旧いトンネル

川谷パルテノン

 

 まだ僕が学生の頃、友達と一緒に旧Iトンネルに行ってみようという話になった。

 旧Iトンネルとは、かつて県境を跨ぐ際に使われていた山道の途中にあるトンネルで、現在は使用されていない。建設当時から落盤などの事故で死傷者を出し、使用されるようになってからも、鉄道を敷いていたこともあり追突事故なども起こしている。越境するうえで便利な交通路ではあったものの極めて狭いトンネルであったために大型車両が一両やっと通れるような道で、新トンネルの完成に伴い使用が中止された。先に述べた事故の歴史から、その辺りは心霊スポットとして実しやかに噂される場所でもあった。

 卒業を間近に控えた僕たちは旅行がてら肝試しでもしようかというわけだった。こういった発想が軽はずみに出る若さがある。中には前向きでないメンバーもいたが、誰かの「メインは旅行」のひと言で渋々ながら参加した。

 旅の始まりは快晴に恵まれた。前夜の予報では雨となっていたのに幸先がいい。車を二台用意して、各自が持ち寄った好きな曲のCDをかけながらN県を目指す。道中は他愛もない話で盛り上がり、これから心霊スポットへ行くのだというような気構えも緊張感もなかった。


 休憩を挟みつつ、三時間ばかり車を走らせN県へと入る。「夜が本番」と前に言ったことを覆しながら観光で時間を潰した。友人のAは妙なプリントのシャツを買い、Bは親への土産と言ってどこにでも売っていそうなお菓子を買った。僕は特に土産などには目もくれなかったが、かつて小学生だった頃にも来たことのあるここの当時と今を比べながら観光を楽しんだ。


 駅近くの定食屋で夕飯をとり、いよいよ日が暮れたこともあって、僕らは旧Iトンネルを目指して山道へ入った。あたりには照明などなく、奥へ進むほどに暗さが増す。車内から、山道の脇に生えた高い木々を眺めると、それらは風に揺れてザワザワと先を揺らしていた。雰囲気はあるな、と誰かが言った。ここに置き去りにされるほうが怖い、と他の誰か。口数の減る面々。僕たちは徐々にトンネルを意識し始めていた。


 正直に言えば拍子抜けだった。辿り着いたトンネルの辺りはそれまでの山道に比べて街灯に照らされた明るさがあり、近くには住宅も並ぶ。異様な雰囲気があるかと言われれば、立ち入り禁止の柵こそ物々しさはあるけれど、何か得体の知れない感覚に見舞われる、というようなことはなかった。僕は元より霊感もなく、そういう怪異じみたものの存在を信用していない。なんだか寒気が増した、などと言っている友人達をどこかで小馬鹿にしていた。写真を撮ろう、流石にマズいのでは、そんなことでベラベラ話していると、突然窓の開くような音がして、音のほうを振り向くと、近所の住人がそこからこちらを見ていた。逆光で表情まではわからない。噂に釣られて賑やかしにくる僕らのような馬鹿な連中が絶えないのだろうか。迷惑とでもいうように住人は無言で窓辺に立っていた。霊なんかよりよっぽど身震いしたのを覚えている。僕は「何も出そうにないし、そろそろ帰ろう」と提案し、とりあえず立ち去ることにした。ともあれ噂とはこんなものだと、半ば煮え切らない気持ちで車内に戻る。もう一度、住宅のほうを振り返ってみると窓はもう閉められていた。

 エンジンがかかり、車が発進した直後だった。


「……んた……けやで」


 僕は声を聞いた。「なんて?」と友人に聞き返す。誰も何も言ってないという。心霊現象を信じない僕が「ふざけた真似」をしていると思った彼らは茶化すように僕を笑った。僕は確かに何かを聞いたように思うし、馬鹿にされて些か腹も立たないではなかったけれど、自分自身でも莫迦莫迦しいとなり、気のせいだと思うことにした。


「あんただけやで」


 次ははっきりと聞こえた。僕はその声のことをもう友人達には言わなかった。彼らの声ではない、少し鼻の詰まったような、どちらかと言えば女性のような声。参加したメンバーに女性はいない。僕はトンネルのほうを見た。相変わらず何もない、初めて見たときのままだった。声はそれ以降しなかった。ともかく気分が悪い。帰り道、パーキングエリアで停めてもらいトイレに駆け込んだ。我慢できずに全部吐いた。口をゆすいで鏡を見ながら、声について考えた。「あんただけやで」何が僕だけなのか。さっぱり検討もつかない。車に戻ると、僕の異様な雰囲気を察してか友人達も心配している。


 大学近くの本屋の駐車場まで戻ってきた僕たちはそこで解散した。そこから住んでいたアパートまでの道すがら、何度もあの声がした。これは僕自身の思い込みだったと思うけれど、足早になって部屋に戻った。とにかく早く寝ようと思って布団を被った。


 翌朝、目が覚めてみると、枕元にクシャクシャに丸めた紙が落ちていた。昨晩にはなかったように思うけれど、だいぶ気が動転していたしよく覚えていない。恐る恐る紙を開いてみると、それは真っ黒に鉛筆で塗りつぶしてあった。そして僕の右手の小指側も真っ黒なことに気づく。自分でやったのか。でも何故かはわからない。僕は紙を捨てた。


 それから一〇年近くが過ぎた。僕は夢を見た。夢というのかどうかもわからない。意識が現実から切り離された感覚に陥って、僕はどこかの家の二階にいた。僕は徐に窓を開ける。外では何人かの若者が、夜も遅いというのに騒いでいる。僕は彼らをじっと見ていた。そのうち一人と目が合った。他の若者は僕に気づいていない。目を合わせた若者が皆に声をかける様子で、やがて彼らはその場を後にした。僕は窓を閉めた。閉める瞬間、咄嗟に目を瞑った。何かに気づいてしまったから。あの時と同じだと思った。「何か」に気づいてしまった僕はその「何か」の表情を読み取ることを拒否した。直感というか本能的にというのか、それと顔を合わせてはいけないと思わせたのだ。僕は目を瞑りながら、声だけを聞いた。

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