14

 


 慰めるように、温かな手が真琴の背を撫でていく。その手がゆっくりと下りてきて、腰で止まり、浮き出た腰骨を掠めて、するりとパジャマの裾から入ってくる。

 ぴくっと痙攣した肌を大きな手のひらが宥めた。

「…ん」

 抱き締められ、ベッドに押し付けられた背中が少しだけ浮き上がった。

「…は……、っ」

 むず痒いような堪えきれない衝動が、体の奥深くから込み上げてくる。

 胸につかえたそれを押し出したくて浅い呼吸を繰り返していると、首筋を辿っていた唇が耳朶を甘く噛んで、濡れた舌が耳の中に差し込まれた。

「ア…っ」

 ぞくっと快感が走った。あまりの感覚に声を上げるとパジャマの背中を引っ張られ、肩が剥き出しになる。知らぬ間に外されたボタン、ずり下ろされたパジャマはゆるく腕を拘束して、腰のあたりに纏わりついた。

 それさえも篠原に容易く脱がされる。耳を思うさま愛撫した唇は顎の輪郭をなぞり、反対側へと──

「…っ」

 触れる髪にさえ感じる。

 声を上げまいと顔を逸らして指を噛むと、すぐに手首を捉えられた。弱くはないが抗えない力で開かれる。

「あ、や、だ…っはずかし…い」

「駄目だ、聞きたいよ」

「んんぅ…っ」

「何も…考えないで」

 薄く開いた唇をすぐさま塞がれる。

 厚い舌がするりと入って来て、驚いて逃げた真琴の舌を篠原は深く口を合わせ直して吸い上げた。堪らずに仰のくと片腕で頭を抱え込まれて固定された。逃げられない。甘い拘束。意識が快感に気ぶり、視界が潤んでいく。真琴は掴まれていないほうの手で覆い被さる篠原の肩に必死に縋った。

「ンン、う、んうぅ…、っあ、ん、ぐ」

 苦しい。

 でも、気持ちいい。

 無意識にシャツにじわじわと爪を立てると、ゆっくりと篠原が唇を離した。

 篠原はまだ上着を取りネクタイを外しただけの姿だ。

 緩めたシャツの襟元から甘い匂いが漂ってくる。

 その香りにくらりと酔いそうになる。

「は…っ」

「真琴」

 ぼんやりと目を向けると、普段は無表情な篠原が、熱を孕んだ目で真琴を見下ろしていた。

 好きだと言われたことが今更のように実感出来て、かあ、と真琴は赤くなった。

 全身が熱い。

 この人が、俺を──

「しの、はら、…さ」

 また唇が押し当てられ、何度も音を立てて啄まれる。羞恥に目をぎゅっと閉じると、温かな舌は顎から首へ、そして鎖骨へと下りて行った。腰から上に上がって来た手のひらが胸をさすり、その指が何度も同じ場所を引っ掛けるように動く。

 いつも意識しないそこがじわじわと熱を帯びて、真琴はその気持ちよさにふっと力を抜いた。

 その瞬間、きゅっと乳首を摘みあげられて、真琴の身体が跳ねた。

「いあ…っ! ああっやーっ…!」

 弓なりに反った背中を掬い上げられて、鎖骨を噛まれた。小さく走った痛みは快感に変わり、高い声が上がる。堪らない。やめて欲しいと篠原の髪に手を入れた真琴は引き剥がそうと髪を引くが、篠原の腕の力はますます強くなるばかりだ。

「ま、まって、も、…もう、や…あ」

「駄目だ」

 篠原が自分でつけた噛み痕を舐めた。

「待てない」

「あ…!」

 ゆっくりと体を下肢にずらし、篠原は真琴の体の線をその唇で辿る。熱い息が下腹部にかかった。ずるりとパジャマと下着を下ろされて、慌てて真琴は体を起こそうとしたが間に合わなかった。

「真琴」

 押し返そうとした手を逆に捉えられ、指を絡まされてシーツに押し付けられる。

「だめ、やっ」

 太ももを抱え上げられ、真琴に見せつけるようにその内側をきつく吸われる。

 ちらりと篠原は真琴を見て、股間に顔を埋めた。

「ああ、いあ、あ──」

 ぬるりと自分のものが熱い口に含まれる。味わったことのない刺激に勢いよく張り詰めていく。震えるそれにねっとりと舌を這わされて、真琴は激しく首を振った。

「だめ、あ、篠原さ…、んっ、あああっ」

 焦らすように先端をゆるゆると吸い上げられて、涙が溢れた。

 涙の膜の張った視界がゆらゆらと揺れる。

 篠原は真琴のものを、すぼめた唇で強く弱く扱いていく。

「ああ、は、…、っ、あ、ん…っ」

 知っている熱が体の奥からせり上がってくる。真琴は惑乱し、どうにかして篠原の頭を押しのけようともがいた。

 だががっしりと脚を抱え込んだ篠原の体はまるで動かず、もがけばもがくほど喉の奥深くに咥えこまれてしまう。張り詰め、どくどくと脈打つ熱が渦を巻いて激しく出口を求めている。

「も…っ」

 このままじゃ──

 目じりを涙が伝って落ちた。

 薄く擦れた皮膚にひりっと染みる。

 いやだ、と真琴は泣き叫んだ。

「やだ、出る、もうやだ、はなし、はなして…っ、おれ、だめ──だめ…!」

「出していい」

「そ、な…っ、出来な…」

「いいから…何も考えないで」

 咥えたまま話される刺激が真琴を追い詰める。

 激しい水音が聞こえ、篠原の頭が激しく上下した。

 ずっ、ずっ、と篠原が強くきつく吸い上げた。

「あーっ」

 白く視界が弾けた。目が眩むほどの快感が体中を走り抜けて、真琴は細い体をぴんと突っ張らせた。

 吐き出したものが温かな口の中に吸い込まれていく。

「…あ、ああ…」

 荒い息を吐き、がくりと力が抜けた。投げ出した手足。ぐちゃぐちゃに乱れたシーツが肌に触れるのにもぞくぞくする。

「は、あ…、あ」

 篠原が奥に残るものまで吸い上げると、絶頂に過敏になっていた体はその刺激にびくびくと跳ねた。さざめいたその細い足をそっと撫で、篠原は舐め取った残滓を嚥下すると、真琴をようやく解放した。

 ぎしりとベッドが軋む。 

 篠原が涙に濡れ上気した真琴の顔を覗き込んできた。

「真琴…」

 汗の浮いたこめかみをそっと拭われる。

 手足の先まで痺れてもう動けそうにない。

 蕩けるような眠気が真琴を背中から包み込んできた。

 気持ちいい。

 潤んだ視界に篠原の姿がゆらゆらと揺れている。

 抗えない力に瞼が落ちていく。

「…真琴?」

 ゆっくりと髪を梳かれている。柔らかく唇を食まれていると感じながら、真琴は静かに深い眠りの中に引き込まれていった。


***


「……」

 くそ、と高橋は呟いた。

 何度掛けても繋がらない電話に、苛々とする。

 もう21時だ。

 朝の連絡では13時に来るはずだったが、時間になっても真琴は現れなかった。無断欠勤などこれまで一度もしたことのない真琴の身を案じ、携帯に何度もメッセージを送るが何ひとつ既読にはならない。

 夕方、心配した増村が帰宅がてら真琴のアパートへ様子を見に行ったが、部屋にはいる気配がないと連絡が来ていた。

「くそ、あいつ…」

 具合が悪いと言っていたくせに、一体どこにいるのか。

 高橋はもう一度電話を掛けようとして、携帯を手に取り、ふと我に返って、手の中の携帯をデスクに放った。

 がこん、と静かな事務所にその音がやけに響く。

 真琴はもう子供じゃない。

 出会ったときの、15歳のままじゃないのだ。

 あれから色々あり、真琴も大人と呼ばれるようになった。

 危なっかしいところはあるが、彼はもう大人なのだ。

「…俺も大概かよ」

 心配するのは性分だ。

 たった4つしか離れていないのに、いまだに子供のように扱う自分がどうしようもない。

 それは後ろめたいからだろうか。

 真琴に本当のことを言えなかったことを、どこかで後悔しているのか。

「それはねえわ…」

 考えたところでどうなる。

 高橋は深く息を吐くと、コーヒーでも淹れるかと給湯室に立った。

 真琴に連絡がつくまで、今日は自宅に戻る気はなかった。



 眠る真琴の銀色の髪をそっとかき上げて、篠原はその形の良い額に口づけた。

 規則正しいかすかな寝息が、近づけた耳に聞こえて来る。

 抱きしめて深く口づけを交わしているうちに真琴は糸が切れたようにぐったりとなって、そのまま眠ってしまった。

 泣きすぎて赤くなった目元。

 追い詰め過ぎたと、ため息をついて反省した。

 ただ何も考えずに済めばいいと──それだけのつもりだったが、途中から頭の中が煮えたようにくらくらとして、酷くしてしまった。

 感じさせて──少しでも辛いことを忘れられただろうか。

 それならいいが。

 帰宅して見つけた真琴は血の気がなくて青褪めていて、本人が思うよりもずっと、彼のことが──あるいは彼との記憶が──真琴を苛んでいるように見えた。

 岩谷尊──

「岩谷尊か…」

 篠原のベッドの上で真琴は体を丸めて眠っている。

 癖なのか、昨夜も同じように体を丸めていた。

 瞼を閉じた横顔は歳よりも幼くて、はじめて彼を見たときの面影がそれに重なった。

 雪の降る中で、ずっと、その身に雪を積らせるまで、空に向けてシャッターを切り続けていた。

 まるでその先に彼にしか見えないものがあるかのように。

 あの日篠原はたまたまそこを通りかかったのだ。

 あの頃はまだ支社に勤務していて、本社に赴くためにあの場所を歩いていた。

 何をしてるんだろう。

 何を撮っているのだろう。

 道ゆく人は皆、怪訝そうに振り返るが、声をかけられないようだった。

 じっと見ていると、視線を感じたのか──ふっと彼が振り向いた。

『…なに?』

 少し低い声。

 声で男の子だと分かった。

『何を撮ってるの?』

 好奇心に傘をさしかけると、彼は俯いた。

 焦茶の髪に積もる雪を払った。

『風邪引きそうだな』

 固く引き結んだ唇で、何かがあったのだと思った。今にも泣きそうな顔に、思わず抱きしめたくなった。

 その気持ちに篠原自身が驚いていた。

『これ、あげる』

 そう言って、慣れた手つきで素早くカメラから抜いたフィルムをポケットに押し込まれた。

 咄嗟に手を伸ばしたが遅かった。

 さよなら、と呟いた真琴は呼び止めた声にも振り向かずに雪の中を走って行った。

 あのとき、追いかけていたら。

 あのときもしも、真琴の腕を掴んで話を聞いていたら。

 こんなにも真琴は悲しくはなかったのだろうか。

「…真琴」

 幸い明日は祝日で仕事は休みだ。

 長いと言っていた真琴の話を今度こそ聞きたい。

 ベッドで眠る真琴の傍に腰を下ろしたまま、篠原は髪を撫でた。ゆっくりと覆い被さる。唇を合わせたいのを我慢し、頬にキスを落とした。

 そして音を立てないように、そっと寝室を出た。

 リビングに入ると、どこからか携帯のバイブ音が聞こえてきた。

 ソファの上に光る画面がある。

 真琴の携帯──あゆみ先輩、と表示されていた。


***


 ぷつ、と音を立ててそれは唐突に繋がった。

 これで最後だと掛けた真琴の携帯。

 長い呼び出し音の後でやはり駄目かと思ったときだった。

 考えるよりも先に高橋は怒鳴っていた。

「おい真琴、おまえ今どこにいるんだよ!」

 思わず立ち上がり、真琴が答える前に捲し立てた。

「時間になっても来ねえで! 人がどんだけ心配したと思って──」

 もしもし、と聞こえてきた低い声に高橋は口を噤んだ。

 真琴じゃない。

 真琴じゃない?

『もしもし』

「え…あ──あの」

 番号、間違えたか?

『高橋さんですか?』

「そうですが…?」

 どこかで聞き覚えのある声だ。

 高橋は眉を顰めた。

『篠原です。今、そちらの事務所に依頼をしている…』

「篠原さん? ──え?」

『水戸岡くんは今眠っていて』

「は?」

『昨夜食事に誘ったんですが、酒を飲ませてしまって帰れなくなってうちに。今朝は二日酔いで具合が悪いと──』

「それは聞いてますけど…え? 真琴はまだそちらに?」

 ええ、と篠原は言った。

 声がかすかにこだましている。

 何の音も後ろにしない。ひどく静かな場所にいるようだと高橋は思った。

 昨夜? 今朝? それで──今は眠ってる?

 なにそれ。

 なんだよそれ。

「じゃあ迎えに──」

『まさか、とんでもない』

 高橋の声を遮って篠原は言った。

『このままで。明日は休日なので問題ありません』

「そ…そうですか」

 それはどうもと高橋は返した。迎えに行くと言った自分自身に心の底から驚いていた。どこか上の空でいると、高橋さん、と篠原に呼ばれた。

「はい」

 小さな沈黙が落ちた。

 篠原の息遣いがかすかに聞こえてくる。

『岩谷尊、ご存知ですか』

「──」

 今このときに、その名前が出てくるとは思わなかった。

 高橋は固まった。

 完全な不意打ちだ。

『岩谷尊をご存知ですね?』

 小さく息を吸い込んで、篠原はもう一度繰り返した。


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