第11話 決意の黄昏
(本当に、良かった……)
無事とは到底言えないような姿だった。
傷と土汚れに
修繕すれば辛うじて着れそうな程にボロボロとなった服。
結わえられていた二束の髪は片側だけが残され、解かれた髪は力なく垂れている。
それでも――生きていた。
すぐ傍へ駆けつけ、ミリアの腕にそっと触れたオウルは、心の底から安堵していた。
「少しだけ我慢してくれよ?」
「……え?」
痛々しい腕から、赤く腫れあがった目元の下へ。
ほのかに涙の通った線と、細長く伸びた赤い筋の刻まれた頬に触れたオウルは、ゆっくりと目を閉じて、優しく落ち着かせるように口を開いた。
「『
「あっ……」
何の前触れもなく湿り出したオウルの手に驚いてピクンと肩が震えた。
傷口から始まって、その奥へ奥へと暖かい何かが流れ込んでくる。
そのことに戸惑いを見せたミリアだったが、オウルは敢えて黙することに徹した。
(傷は浅い。が、少し土埃が入ってるな。まだ傷口は塞がりきってないから出そうと思えば出せるが……外側の汚れを落とすぐらいでいいか)
流し込んだ魔力を、ミリアの血や魔力の流れに合わせてゆっくりと動かす。
そうして、目立った異常の有無をつぶさに確認し終えたオウルは小さく息を吐いた。
(取り敢えず血の流れを一旦落ち着かせるか。それから傷口を塞いで……終わり、っと)
血流には自身の魔力を沿わせ、傷口のある肌には薄い魔力を纏わせて再生力を活性化させる。
その間、たったの数分程度。
それら一連の流れを滞りなく済ませたオウルは、ミリアの頬から静かに手を離しつつおもむろに目を開いた。
「……オウル?」
「ひとまず傷だけは軽く治しといたから」
「あ、ありがと……」
しなびた金髪がはらりと揺れた。
強さは落ちても勢いの変わらない風が草木を奏でながら消えていく。
俯いたミリアは表情こそ窺えないものの、肩が小刻みに震えていた。
(コート、持ってくれば良かったな)
体が冷えていたことを思い出し、ポーチに手を伸ばしたオウルは僅かな後悔を滲ませながら一枚の黒い布を取り出した。
元々は敷物用に持ってきた布。
サイズがやや小さく、薄っすらと汚れもある。
だが、何もないよりはマシだ、と自身に言い聞かせてその布をミリアの肩に優しく羽織らせた。
「とりあえず今はこれで我慢してくれ。……後でちゃんと返してくれよ?」
「うん……うん……!」
頷きを返すミリアの声は、何かを
ポツポツと滴っては地面へと零れ落ちていく水音が、するりと耳に入り込んでくる。
無駄に開けた二人だけの薄暗い空間で、オウルは困り顔を浮かべて頬を掻くことしかできないでいた。
(こういうのはどうにも苦手なんだよなぁ……)
何か言葉を掛けてやればいいのだろうか。
それともただ無言で肩とかを叩いてやればいいのか。
(…………わっかんねぇ)
あまりにも不器用な慰め方しか思い当たらない自分に、思わず自嘲気味な笑みが浮かんだ。
オウルとて二十代ではあるが、
誰かを慰めたことがないわけではない。
ただ、どのようにすればより慰められるか、といった思考がオウルを不器用にしていた。
「そろそろ……帰ろうか」
「……ん」
声を絞り出し、手を貸してゆっくりと支えるように立ち上がらせる。
まだ少し体は震えているけれども、歩くのに支障はなさそうだ。
そう見て取ったオウルは、咳払いを飛ばした。
「あー、コホン。……ちょっといいの見せてやるよ」
「……?」
ようやく顔を上げたミリアの前へ、仰向けにした右手を突き出す。
それから、オウルはいたずらっぽく口角を上げた。
「『光よ』『小さな瞬きを以て』『我が手に示せ』『
「えっ……」
『光』の単語に反応したミリア。
その目の前で、それは発現した。
「うそっ……光の、魔法……」
オウルが放った魔法――それは、『特殊属性』とされている『光属性』の魔法だった。
特殊属性は、生まれつき。
才能のある者しか扱うことさえ許されない、希少性の高い魔法。
そんな魔法が、目の前で発現している。
赤く腫れた目を開き、信じられないモノを見たとでも言わんばかりにミリアが驚いたのは仕方がないことと言えた。
「まあ、光属性の魔法もちょっとは使えるんだよね、俺」
丸く収まった光が、手のひらから緩やかに浮いていく。
驚愕に固まった表情でそれを見送るミリアに、オウルは。
「……これなら、暗い森の中も歩けるだろ?」
片目を閉じて、優しく微笑んだ。
☆☆☆
大切なモノは、どんなに追い払っても必ず付いて来ていた。
他人からすれば、些細なことかもしれない。
それでも、結局、気付いた頃には手の中に大切なモノが握られていた。
(もしかして……)
これは、機会なのかもしれない。
かつて大切なモノを失う痛みに耐え切れず、逃げ出した自分に対して。
もう一度、それを手にしてみろ、と。
――今度こそ、大切なモノを守り抜いて見せろ、と。
(もう、逃げれそうにないな……)
風は、いつの間にか落ち着きを取り戻していた。
あちこちと生えた草木を踏み抜いて。
隣を歩くミリアから、鬱蒼とした空を仰いで目を細め。
光に照らされた暗い道を歩きながら、オウルは
(そういえば……)
――あの子と最後に歩いた場所も森の中だったな――
☆☆☆
森の外は、黄昏色の光が広がっていた。
薄い雲に覆われながらも、その合間合間から夕焼けに染められていることを告げる空の下。
荒れた道を抜け、正門を潜ってヒルグリフに辿り着いた二人は、人気の減った街の通りを静かに歩いていた。
「……ねえ」
「ん、おおっ?」
不意に布を押し付けられた勢いに体が仰け反った。
ガンッとぶつかった通りすがりの人に、へこへこと頭を下げたオウルは不服だ、とでも言いたげに目を向けた。
「急にどうしたよ」
「……やっぱり、私たちのクランに入らない?」
「……」
顔を上げて、真剣な眼差しが射抜いた。
開きかけた口を閉じ、そっと目線を外す。
それでも、ミリアは食らいつくように言葉を続けた。
「私たち、確かに弱いけど……でも、本当に世界で一番のクランを目指してるの」
「……」
オウルの歩く足が、少しばかり速くなった。
しかし、負けじとオウルの前に躍り出たミリアは、肩に羽織った布を握り締めた。
「わ、私はあんまりあれなんだけど……ほら、ミーシャは料理が上手でね。いつも美味しいご飯作れるの。あ、あとね、レオンっていう子もいるんだけど。レオンはいつも力仕事とかやってて、狩りだって少しはできるんだけど……」
何故か、声を無視したオウルがその横を通って行った。
段々と消え入るように言葉を弱くしたミリアは、思わず立ち止まってしまった。
(やっぱり、ダメなのかな……)
あの日の情景が、遠くなっていく背中と重なった。
布を握っていた手が離れ、悲しみに暮れた瞳が大きく煌めいた。
もう、届かないんだ。
遠のいた背中に、唇を噛み締めたミリアが叫ぼうと口を開けて、
「明日」
「……え?」
見れば、オウルは止まっていた。
人気もまばらな通りと広場の間に立って、オウルが振り向く。
「明日の朝、ギルドで待ってる」
「……っ!」
優しく放たれた言葉に、ミリアの目が大きく開かれた。
何かの、間違いだろうか。
そう思ったミリアは、開いた口を震わせた。
「あし、た……?」
声は、ひどく掠れていた。
けれども、その声にオウルは答えなかった。
「もし、何かやりたいことがあったら、早く来るこったな」
それだけを言い切って。
再び歩き出したオウルの背中が、少しずつ遠くなり始めた。
それを見て、ハッと我に返ったミリアは急いで涙を拭うと精一杯、力の限りに叫んだ。
「明日……明日、絶対に行くからぁ!」
答えは、ない。
だが、
去りゆく背中から伸びた手が、小さく左右に揺れている。
その姿を、澄み渡った翡翠色の瞳は映していた――
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