第52話 『2週間で小説を書く!』実践演習 その6(一瞬を書く)

 清水吉典氏の『2週間で小説を書く!』の実践練習のお題をひとつずつやっていくノートです。 お題が14日分(二週間分)あります。

 実践練習の順番はバラバラです。


【実践練習第6日】一瞬を書く


【実践練習第6日】一瞬を書く

短い時間に起こった出来事を長く、あるいは静止しているように書く作業である。

 事故の瞬間や、晴れがましい栄誉の瞬間のような、型にはまったドラマチックな文章になりやすい出来事を避けて、さりげない、しかし印象的な一瞬を経験の中から選ぼう。

 その「一瞬」を書くためには、そこに至るまでの流れを書くことが大事である。それをどう書くか。じつは肝心の「一瞬」よりも、そこへ誘導する文章のほうが技術が必要なのである。

 いったん出来上がったら、読み返して推敲してみる。あまりに劇的になりすぎていたら、大げさな表現を削る。


『2週間で小説を書く!』清水吉典 幻冬舎新書



 糸井川の上流、切り立った岩を下る川のカーブに、ペンギン岩という大きな岩がある。

 夏になると川遊びをする子供がペンギン岩から川へ飛び降りる。それが私には怖くてたまらなかった。

 ペンギン岩にはえぐれてカーブになった部分があり、そこが格好の飛び込み台になる。蛇行する川の深くなった淵が、深い緑色の水をたたえている。

 水は痛い。腹から飛び込んだら、まともに水に身体を打ちつけてしまう。私は小学校のプールで腹を打って以来、頭から飛び込むことができない。地元ではそれを腹ビッチという。運動が苦手な私は腹ビッチをしやすい子供だった。

 飛べるよ、行こうよと友達に誘われても、私はかたくなに断りつづけた。友達は太陽で温まったペンギン岩へよじ昇り、頭から、あるいは足から水に突き刺さるように飛び込んでいく。私はそれを川べりで見ている。うらやましいとは思う。でも、私には無理だ。足がすくむ。

 その日どうしてペンギン岩に私が昇ったのか、理由はわからない。台風が来る直前の、曇った肌寒い日だった。

 その日はいっしょに遊んでいる友人たちが全員来られなくて、私ひとりが糸井川へ来たのだった。

 ペンギン岩に昇ってみようと思いついた。友達に後ろから押される可能性がないから、昇るだけ昇ってみようと。

 乾いた、ぬるい感触の岩によじ登る。足場がうまくえぐれていて、ペンギン岩へ昇るのは意外と簡単だった。

 岩のカーブの窪みに立って、下を眺める。川がどうどうと白いしぶきを噴き上げている。私の背筋がヒュッと竦む。

 自分のタイミングで、足から落ちてみればいいのでは? 頭のなかの声に首を左右に振る。

 岩から水面まで三メートル。下が地面ならば、人は五メートル落ちると死ぬそうだ。

 でも友達はペンギン岩から飛び降りて誰も死んでいない。ペンギン岩の川底は水で削られて深く、当たるものがないからだ。

 足を震わせながら、空を見上げる。生ぬるい風に身体が持ち上げられる。激しい雨が降る直前の、水分を含んだ重い雲だ。

 飛ぶなら今しかない。考えが頭にひらめいた。

 力強い向かい風が足元から吹いていた。

 向かい風に鳥は翼を開く。鳥が飛ぶのは、風に逆らった瞬間だ。目をぎゅっと閉じて、脚を縮める。

 飛べ!

 足が硬い岩を蹴った。目を開く。向かいの林が縦に流れ、水の泡に襲われた。

 顔がひしゃげる。身体が水に突き刺さり、川の流れが胴体を下へと押し流す。

 重い水を足でかいて、川べりまで泳ぎ着いた。水から顔をあげてようやく、ペンギン岩から飛び降りた喜びが腹から湧いてくる。

 違う世界に舞い降りた気がした。

 ペンギン岩に吹く向かい風を思い出せば、私は何度でも空を飛べるだろう。

 そうやって何度も風に逆らって、昨日とは違う私になっていく。

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