『深森の少女』編

第12話 新しい日常




 カタカタと無機質な音が鳴り響く。

 床から壁に天井。

 全てが全て木の板で覆われた部屋の真ん中に一つのテーブル。

 そこには、四人の男女が囲むようにして並べられた皿と向き合っていた。


(……何だかなぁ)


 その内の一人として混じっていたオウルは、ふと手に持ったスプーンの緩慢な動きを止めた。

 右隣で、ただひたすらに膨らんだ頬へ物を詰め込むミリア。

 そのガツガツと食べる音だけが妙に静かな空間へ小さく彩りを添えるばかり。

 シャッキリシャッキリと瑞々しい音を立てる野菜をゆっくりと飲み込んだオウルは、その口から小さな溜息を零した。


(多分、と俺のせいなんだろうなぁ……)


 そう胸中で呟き、チラッと視線を対面に向ける。

 そこにいたのは、一人の少年だった。

 ボサボサ、とまではいかなくとも少なからずツンツンと乱れた赤髪。

 年相応のあまり高低差を感じさせない中背と、白の半袖から小さい筋肉のメリハリが見える細く伸びた腕。

 まだ十五にもなっていない少年とは思えないようなしっかりとした体付きは、オウルさえも少し驚いた程だ。

 


(まあ、それだけなら良かったんだけど)


 そう考えたところで、不意にその少年の不機嫌そうな目とオウルの穏やかな瞳がかち合った。

 そして、


「……ふん」

(えぇ……)


 目を合わせるのも嫌か。

 頬杖を突き、敵を外へ追いやるが如くそっぽを向いた少年。

 その行動にオウルの口角がヒクヒクと吊り上がる。


「……どうしたもんかなぁ」


 思わず口から愚痴にも似た呟きが零れた。

 そこでようやく、隣からの視線に気付いたオウルが前から左へと顔を向ける。

 その先にはスプーンを咥えて困惑気味の表情を浮かべる茶髪の少女が一人。


(先が思いやられるなぁ……)


 「どうして」と言わんばかりに少女が小首を傾げる。

 だが、オウルは少年――レオン・ギルガスの理不尽な機嫌の悪さに、ただ大げさに肩を竦めてみせることしかできないのだった。




 ☆☆☆




 ギルドの前で落ち合った日から早一週間。

 新しくミリアのクラン『シャイニー妖精達テイルズ』の一員になったオウルは、新しい環境に心を騒がせながらも少しずつ、その雰囲気へと馴染みつつあった。


「おっ」


 散歩帰りの大通り。

 夕方とは思えないような数の屋台が並んだその場所で、意外な横顔を見つけた。

 ふわりと柔らかく膨らんだ茶髪に、丸い顔へ優しさを添える大きな瞳。

 頭一つ分高い体は、遠目から見ただけだと大人びているような印象さえ与える。

 そんな少女の元へ足音を殺して近づいたオウルは、ジッと陳列された商品を見つめるその肩をチョンチョンとつついた。


「わっ、お、オウルさん!」

「やあやあ、ミーシャちゃん。今日も元気だねェ」

「え、何でお爺ちゃんみたいな喋り方……あ、ありがとうございます?」

「よく食べてよく寝るんだよォ?」

「なんかお爺ちゃんみたいなこと言い出した!」


 黄昏に照らされた大通りで見つけた人物。

 それは、オウルが所属するクラン『シャイニー妖精達テイルズ』の仲間である少女、ミーシャ・マクローンだった。

 容姿だけを取れば控え目そうにしか見えないが、実際に話してみると結構気さくで、一つ一つの会話に反応を返してくれるのもあって思ったよりも話が進む。


(どうりでミリアに目を付けられるわけだ)


 大きく声を張り上げたり、驚きに固まったりと感情表現も豊か。

 そんな忙しない姿を見て、クツクツと笑みを零したオウルは「冗談だ」と手を振った。


「まあまあ、落ち着きなって。で、もう買い物してるの?」

「お、落ち? あ、はい。この時間だとお野菜をいつも安く買えるので」

「ほぉー、やっぱ主婦は違うねぇ」

「えっ、一応私も魔法使い……」

「荷物持とうか?」

「あ、いえ、お気持ちだけで」

「お、おう」


 オウルの提案をやんわりと断ったミーシャがよいしょ、と野菜の入った袋を細腕で抱え直す。

 おそらく、厳選された安いモノが大量に詰められているのだろう。

 それを見たオウルは、不意にその目を凝視するように細くした。


(……やっぱりすごいな。神秘だ)


 視線の先にはパンパンに膨らんだ袋――ではなく、それを柔軟に押し返す二つの膨らみ。


(ミリアとは同い年だったっけ。でもこんなに差が……いや、やめておこう)


 頭を振り、脳裏に浮かんだミリアを追い払う。

 こんなことを考えていたなんて知られたら、彼女の意味のわからない怪力でタコ殴りにされるやもしれない。

 そう思っているうちに、ミーシャの買い物が終わったらしい。

 屋台の主へ小さく茶髪を揺らしたミーシャはゆっくり歩き出すと同時に、オウルへと話しかけた。


「私はこれから家に戻りますけど、オウルさんはどうしますか?」

「んー、俺も特にやることないからご一緒させてもらうよ」

「は、はぁ」


 活気と哀愁の入り混じった通りを歩きつつ、ミーシャはこてんと首を傾げる。


「あの、依頼とかはやらなくていいんですか?」

「や、あんまり良い依頼が見つからなかったんだ」

「マギラの森とかは……?」

「まだ危ないらしいよ。この前マギラの森に行けなくなったってミリアが騒いでたろ?」

「……そうでしたね」


 『マギラの森へ近づいてはならない』――という勧告がギルドから出されたのはつい二日前くらいのことだ。

 一緒に見に行ったわけではないが、ミリアがギルドで聞いたとえらく騒いでいたのはよく覚えている。

 それを思い出したのか、シュンと肩を縮こませたミーシャが神妙な表情を浮かべた。

 その顔を横目に見たオウルは、ふと思った。


(そういやミリアとは一緒にいることも多いが……ミーシャとはあんまり一緒にいたことはなかったな)


 これは中々に珍しい機会ではないだろうか。

 そう考えると、この時間を静かに過ごしてしまうのは何かもったいないような気さえもしてくる。

 どうやらそれは、隣を歩く少女も同じく思っていたことのようだった。


「ォ、オウルさん」

「ん?」

「あ、明日は確か、ミリアちゃんに魔法を教えてあげるんでしたよね?」

「んー、あー、そんな話してたな。なに、ミーシャも教えて欲しかったりするのか?」

「それもいいかなー、とは思ったんですけど明日は友達と遊ぶ約束をしちゃってて……」

「え、ミーシャって友達いたの?」

「いますよ!? いるに決まってるじゃないですか!」


 頬を膨らませ、ぷんぷんと怒りを顔で表現するミーシャ。

 思わずフッと笑ったオウルは、手をヒラヒラと揺らして返した。


「すまんすまん、冗談だぁよ冗談」

「んもぉ……オウルさんっていつも冗談言ってますよね」

「そうか?」

「昨日も冗談を言ってミリアちゃんに怒られてたじゃないですか」

「昨日……」


 その言葉をきっかけに、昨晩の出来事がオウルの頭の中で蘇る。


 ――なに、魔法を教えてくれって?


 ――うん。オウルってすごく魔法使えるじゃない? 私もオウルみたいにグア―ッて感じで魔法を使えるようになりたいの!


 ――そうかそうか。なら、授業料一千ケイルを


 ――ふんっ!


 ――どらっせい!?




「……うん、あれは嫌な事件だったね」

「ほとんどオウルさんのせいですけどね」

「言うじゃないか、ミシャお君」

「ミシャお君!?」


 打てば響くようなミーシャの反応が止まらない。

 そんなこんなで。

 廃れた住宅街の広がるヒルグリフの東側エリアに入った二人からは、少しずつ言葉の勢いに落ち着きが帰り始めていた。


「なな、ミーシャ」

「はい?」

「本当はさっき話そうと思ってたんだが……レオンっていつも機嫌が悪いのか?」

「あ、そのことですか」


 暮れも過ぎ、そろそろ明かりも欲しくなる程の暗さになった道の途中で、オウルは思い出したように尋ねた。

 時折、カタカタと足元で音がするのは地面のレンガが割れていたり、突出するように緩んでいたりするからだろう。

 まだ聞き慣れないその音を耳にしながら、ミーシャは戸惑いの色を浮かべて口を開いた。


「うーん、レオン君の機嫌が悪いときって疲れたり、嫌なことがあったりした時くらいだと思うんですけど……」

「じゃあ、普段はもっと明るいわけだ」

「そう、ですね。いつもはもっとわちゃわちゃしてるっていうか、もっと元気っていうか……」

「ふーん、なるほどねぇ……」


 段々と、見慣れたモノが遠くに見えてきた。

 薄闇に紛れて見え辛くなっている薄汚れた白い壁。

 屋根は塗装が剥がれ落ちており、よく見れば端のところが少しだけ欠けている。

 この街にしては珍しい木の枠組みで作られたそれは、オウル達『光の妖精達』が拠点としている家――通称、ボロ家と呼ばれている建物だった。


(まあ、どういった経緯で手に入れたかは知ってるけど……)


 ギルドに一週間拝み倒して手に入れた、という話はオウルがクランの一員になったその日にミリアが自慢げに教えてくれた。

 当時のオウルは思ったよりもしっかりとした家だ、と感心したものの、実際に住んでからはその考えが一変した。


(……隙間風は本当にどうにかならんかなぁ)

「何か言いました?」

「いんや、ただの独り言」

「はぁ」


 振り向いたミーシャが、オウルの答えにただ曖昧な返事だけを返す。

 そうする頃には、既に二人の足はボロ家の前で止まっていた。

 中から漏れた明かりの小さな揺れがチラチラと見え隠れしている。

 袋を片手に持ち直し、残った手を古びた木の扉へ添えて。


「あの、オウルさん」

「ん?」

「その、レオン君は悪い子じゃなくて、本当は優しいから……」


 そんな言葉が出てきたのは、オウルとレオンの不和を心から気にしているせいだろう。

 だから、ミーシャの手が添えられた扉に触れたオウルは、


「……あぁ、わかってるよ」


 小さな答えと共に、その扉を押し退けたのだった。



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