3話「わしの力、見せてやるかの」

 別に聞き耳を立てていたわけではない。

 ただ、彼女の能力はあらゆる点で人間をはるかに超えている。感覚器官――聴力もそうだ。ゆえに、学院中の会話はすべて耳に入るし、情報処理能力も十分に高いので聞き分けることもできる。とはいえ、ほとんどは意味のないノイズのようなものだ。ゆえに、彼女は聞く価値のある情報だけを拾う。その対象はいま、学長に呼び出されたヴァイスマン教授に向いていた。

 だからといって、別に聞き耳を立てているわけではない。ただ耳に入ってくるだけだ。


(さて、なんの話かは知らんが……)


 聞き耳を立てているわけではない雅は、研究室に一人取り残されて本を読み漁っていた。「なにかおすすめは?」と尋ねたら二十冊ほどが一瞬で積み重なったので読むものには困っていない。教授が留守の間に研究室は一通り物色したが、特に面白いものはなかった。気になったのは「竜の角?」とラベルの振られた黒ずんだ欠片くらいだ。


(竜の実在を示す証拠は見つかっていない――じゃったか。あれのことを指しておるのかの)


 あれが本当に「竜の角」であるかは雅にも判断がつかない。複数の欠片が繋がって角と言われれば角に見えなくもない。太さだけなら竜の角に近い大きさはある。そんな程度の代物だ。

 それより、今は読書を進める。ソエカ著『旧王国の顛末』――騎竜時代の旧王国が滅び、約400年が経過した1500年前に書かれた歴史書だ。忽然と地上から姿を消した旧王国について、現地調査と伝聞をもとに書かれている。


“当時の旧王国は十二の王族からなり、厳密にいれば一つの国家として括れるものではなかった”


 雅からすれば常識だが、この現代でもそのくらいの認識はあるのだな、と確認する。単一の王族からなる現ルードベル王国とは系譜が繋がっていないのである。


“王族はそれぞれ圧倒的な魔術を有し、民を従えていた”


 そこまでは伝わっているのか、と雅は思った。ただし、その力が竜より授けられたという記述はない。竜信仰についての言及はあり、竜の実在も仄めかされているが、根拠となっているのは伝聞だ。史料価値はともかく、現代の考古学者はこれを鵜呑みにはしていない。


“そして、旧王国は神の怒りによって滅んだ”


 なるほど、これは鵜呑みにはできまいと納得する。読み進めるほどに旧王国を「悪しきもの」だとする政治思想的な偏りが随所に見られた。「神の怒り」というのも根拠の乏しい、偏った表現だ。

 このあたりも興味深くはあったが、雅が本書を読みはじめた理由は別にある。行儀よく頭から読んでいたが、そろそろ該当の章に至るはずである。


(ぬ。出たなエンゲルハルト)


 ようやく「王墓」の章に差し掛かり、その名が現れる一節に辿り着いた。


“大いなる王を弔うため、エンゲルハルト氏の指揮によって王墓が建造された”


(……これだけか?)


 前をめくっても後ろをめくってもそれ以上「エンゲルハルト」という語は出てこなかった。あらかじめ「よくわからない」とは聞いていたが、まさかここまで情報がないとは思わなかった。


(まさか誤訳ではなかろうな。原著はどこじゃ?)


 いま読んでいるのは現代語に訳されているものだ。教授は雅を「初心者」と判断したのだろう。他の本も入門書の類いに見える。ただ、原著を持っていないはずはないだろうと読書を中断し、本棚を探しはじめた。


(ん。あの男、なにやら学長に頭を下げておるようだが)


 学長室での話も気になった。聞き耳を立てているわけではない。聞こえてくるのだから仕方ない。


(怒られているわけではないのか。あやつ、頭を下げるのが習慣になっておるな。軍からの手紙? うむ)


 どうやら話はすぐに終わり戻ってくる気配があったので、雅は取り急ぎ研究室を物色していた痕跡をあらためた。


「すごいぞミヤビくん! 新たな王墓遺跡が見つかったらしい!」


 ヴァイスマンは研究室に戻るなり手紙を握りしめて声を上げた。


「ほう?」


 雅はなにも知らないという顔で続きを促す。


「場所はキャザウッド市。少し遠いな。軍部がトンネル工事中、地下に埋もれた王墓らしき遺跡の壁にぶつかったらしい。これはその調査を依頼する手紙だ。ただ……」

「ただ?」

「高い魔素濃度が検出されているため、内部に魔物が巣食っているおそれがあるらしいんだ」


 と、急に表情が翳りを見せる。


「魔物、か」


 妙だな、と雅は思った。「魔物を発生させない」ための装置が王墓だ。もっとも、まったく別の要因ということも考えられる。


「遺跡に魔物が発生しているというのはよくあることなのか?」

「たまに、ね。地下に埋もれてるような、閉鎖状態にあると起こりやすいかな」

「王墓なのか? その遺跡は」

「“入口”が露出するまでは掘り進めてたらしい。考古学に少し詳しい下士官がいて、彼がいうにはたぶん王墓だとか。まだ内部には踏み入っていないらしいから、実際に目にしてみないと断定はできないけど……」


 ヴァイスマン教授の声はどんどん弱々しくなっていた。


「その依頼、受けるのか?」

「受けたいけど……」

「魔物が怖いか?」

「そうだね……」

「軍の護衛はつかぬのか?」

「つくかも知れないし、つかないかも知れない……」

「おぬしが依頼を断った場合は?」

「調査責任者がいない場合は、最悪だと取り壊しに……そうはならないよう、知り合いの考古学者にも連絡するつもりだけど……」


 調査はしたいが、危険性に尻込みしているのだろう。第一声の威勢のよさは、もはや見る影もない。

 魔物とは、人類に対する害意そのものである。「魔物」と一概にいっても脅威度はピンキリだが、戦技としての魔術を修めていなければ最低キリであったとしても命を脅かす災害となる。「魔物」と聞いただけでおそれをなしている教授も、そんな「一般人」であるのだろう。

 雅にとっては、おそれをなすのはむしろ魔物の方である。


「要は、危険でなければええのじゃろ?」


 雅としてはこのようなイベントを逃す手はない。研究室に籠っていても楽しくないからだ。


「どれ。わしの力、見せてやるかの」


 雅がヴァイスマンの手を握る。

 瞬間、草原が広がっていた。地平線の向こうまで広がる草原だ。太陽が眩しい。研究室の埃くささは鼻腔の奥に残るのみで、今や暖かで爽やかな風が吹いている。握っていた手紙が飛ばされそうになることで、ヴァイスマンはこれが白昼夢ではないと理解した。


「え?」


 あまりに唐突で、そんな素っ頓狂な声を出すにもワンテンポ遅れたほどだ。


「〈転移〉魔術じゃ。あんな狭い研究室ではできることもかぎられるからの」

「ここは……ウジェーヌ草原?」

「そうだったかの。地名には疎いが……なぜわかった?」

「ほら、向こうから――」


 猛然と迫る影がある。牛の魔物――黒暴牛である。ウジェーヌ草原に生息する極めて狂暴な魔物だ。


「縄張りに入ってしまったんじゃろうな。ちょうどよい、見ておれ」

「に、逃げないと! 早く早く!」

「見ておれというとるじゃろうが!」


 右手を翳し、術式を編む。黒暴牛の進路上に〈停滞〉を設置。物体と運動が切り離され、彼女の支配下となる。黒暴牛という質量を上昇浮遊させ、運動方向を操作。突進の向きを逸らして、浅い角度で地面に叩きつける。

 これで、地面に強く頭を打ち気絶する黒暴牛の個体が彼らの隣に横たわることになる。


「え? え?」


 ヴァイスマンは倒れた黒暴牛と雅とを交互に見ながらただ驚いている。こともなげにやってのけたが、黒暴牛は体重2tを超える大型の魔物だ。これほどの質量に突進されれば人間などひとたまりもないし、頭部に生えた二本の角に貫かれれば容易く命を落とすだろう。これほど危険な魔物をああも鮮やかな手腕で制するなど、とても考えられることではなかった。


「どうじゃ」

「君はいったい……」


 現代でも十分に驚くべき偉業であったらしく、雅は鼻息を鳴らして満足する。


「これでわかったの? わしがおるかぎり“危険”などというものは存在せん。遺跡に巣食う魔物とやらにも怯えることはない。では、研究室に戻るぞ。標は置いてあるのでな」

「あ! せっかくだから黒暴牛の角をじっくり観察しておきたいな。戻るのはちょっと待ってくれるかい?」

「お、おう?」


 先ほどまで転移と魔物に怯えていたはずが、もう好奇心が勝ったらしい。ヴァイスマンはおそるおそる倒れている黒暴牛に歩み寄る。


(角。角か)


 ふと研究室で見かけたものを思い出す。無関係ではないはずだ。


「そういえば“竜の角?”とラベルの振られた遺物が研究室にあったの。竜の実在を示す証拠、あるではないか」

「あー……、あれか……」


 ヴァイスマンの表情が曇る。


「僕も発見当時はそうはしゃいでいたんだけどね。あれしか見つからなかったんだ。国中どこを探してもね。角には見えなくもないけど、“竜の角”かどうか、と言われるとだいぶ怪しいだろ?」

「まあ、そうじゃの」

「そういうわけで捏造の嫌疑までかけられてね……。よくて“勘違い”だ。いずれにせよ、なんらかの魔物の角、ないしそれを加工したものだろうと思われてる。竜の角が一本だけ見つかるよりは、間違いであった方が説明としては理に適うからね。あれ以外には竜の生物学的な証拠は一切見つかっていないんだ」

「なるほどのう。では、標本としてその牛角を折って持って帰るといい」

「え」

「どうせまた生えてくる。研究室の方がじっくり見比べられるじゃろ」


 教授がもたもたしているので雅も倒れた黒暴牛の元へ歩み寄り、さっくりと手刀で角を切り落とした。考えてもみれば、魔術素養のないものに素手で角を折れというのは無茶振りだった。


「ほれ」

「す、すごいな……。単独で〈転移〉魔術を発動し、狂暴な魔物を……えっと、なにをしたのかはわからなかったけど……」

「なに。難しいことはしておらんよ。ただの運動操作じゃ。誰でもできる」


 嘘をついた。このレベルの鮮やかな手腕は王国中を探してもまず見つからないだろう。謙虚すぎる人徳から出た嘘だ。


「うむ。なるほど……こうして断面構造や表面組成を見るだけでもだいぶ違うな……少なくともあの“竜の角”は黒暴牛のものではなさそうだ……」


 胸の張り損だった。ヴァイスマンはすっかり角に夢中だ。


「ん?」


 大地が、わずかに揺れる。それは次第に大きくなっていった。

 またしても土煙を上げて黒い影が猛然と迫っていた。


「こやつのつがいかなにかかの。ふふん、見ておれ。何頭来ようと同じことじゃ」

「いや、いやいや! もういいよ! こっちが勝手に縄張りに入ったんだろ?」


 凄さ自慢としては不満足だったが、言われてみれば正論だったので雅はやむなく〈転移〉で研究室へと戻った。

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