妹、兄を求める・表
―――
ゆるの話を聞けば、両親は俺が来る前に離婚していたらしい。元々、仲の良い家族ではなく、その上自分がこんな風なのが最後の引き金になったと思っているらしい。だが、個人的にはそんな風には思えない。
南足浩太は凡庸な人間だった。だが、親から会社を受け取りそれを継続させる程度には常識があったに過ぎない。ゆるの体質を理解出来ず、人をあてがって問題を先送りにし続けた。それがこの状況を生んだと俺は思っている。
まあ、そのお陰で俺は今、まともな生活が出来るのだからその凡庸さに感謝しなければいけない。
「お兄ちゃん?」
「どうしたゆる」
妹の部屋を片付ける。人間らしい生活は人間らしい環境から。周囲の状況こそ人間性を定義するのである。その理屈で言うと俺の周りは最悪だったので俺が最悪になってしまうが、そこはご愛嬌という事で。
「みてみて」
ゆるが来ているのは可愛らしいフリルの付いた服。どれもこれも破れているが、その中でマトモな物と振り分けていたが、どうもそれが気に入ったらしい。可愛らしい。笑顔もにししと子供らしく笑っている。だが、これはこの真っ暗な部屋の中だから許されている。
色は判断できないが輪郭で全てを察する。
「おー可愛いぞ」
「うっしし」
「うしみてえに笑うんだな」
「牛はそんな風に笑わないでしょ」
まあそうか。俺は学がないのでよく分からない。本来なら小学校に通う筈だが、マトモな教育なんて受けた事がない。まあ、色香に狂わされたのなら当然と言うべきか。
暗闇の中で踊る彼女、白い肌が消えては見える。
「しかしねえ。俺も学校って物に行ってみたいねえ。まあ、無理だろうけど」
「やだあああああ」
ゆるが後ろから抱きついて来る。そのまま片付けを続ける。それが気に入らないのか締め付けが強くなる。背骨がばきばき言っているが折れている訳ではない。ガキの自分でも苦労すればコリは溜まる。生きていれば方も凝る。
「どこにも行かないで!!!」
「行かないさ。だけどな、自立は大事だ。俺はこんなんだから、大人になったって役には立てない。まあ、肉体労働なんかは自信があるけど、それくらいだ。若い内に稼がないとまずいだろ」
「まだ子供じゃん!」
「子供だからこそだよ。現実は非常だぞ。義父さんが常に守ってくれる訳じゃない。世間体が悪くなったら・・・」
ゆるはそれを聞いて、掴むのを外して俺の前に立つ。真っ暗闇の中、ゆるの顔だけが見える距離。恐ろしく無表情、そしてその目は煌々と光っている。子供が持つ原始的殺意。何かに触れてしまった。
「私からお兄ちゃんを奪う?殺すよ?許さない。私から理解者を奪うなんて誰であっても許さない」
「物騒な事を言うなよ。それにそんな事、出来やしないだろ?」
ゆるは何を思ったか暗闇の中を探る。そして引っ張り出したのはノートパソコンだった。明かりを付けて部屋の外に出る。そして暫く水の流れる音や洗う音が聞こえたかと思えば、帰ってきた時には美少女がいた。
濡れた髪、潤んだ瞳、少し膨らんだ胸に、如何にも男が好きそうな子供っぽくも性的に見える角度を知っている。服も男物だが完全に着こなしている。自分の見られ方を誰よりも知っている。
「ゆる、また綺麗になって・・・」
「お兄ちゃんが欲しい物が分かった。お金とそれに伴う環境があればいい。私なら出来るの。人目に晒される。その多少の苦痛で、私は理解者を失わずに済むなら」
ゆるはPCを弄くり回してカメラを回す。そして、見た事が無いほど無邪気で幼く、その中に色香を惑わせる雰囲気を入れ込む。わざと隙を作っているのだろう。
「どうも、私ゆるるって言います。皆さん、お友達になってくれたら嬉しいです!」
ゆるはその日からネットアイドルになった。
―――
「電子の妖精、幼き偶像。映像映えするという体質は本来、憑物筋に取り憑かれている最中に内包した性質だろう。いや逆だな。その体質こそ憑物を集めやすくしていた。伝承されやすい、それだけで神秘性は保持されやすくなる」
恋愛探偵は鼻血を拭きながら持論を言う。ゆるの暴走は収まっている。だが、今度は更にと手に白いロープを持っている。
「調べたよ。ネットアイドル、ゆるる。主にアングラ界隈の動画サイトを主戦場として所謂お話するだけの凡庸な何処にでもいる小学生アイドルさ。だがね、動画を見たけど恐ろしいねえ。ゆると言う少女は異様な程、男心を擽るのが上手い。媚びを売るとは違うな。おねだりが抜群に上手い。弱く見せてか弱く思わせて無力を演じる。それで助けを求める様に願い、相手が助けていると勘違いする様に誘導する」
パッドに写っているのはゆるの最初の動画、確かに大量の金銭が彼女に送られている。その一つ一つに感謝をしている。その上、コメントからちょっとした相手の特徴を予測、相手がどんな立場でどんなに人間かを推測して、それに合わせて対応を変えている。
「見事だよ。暴力の権化である春日鳩も権力の象徴である森羅まほろですら成し得なかった完全な人心掌握能力。美しく見せる才能と美しく思わせる才能。この二つが混ざった時、こんな状況が生まれたんだ」
―――
ゆるの人気はますます大きくなった。それと同時にゆるはファンクラブを作る様になった。より濃くより強く自分を崇拝する存在、ゆるは多くの人間から見られる事を恐れなくなった。むしろそれを望んでいる節すらあった。
その頃からゆるは変わっていった。
より綺麗により男が好む様な雰囲気が出る。胸も尻も顔も全てが欲望を体現する形になっている。その変貌に義父も驚いていたが、それを止めれる筈がない。マトモになった娘、それが依存する義理の息子。
複雑な表情で見ていた。まあ、ここで止める勇気があれば、父さんも無事だったのだが、それが出来るなら俺はここにいない。
ゆるに呼ばれる。部屋の中は撮影機材が所狭しと並べられている。あの荒れ果てた風景はもうない。本当に数ヶ月でこうなったのだ。その中心、お姫様みたいに座っているのがゆるである。玉座の様な椅子。少し薄暗い。
「なんかようかい?」
俺がぶっきらぼうにそう言ってもゆるは気にせず、俺の手を掴む。いつの間にか目の前にいる。
「ねえ、お兄ちゃんは何が欲しい?」
「ほしい物なんて何も・・・」
ゆるは俺の手を強引に胸に押し当てる。柔らかなそれは闇の中で感触だけ分かる。張りがあり、掴みたくなる欲求が腹の底から出てくる。
「嘘吐き、お兄ちゃん。私が欲しくない?」
ゆるは俺の足を自分の足で撫でる。そして、片方の手で俺の腹を撫でる。その手は徐々に下に移っている。それに必死に抵抗する。
「ゆる、辞めなさい」
「お兄ちゃん、私ってどんどん綺麗になるの。全部お兄ちゃんのお陰。ボロボロだった私に乗せられたこの全てはお兄ちゃんに上げたいの、増えた胸も細い腰も可愛い顔も潤んだ瞳も全てお兄ちゃんの物」
ゆるはねっとりと笑う。きっとこの年でしていい顔ではない。背筋がビリビリとする。剥き出しの性欲を叩きつけられるのはこんな感覚なのか。
「ねえ、お兄ちゃんは他の女の子とたくさん遊んだんでしょ。でもそれって純粋じゃないよ。お兄ちゃんは私の理解者で、私がお兄ちゃんの理解者なんだよ。他の有象無象なんて無価値で無用だよ」
「随分だな。だけど俺はお前が必要だけど俺はお前のサンドバックくらいにしかなれないぞ」
正確な認識だ。だがゆるは許せないのか、大口を開ける。顔を真っ赤にしてまるで心の底から伝えたい事があるようなそんな風に見える。
「違うよ!お兄ちゃん!お兄ちゃんは私が殴って蹴って噛みついても受け止めてくれた。そしてお兄ちゃんは、私を私として見てくれた。お兄ちゃんと一緒にいると力が湧くの胸が高鳴る。お腹の下が熱くなる。頭がぐるぐるする。それはきっと・・・」
―――
「恋なんかじゃない。ゆると言う高度伝承体質を持つ存在と伝承受胎された君。この二人が出会い、認識し合った事によって互いは入れ子の様に証明し合い、消える筈だった怪物達は完全な羽化、開かれた訳だ」
ゆるは笑う。外はすっかり昼で夜で朝で、だめだ脳がぐらつく。恋愛探偵が俺を過去に飛ばし過ぎた。俺の脳味噌はもうかき混ぜられ過ぎて輪郭を失ってしまった。
蕩けた俺を啜る鳩とまほろ。狂った世界は狂ったまま継続される。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます