先輩の偽装彼氏になる・裏
「のっぺらぼう、いやぬっぺっぽう。この二つは非常に似た性質を持っている。互いに顔が無いという事だ」
時計が無いせいで時間が分からない。もし朝になってたらまずい。だが扉の小窓から見える外は真っ暗だ。少し外の空気でも吸いたい。防音がきっちりされているせいなのか妙に息がし辛い。
だが恋愛探偵の話は続いている。頭を軽く振って話に頭を戻す。過去を夢想しすぎて脳が痛んでいる気がする。
「・・・そうですね。のっぺらぼうに関してそれってこんな顔だったかいって話が有名ですし、ぬっぺっぽうに関してが京極夏彦先生が書かれた小説にも出ますよね」
「妖怪に詳しいねえ。そう互いに顔がない。だがね、ぬっぺっぽうは体自体で脅かすんだ」
恋愛探偵は絵を取り出す。それはぬっぺっぽう。ブヨブヨとした真っ白な生き物。たるんだ皮が顔になっている。妙にコミカルに見えるのはそう言った所からだろう。木の下に隠れている様に見える。それはどこか・・・先輩に似ている。
「憑物というのは精神の有り様。恋や愛を精神の疾患と見立てれば、それを妖怪変化として例えるのは至極当然」
「そうですかねえ?」
恋愛探偵は持論を曲げない。息が詰まる。扉を開けようと近づく。小窓から見える外にはまるで人気がない。ふと窓の外に何か黒い影を見る。なんだろうと見つめると・・・そこに鳩がいた。
背筋が冷える。目をこするとそこには誰もいない。そこの木陰にいたように見えた。
「どうしたんだい?」
「いえ、続けて下さい」
言った所で信じてくれないだろう。俺は怖くなって椅子に座りなおす。尻が湿っている。
「そうかい。偽装彼氏の一件は祖父からの提案だ。森羅まほろは幸三より異性との付き合いを求められたって訳だ。だがそれは子を成すような継続性のある恋愛ではなく、むしろ試験としての恋愛だったんだろうね」
「幸三はその頃は病だったから、自分がいなくなっても男を見る目があるのか知りたかったってとこですか」
自分無き後に無能を連れて来られては困ると思ったのだろう。それで俺を連れてきてしまったのだ。先輩も見る目が無い。
「話が早いね。それ位じゃないと。そんな中で偽装彼氏としての契約だったが、森羅まほろは君を好きになってしまったんだ。だが、君の素行調査をすればするほど君とは付き合えない事が分かってしまう。君は実は名家の坊ちゃんとかじゃないからね。全く見る目が無いよ」
「全くです。俺はごく普通の一般家庭の人間ですよ」
「そんな事、私が誰より知ってるさ。まあ、試験としては合格出来るかもしれないがその後はない。今の一瞬が楽しければ楽しいほど苦痛になる。膨大に増える仕事。不器用で拙い愛を伝え続ける。でも君はそっけない。心が削れて、彼女はぬっぺっぽうに取り憑かれた」
恋愛探偵は帽子を深々と被り、視線を見せない。少し辛そうだった。人の色恋を下世話に笑う人とは思えない。
「ぬっぺっぽうとは心の無貌、摩耗され続けた彼女の精神は拠り所を求めた。だが君はそれを見ているだけだった。いや、君は一度だって異性に対してアプローチをした事がないんだ。それは恐ろしい悪徳だよ」
「そうですかね?そうかもしれないですね」
今に思えば俺は好意を受け取る事はあっても好意を返した事は無い様に感じる。だがそんなの当たり前じゃないのか、釣った魚に餌を上げる人間などいる筈もない。
「私は君を調べた。調べれば調べる程恐ろしくなるんだ。君はあんな女達を自在に飼い慣らしている。君は自分を中心に狂っていると称したね。その通りだ。だからこそ森羅まほろは崩れていく」
俺は微睡と正気が分離しているのを感じていた。意識が覚醒したまま、客観的に過去に落ちていく。
―――
俺は先輩との関係を続けた。今に思えば先輩に監禁されていたというのは正しい発言である。学校を思い返せば防火シャッターが閉められている場所がいくつもあった。つまり俺の生活環境は先輩によって支配されていた。だが、それに気づかなかった。今に思えば俺は他人に、いや自分の周囲に興味がなかったんだと思う。
変化し続ける日常をそういう物と納得してしまう。これは大いなる悪癖であろう。だからこそ先輩の変化を特になんとも思っていなかった。
だが、恋愛とは変化なのだ。それに興味を持てない人間が今更人を愛そうなどと片腹が痛い。
―――
先輩は俺と手を繋いでいる。頭を俺の肩に乗せている。変わらない日々。変化はない。いや正確には変化しているのに、それが認識出来ていない。
先輩は綺麗になった。化粧もした。髪型も変える様になった。香水を使い、白い花のような先輩はより開いていく。服だって変えていた。本来指定の学生服があるが、そんな事先輩には関係ない。
この学校の支配者である。それすらも大きな変化になりえない。
昨日と今日に違いがない場合、その違いを認識出来ない。人間の脳はそう出来ている。
―――
「好きなんだ」
先輩が言う。今は水色の服を着ている。
―――
「大好きなんだ」
先輩が言う。今日は黒い服を着ている。
―――
「愛しているんだ」
先輩が言う。先輩は服を着ていなかった。
学校の屋上で先輩は何一つ身につけず、俺の前に立っていた。当然人払いは出来ている。俺以外誰も見ていない。俺はそれを見ている。興奮とか感動とか照れとかを一切感じない。ただ見ているだけに近い。
全てが真っ白な先輩。真っ赤な目だけがこちらを見ている。
「なあ、私の事は好きかい?私と繋がりたくはないかい?」
「先輩が望むなら」
「君は望んでないのか?」
悲しそうな寂しそうなそんな顔を見せる。だが、そんな事を言われても困ってしまう。俺は先輩の事は好きだ。好きなんだが、それは恋愛感情とは違うような気がする。
先輩は俺の膝上に乗る。既に不安定な精神状態。あと一押しで壊れそうな顔をしている。
「来週にはお祖父様に君を会わせる事になる。そこで全部終わりになってしまう。だから、このまま私を・・・何処かに連れてってくれないか?君がそう言ってくれるなら私は全部捨てても良いんだ」
「先輩は?先輩はどうしたいんですか?」
「君だ、君の意見が聞きたい。私を求めて欲しいんだ!」
俺は黙ったままだった。すると先輩は俺の膝から降りて、服を着始める。今日来ていたのは真っ赤なドレスだった。そして、俺の方を見る。出会った時と同じ、人を小馬鹿にした見放した立場に沿った目である。
そして冷徹に俺に言葉をぶつける。
「君は酷い男だ。だが、いいよ。君が私を欲しがらないなら、君を物の様に扱ってやる。お祖父様から正式に地位を受け継いだ暁には君を家の地下に閉じ込めてやる。それで全部終わりだ。君は私を欲するまで苦しめ続けてやる。こんな事したくなかった。さっさと言えよ!好きって!!」
先輩は苦虫を潰した顔で、小さく続けた。嘘でもいいからさ。
―――
おれはゆっくりと目を開けた。そこには恋愛探偵がいる。そして、俺はもう一度目を閉じる。眠気が薄っすらとやってきて過去への旅路と夢想が重なる。
その切符は彼女によって切られる。
「そして君は大立ち回りをするんだ」
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