第13話 魔法の特訓




 冴え渡る蒼い空。

 優しい陽射しを煌めかせる太陽。

 爽やかな風と共に広がる草原は、青々とした自然の香りを放ちながら一面に緑の世界を展開している。

 ヒルグリフ唯一の出入り口である北向きの正門から、東回りに歩くこと約十五分。

 人達から『裏庭』とも呼ばれるその場所で、二組の男女が向き合うようにして立っていた。


「よし、じゃあ早速だけど魔法の練習をやるか」

「ばっちこーい!」


 先に一声を上げたのは髪の白い青年、オウル・ソフィリアナ。

 その次に、意気揚々と返事をしたのは黄金色の髪を時折揺らす小柄な少女、ミリア・ナースターだった。


「まずは、どれくらい魔法を使えるのか見せてもらおうか」

「え、何。魔法をぶっ放せばいいの?」

「ちゃうわ。ちょっと待てい」


 わざとらしい咳払いを一つ。

 輝く瞳を一転、ミリアの目にどんよりとした陰が差し込む。

 肩を落とし、露骨に落胆を表現する金髪少女を余所に、オウルは右手を持ち上げて一本の指を立てた。


「『ウォートボール』」


 大空を示すオウルの人差し指。

 その指先へ、不意に水が現れた。

 グルグルと渦を巻くように。

 ゆっくりと丸を描く水は、やがて流れるように小さな玉を形作るとそのまま動かなくなった。


「ふぇえ、すごい」

「ほれ、驚いてる暇はないぞ」

「うわっ!?」


 左右へ揺らしてから、軽く振るわれた指。

 その先端で追従するように動いていた『水の玉』をミリアの目前に飛ばしたオウルは、少女からの鋭い『にらめつける』に晒されつつ口を開いた。


「まずはそれにお前の魔法をぶつけてみてくれ」

「何で?」

「ちょっと、どのくらい威力が出せるのか見たくてな」

「ふーん……」


 納得したのやら、してないのやら。

 ただ小刻みにコクコクと頭を揺らしたミリアは、大きく一歩後退すると宙に漂う『水の玉』目掛けておもむろに手を突き出した。

 きめ細やかな肌は白く、しなやかな腕は春陽を浴びて薄く光っている。


(なんか、ギルドで受けた魔法の試験みたい)


 プカプカと。

 目の前で上下に小さく動くその様は、まるで風に舞う綿のよう。

 そこから連想したのは、かつて自身が魔法使いとして認められるために受けたギルドの試験。

 『水の玉』を見据え、フッと浅く息を吸ったミリアは一拍とどめてからゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。


「『風よ』『我が手に集い』『玉となれ』」


 凛、とした玉の声で風へと呼びかける。

 その声へ呼応するかのように、風が次々と行き着く先を突き出したミリアの手の中へと変えていく。

 小さな風の集いから、生み出るはところどころで弾けんとする風の球体。

 それを真剣な面持ちで見ていたミリアは、丸くなった風を拳大にまで膨らませると、強めな吐息と共に吐き出した。


「『撃ち抜け』『ウィンデボール』!」

(『強化ブースト』っと)


 やや不安定でありつつも、球体を保ったミリアの魔法――『ウィンデボール』がその手から放たれた。

 まるで、投げられた石が宙を切るように。

 歪な『風の玉』が、オウルの浮かせた『水の玉』目掛けて一直線に飛び抜ける。

 ミリアの立ち位置から目標となる『水の玉』までの距離は精々が一、二メートル程度。

 二つの魔法が衝突するのはあと僅か。

 その刹那に、自分の魔法が勝つ、と確信したミリアは――




「うぇえ!? 効いてない!」




 弾けた風に晒されて。

 それでもなお、不動を貫いた『水の玉』の姿に、思わずオウルを睨みつけて大きく吠えた。


「ちょ、ちょっとこれ何で!? どーいうこと!? 全っ然動かないじゃん!」

「あー、なんでだろなー。俺もわからないなー。今日は偶々たまたま調子が良かったのかもなー」

「はぁぁぁぁああ!?」


 あらぬ方向を見るオウルの、ほとんど棒読みに近い口調で放たれた白々しい言い訳。

 それを聞いたミリアは曲線でも描くかの如き綺麗な叫び声を静かな草原に響き渡らせた。

 プカプカと何事もなかったかのように浮いていた『水の玉』を自身の元に引き寄せたオウルは、「してやったり」とでも言いたげな、余裕綽々とした表情で愕然とするミリアに話し掛けた。


「まーまー、しょうがないって。俺だって人間なわけだし? そういう時もあるって」

「ぐむむむむー!」


 こめかみに青筋を浮き上がらせて、ぷっくりと頬をいっぱいに膨らませたミリアが悔しそうな声で歯ぎしりする。

 しかし、口に溜まっていた息を一気に吐き捨てたミリアは、そっとまぶたを下ろすと『水の玉』とオウルのいる方に向けて両手を伸ばした。

 そのことにこっくりと顔をしかめて首を傾げたオウルだったが、


「『風よ』」

「……ん?」

「『猛き奔流となって』」

「んんぇ!? ちょ、ま、おまっ!?」


 静かな口調で、されども、顔に浮かべた青筋と大量に溢れる怒気を以てミリアが何かを呟き出した。

 その声をつぶさに捉え、激しく狼狽したオウルは突き出した両手を左右に強く振った。


「待て待て! それはここで使っちゃダメなヤツだろ!?」

「『全てを吹き飛ばせ』!」

「っ!」


 グンッとミリアが目を開けた。

 その瞳には、怒りとヤル気の合わさった炯々けいけいとした煌めき。


(お構いなしかよ!)


 止めることはできない、と瞬時に理解した。

 顔を強張らせたオウルは、窮地に立たされた『水の玉』と自分を守るべく咄嗟に声を張り上げた。


「『ウォートシールド』!」

「『ウィンデ奔流バースト』!」


 二つの声が重なると同時に、それぞれの魔法が発現した。

 一寸先に展開された大きな『水の盾』が、オウルと『水の玉』を守るように立ちふさがる。

 そのすぐ後に――ミリアの手から解き放たれた暴風がオウル達へと襲い掛かった。


「くっ!」


 重い圧を得た風が、暴れ狂うようにオウル達を叩き付けた。

 バシャリバシャリと悲鳴を上げる『水の盾』。

 その横から受け切れなかった衝撃が怒涛の勢いで流れ込んでくる。

 顔の前で両腕を交差したオウルは、食いしばった歯の合間からくぐもった声を零しつつ、今の状況に驚いていた。


(これ、Dランクの魔法使いが撃てるような威力じゃねーぞ!?)


 まるで、大風と豪雨の吹き荒れる嵐の中へ放り出されているようだ。

 と、呑気なことを思ったのも束の間。

 次第に威力が弱まり、荒れていた風が徐々に落ち着きを取り戻していく。

 バタバタと騒ぎ揺れていた服がようやっと静まった頃。

 その時になって重ねていた腕を振りほどくや否や、オウルはご自慢の白髪を乱れさせたまま言葉を飛ばした。


「おまっ、俺を殺す気か!」

「だってだって!」

「だってじゃねーよ!?」


 「ガキか己は」と叫びたい衝動を抑えて頭を掻き毟る。

 だが、派手な魔法を撃ったおかげか、ブスッと頬を膨らませてはいるものの、その顔にはどことなく満足そうな色が混じっている。

 それを見て取ったオウルは掻き毟る手を、雑な手櫛へと変えて髪を整えた。


(ったく、なーんでこんな風になっちゃうかな)


 当初の予定ならば、今頃はただ平和に魔法を撃ち合ったりしていたはずだった。

 しかし、ミリアの短気もあって、結局は魔法と言葉の煽り合いのようになっている。


(今日はこのくらいで終わりにするか……)


 魔法の特訓になっていない気はする。

 けれども、マギラの森に行けなくなり、活動範囲が狭くなったことによる精神的疲労ストレスは少しばかり発散できたのかもしれない。

 そう前向きに考えたオウルは、パンパンと手を叩くとその日の特訓を終わりにしたのだった。




 ☆☆☆




「ねえ、オウル」

「ん?」


 草原からの帰る道すがら。

 静かな声色で話しかけてきたミリアに、オウルは歩みを遅くした。

 段々と温もりを増す春風の中を、ミリアはいつもと変わらない足取りでオウルの隣に並んだ。


「何でオウルってそんなに魔法がグワーって使えるの?」

「グワーって何だよ……魔法を自由自在に使えてるってことか?」

「うん」


 オウルの質問返しに、金色の髪が小さく縦に揺れる。

 隣を歩く少女から目を離し、顎に手を添えたオウルは唸りながら思案して。


「ミリアは何でだと思うよ?」

「大人だから」

「……大人、ねぇ」


 随分と眩しい即答が返ってきた、とオウルは小さな眩暈を覚えた。

 無論、全て錯覚ではあるが、その大人に対して抱いている純粋な理想はオウルを感傷に浸らせられるくらいには眩しいモノだ。

 フッと笑みを零して、オウルは考える素振りを止めた。


「魔法には大人も子供も関係ない。頑張ればお前だって魔法をグワーって使えるようになるさ」

「そうかな?」


 いつものように、ヒルグリフの門を抜けて。

 いつものように、大通りを歩いていく。

 それでも、


「そんなもんさ。だから頑張ろうな、ミリア。世界で一番の魔法使い――なるんだろ?」

「……うん!」


 いつもと変わらない道を歩きつつ、大きく頷いたミリアの笑顔は、とてもとても、明るい笑顔をしていた。



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