この列車だよ」

「お、おう」


 もう少し外見を観察したかったが、そもそもの目的は「移動」だ。教授を含め駅を行き交う人々にとっては列車の存在は当たり前のものであるらしい。なにもわからぬ雅は大人しく教授に従うことにした。

 ひとまず、「車」の一種であることはわかった。車輪を用いれば地面との摩擦が小さくなるため輸送は容易になる。その原理は知っていたが、だからとって「列車」ほどのサイズと質量を動かすことは雅にもそう簡単にできるとは思えなかった。


「の、のう……どうやって動いておるんじゃ、この、列車とやらは」


 恥を忍んで尋ねる。知らぬことを知らぬと認める器の広さもあるのだ。


「僕も詳しくはないけど……蒸気機関という発明があって――」


 大きな鞄を荷台に詰め込んで席に着き、ヴァイスマン教授は知識のかぎりで懇切丁寧に説明をした。雅は半分も理解できなかったが、その動作原理が魔術によるものでないことは理解できた。


(は、速いのう……。そうか、これを魔術によらずに……)


 魔術とは個人の資質による力だ。一方、列車を動かす蒸気機関に個人の能力は関係がない。ゆえに王国中で列車は駆け回っているし、どの列車に乗っても速度は同じなのだという。


(魔術学に進歩がないと思うたら……そうか、人はもう魔術を必要とはしておらぬのか?)


 車窓を覗きながら、雅はそんなことを思った。特に断りもなく占拠した窓側の席で。


「それにしても、ミヤビくんは列車に乗るのも見るのも初めてみたいだけど……たしか北部キダー出身だよね。王都まではどうやって?」

「う」


 現代において長距離移動の基本が列車であるなら、地方出身という設定である以上は「乗ったことがない」のはおかしいのだ。雅は人類を遥かに凌駕する高度な知能をもってその矛盾に気づき、速やかに的確な辻褄合わせを導き出す。


「徒歩で……」

「徒歩で?!」


 驚きはするだろう。だが、矛盾もなく反論の余地もない完璧な回答であるはずだ。教授からそれ以上の追及がなかったことがその証左である。なので、風を切る車窓を心置きなく覗くことができる。


「教授! なんじゃあれ! なんじゃ!」

「わっ、危ないよ! そんなに身を乗り出したら」


 外見上の幼さもあいまって子供の挙動そのものだった。

 そうやって移り変わる風景を眺めているうちに列車は目的地のキャザウッドまで辿り着いた。


「降りるよ。ミヤビくん」

「ぬ。もうか。いや待て、まさかそういう仕組みなのか? もし降り損ねたらどうなるんじゃ?」

「そのときは……終点のトホーズまで行っちゃうかな」

「ぬ、ぬぅぅ??」


 つまり、風景に見惚れて列車から降りるのを忘れた場合には目的地に辿り着けないことを意味する。人のつくるものはやはりまだまだ欠陥だらけよのと雅は思った。


「それにしても、すごい荷物じゃの」


 ヴァイスマン教授の鞄は両手で抱えてやっとという大きさで、パンパンに詰まっていた。その重量も雅の体重の半分に届くほどだ。


「うん。必要そうな資料とか機材を揃えるとキリがなくてね……これでもかなり減らしたんだけど」


 一方、雅は手ぶらである。なにも持つ必要がない。というのも――


「いや、必要なら研究室に取りに戻ればよいじゃろ」

「え?」


 キャザウッドの拠点に標を置いて〈転移〉魔術で研究室と行き来すればよいと考えていたからだ。


「あ、そっか……そんなことができるんだったね、ミヤビくんは……」


 出発時点で気づいてはいたが、悪戯心もあって黙っていた。ただ、ここにきて荷物があまりに重そうなのでさすがに雅も申し訳なさを覚えた。ここまで持ってきた以上は運ばねばならないからだ。


「わしが持ってやろう」


 ひょいっと片手で持ち上げる。正確には魔術で浮遊させている。実のところ手で触れる必要もない。雅にとっては造作もないことだ。


「だ、大丈夫かい? かなり重いと思うけど」

「わしを誰だと思うておる」


 と、啖呵を切ったが、設定上は単に魔術能力と洞察力に優れた謎の天才児である。


 ***


「王国軍大佐のケスラーだ。はじめまして、ヴァイスマン教授」

「こちらこそはじめまして。ヴァイスマンです。このたびはご連絡ありがとうございます」


 宿について荷物を置き、ヴァイスマンはすぐに軍基地へ向かった。長旅で疲れていたはずが、すぐにでも遺跡が見たくてたまらなかったのだ。大きな鞄からリュックを取り出し、遺跡に持ち込む道具と資料を吟味して宿を発った。

 二人を迎えたのはケスラー大佐を名乗る眼帯の男だった。カーキ色の軍制服に身を包み、肩幅は広く体格はガッチリしていた。整った口髭を蓄え、歴戦が刻まれたように表情は厳しく、いかにも「軍人」といった容貌である。


「この先だ。ついてきてくれ」


 案内されたのは手紙にあった通り、工事中の地下トンネルである。規則的にランプが吊り下げられてなお薄暗くはあったが、思った以上の広さにヴァイスマンも雅も驚いていた。道中で作業中の兵士と何人もすれ違った。


「大佐、このトンネルは……?」

「地下輸送網を整備している。隣国との緊張に備えてな。詳細は軍事機密だ」

「はあ」

「ところで、その子供は? 娘さんかね」

「うちの学生です。助手として同行させています」

「ほう、これは失礼。それにしてもずいぶん若いな……さぞ優秀な助手なのだろう」

「ええ。とても助けられてます」


 娘呼ばわりで雅は少しムッとしたが、態度には出さなかった。軍人という立場もあり、その物腰から腕には自信があるのだろうが、本気で立ち会えば一捻りにできるという強者の余裕である。褒められて気をよくしたからではない。


「あ、来たんすね考古学の先生! ようやく遺跡に入れるんすね?」


 奥から青年が駆け寄ってきた。金髪碧眼で清潔感のある若い下士官である。


「彼は私の部下、アンドレ准士官だ。少々考古学をかじっているらしい。遺跡を騎竜時代の王墓だと主張したのは彼でね」

「アンドレっす。よろしくお願いします! 先生からすれば素人の趣味レベルではあるかと思いますが!」

「よろしく。ヴァイスマンだ。なるほど、これが……」


 トンネルを阻むように聳える石壁。明らかに異質な存在感があった。左右に拡張するように掘り進められ「入口」となる石扉もすでに露出していた。


「確かに、この石壁の様式は騎竜時代のものだね。扉の装飾も王墓に見られる特徴と一致する。すごいな、アンドレくん。よくわかったね」

「へへ。先生のお墨付きをいただけると嬉しいっすね。でも……中はだいぶやばいみたいっす」


 魔術に疎いヴァイスマンはわからないが、雅はその肌で感じていた。濃い魔素が扉から溢れている。そうでなくとも、壁の向こうから魔物の低い呻き声がときおり響いていた。


「というわけで、俺が教授の護衛としてつきますね。ただ……そこの可愛らしいお嬢ちゃんは外で待ってた方がいいかも?」

「む。というよりわしが護衛じゃぞ? おぬしこそ要らぬからな? 可愛らしい?」

「へえ。頼もしいっすね教授。護衛が二人じゃないっすか」

「ま、まあね」


 若い下士官はヘラヘラと笑って、雅の言葉を本気にはしていないようだった。そのうち己の愚かさは身に染みてわかるだろうと雅はこれ以上は反論しない。これも強者の余裕のなせる態度である。


「待て待て。可愛らしいとはなにごとじゃ。可愛いじゃと? わしが?」

「え、可愛いじゃないっすか。ね、教授」

「う、うん。まあね」

「ほう。可愛いか。わしが。わしは可愛いか」


 若輩で未熟なるものには偉大さを表す語彙が「可愛い」に堕してしまうのだろうと雅は解釈した。隅の方で鏡を召喚して自らの姿を確認する。ふむ、なるほど、これが可愛いか、と堪能した。


「しかし、本当に魔物がいるみたいだね……王墓遺跡ではこういうことは珍しいんだけど」

「そうなんすか? まあ、そこまでやばいのはいないと思うっすよ。いたとしても、俺けっこう強いっすから」

「頼むよ。僕は見ての通りひ弱な教授だからね……」


 というか、軍の護衛つくではないか――と雅は思った。「魔物が棲んでいる」と脅しながらも「護衛をつける」とは手紙に書かない。その真意はケスラーの次の言葉で答え合わせがなされた。


「我々としては速やかに遺跡を破壊しトンネル工事を進めたかったのだが、そこのアンドレが価値のある遺跡だと主張するものでな。遺跡の危険性も未知であるため調査を依頼することにした。結果、価値のないものとわかれば工事を再開させてもらう。人手が必要なら言ってくれ。私は基地に戻る」

「いえ、その、価値のない遺跡なんてありませんよ……」


 ごにょごにょとヴァイスマンは小声で反論していたが、ケスラーには聞こえていなかった。

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