宣戦布告するなら異世界で!
気持ち悪い。ここまで自分の欲に素直で、体裁も前置きも一切ない欲望を面と向かって言われたのは初めて……私という立場がない女の子でも、嫌悪感を抱かずにはいられないほど。
一国の王子がこんな姿だと誰が想像できるでしょうね? 噂がどこまで広がっているか分からないけど……誰もが幻滅してしまうわ。
「人の欲は誰しも己の胸の内にある。切っても切れないパートナーと言ってもいい。君にだってあるように、僕にだってある。僕の場合は、誰よりもパートナーの自我が強くて、そのパートナーが君を欲している」
「……そんなパートナーに人気になっても嬉しくないわよ」
「ふふっ、間違いないね────そうだ、君にこれ以上嫌われたくないから、早々に要件を言おうじゃないか」
エリオット第三王子様が机に置かれた紅茶を飲み干すと、私の瞳を真っ直ぐ見据える。
「婚約式は来週に行う。場所はこの街の教会あたりでするつもりだよ」
「……随分と急ね。王族であれば、王都で行うのが通例じゃないのかしら?」
「今回は特例だよ。僕が早く君と婚約したくて無理に押し込ませてもらった────大丈夫、それでもちゃんと君の晴舞台は作っておくからさ」
エリオット第三王子様は立ち上がり、私の元まで近づく。
そして徐に私の顎を掴み、そのまま自分の顔まで引き寄せる。
「君はもう逃げられない……楽しみにしておいてくれ、リンネ嬢」
「……逃げるつもりは毛頭ないわ。だけど、あなたを愛することは一生なさそうね」
「ふふっ、脅迫から始まる愛っていうのも、珍しくてロマンチックだと思うけどね」
「愛が生まれているのであれば素敵よ。だけど、私は微塵も愛を感じていない」
「つれないなぁ……まぁ、それも今のうちだよ────世の中、愛され方は色々あるわけだしね」
そう言って、エリオット第三王子様は私の顎から手を離し、そのまま部屋の外へと出ていってしまった。
扉が閉まり、室内には静寂が訪れる。
(婚約式はそうなの……来週、ね。本格的に逃がさないつもりなんだわ)
婚約式は、正式な婚約を行うために設けられる式。今の私達は「婚約する」と発表したものの、あくまで(仮)の状態であり、婚約式を挙げないと婚約したとは胸を張って言えない。
だから、婚約式が終わるまでであればいくらでも逃げられる。婚約自体をなしと発表しても、それはそれで貴族社会では稀に見るからさして問題ない。
逆に言えば、婚約式を終えてしまえば逃げることはできない────あとは結婚まで一直線。
(……逃げるつもりなんてないわよ)
私の責任、私が背負うべき問題。誰に渡すわけでも抱えてもらうわけでもなく、自分一人で解決する話。
それは分かってるわ。理解もしている……だけど────
「なぎとぉ……」
自然と、ナギトの名前が溢れてしまう。
そして、私はそのまま地面に崩れ落ち、小さな嗚咽を漏らしてしまった。
♦♦♦
リンネの婚約式が新たに発表されてから数日が経った。
あの日以降、俺はリンネとまともに顔を合わせたり、話したりすることはなくなった。
別に話したくないわけじゃない。怒っているから謝るまで────なんて子供っぽい理由を並べるわけでもない。ただ……まだ、『俺なりのやり方』が終わってないからだ。
ソフィアとミラシスの様子も変わった。どうやら、リンネの様子が少し変だと察してしまったのだろう。
「────というわけなんです、レイスさん」
「……ふむ、なるほどね。君の話は分かった」
目の前で、レイスさんがカップに注いである紅茶を啜る。
俺は現在、リンネの目を見計らってレイスさんの元まで訪れていた。
「娘の違和感にも気づいている、彼の噂も流石に私の耳にも届いている────もし、君の話を鵜呑みにするのであれば、私は全力で今から動こうじゃないか。それが、娘の幸せを願う一人の親としての問題だからね」
ふぅ、と。レイスさんは大きく息を吐く。
そして、少し苛立ちを込めたような態度で、俺を真っ直ぐに見据えた。
「それに、『娘が脅迫されて婚約』するというのが本当であれば、幸せという話以前の問題だ────我が娘に対する非道、許せるわけがない」
「……まぁ、俺の立てた仮説です。俺の思い過ごしかもしれませんし、荒唐無稽な勘違いの可能性も────だけど、俺はそう思っています」
俺がレイスさんの前に訪れたのは、俺が今日までずっと考え続けてきた結果を話すためだ。
どうしてリンネが婚約すると言い始めたのか、どうして頑なに何も言わないのか……それを考えた結果、一つの仮説が浮かんできた。
それが、『脅迫』だ。
何も言えない、頷くしかなかった、そう捉えてしまえば色々とすんなりいく節がある。
まず、リンネは「婚約した」「私が決めた」しか言わず、俺が問いただしても「好き」とは言わなかった。
ということは、リンネは少なくとも相手を愛していないのではないか? 「これから愛する」とすら言わなかったのは、相手が嫌いだったからではないのか?
次が、王子に流れている噂だ。俺もリンネから聞いた話でしかないが、どうやら『好きな女の子は脅迫してでも抱く』らしい。そんな性根が腐っている相手であれば、リンネを脅して無理矢理手に入れようとしてもおかしくはない。
では、どうやって脅迫しているのか?
それは────
「最近、専属使用人が第三王子に気に入られて王宮に行ったリンネから聞いたんですけど、それは間違いないですかね?」
「あぁ……つい先日、うちを辞めて王宮に行ったよ」
「なら、きっとその人が原因だと思うんです」
リンネは専属使用人のことを気に入っていた。きっと、彼女になれば自分から助けに行き……自らを溺れさせようとする。
あくまで予想の域をすぎないが、その人のことでなんらしかの脅しを受けているのではないか? そう思っている。
これが、最近考え続けて導き出した結論だ。
「今、私はは王城に足を踏み込めない。国王と面談して話をつけてきたいところではあるんだけど……どうにも、面談が手前で断られている。顔を合わせたことはあるとはいえ、互いの子供が婚約をするというのに親が顔を合わせられないというのは些かおかしい」
「この状況でそれですか。それはまたおかしな話ですね」
「君の話を聞くと尚更そう思ってしまうよ。もしかしなくとも、第三王子殿下の独断で話を進めている可能性が浮上してきた」
「全てを事後にしてしまえば、周りからの反応も抑えられるからですかね? 婚約してしまえば、おいそれと訂正できるものじゃないから」
「君は飲み込みが早い。本当に、平民の子とは思えないね」
こちとら、ラブコメ崇拝者なんです。ラブコメに走らない状況、ヒロインが幸せになれないというのなら、全力で頭を回すのだ。
「とりあえず、君は何をする? 私にできることはなんでのするつもりだが……いかんせん、時間が足りない。婚約式を終えてしまえば、覆すことは今よりも難しくなる」
「とりあえず、俺は式をぶっ壊す方向で動こうかな、と。第三王子が周囲のいる前で非道に働いていたとなれば、あいつの評判が落ちるだけでリンネの評判は落ちなくなるはずです。裏からやんわり婚約がなくなったって話になれば、少なからずリンネに非があるんじゃないかって思う人もいそうですし。レイスさんにはもう一度その専属使用人さんを引き抜いてこっちに抱き込んでもらうことをお願いしたいんです」
専属使用人がレイスさんのところに行ってしまえば、第三王子とはいえ下手に手を出せないはず。
そうなれば、どんな理由であれ脅しの効果は薄くなるし、リンネが婚約をしなければならない理由もなくなる。
王宮入りは名誉な話だと聞くが、何としてでもレイスさんにはやり遂げてもらいたい。
「だが、それだと君が危なくなる。納得できる部分も賛同したくなる部分もあるが────今は、証拠も何もない憶測の域だ。もし、リンネが望み裏がなければ……王族、公爵家の婚約を台無しにした君は咎人になるだろう」
「処刑って、なります?」
「これぐらいであれば処刑されることはないだろう。色々とあるが……一番濃厚なのは、国外追放かもね」
「だったら大丈夫っす。師匠にはちゃんと説明して、よそにでも行きますよ。師匠と離れ離れになるし、まだ教わりたいこともあるけど……師匠の魔法って有名みたいですし、それが使える俺だったら食っていくこともできそうですから」
帰ったら師匠に頭下げないとなぁ……。とりあえず怒られそうだけど、ちゃんと送り出してくれる気がする……うん、そんな気がする。一緒について行くなんて言わないではほしいけど……。
「ナギトくんは……それでいいのかい?」
「と言いますと?」
「今の話は君のリスクが大きい。私もできうる限りは動くつもりではいるが、君には及ばない。娘のため、それは親としてこれ以上にないくらい嬉しいさ────けど、君はどうしてそこまで動こうとするんだい? 仲がいいとはいえ、娘とは結局は赤の他人だろう?」
動機、か。確かに、聖人君子や赤穂浪士みたいな偉人でもないし、英雄や勇者みたいな正義感溢れるキャラクターでもない。なんだったら、ごく普通の家庭に生まれて、ちょっと恋愛経験が皆無なだけの一般の高校生だ。
だけど────
「俺、本が好きなんです」
レイスさんから視線を外し、俺は天井を仰ぐ。
「本って言っても哲学や情報誌や論文を纏めたものじゃなくて、青い青春を面白おかしく描いてそれぞれのキャラクターが活き活きしている作品です。いつか、俺もこんなことがしてみたい、こういう風にかっこよく生きてみたい、こんな環境で育ってみたい……自分とは違う境遇に憧れるのが、本当に好きなんです」
「…………」
「バッドエンドもあります。望まぬ結末を迎えるストーリーもあるかもしれません。だけど、大体が皆幸せに過ごして、紆余曲折、挫折絶望しながらも、最後には笑うんですよ────そんな物語が、俺は大好きなんです」
どんな展開が訪れて、どんな不幸に見舞われて、どんな事件が起きたって、結局は皆が幸せになっている。
それを引き起こしたのは主人公かもしれないし、ヒロインかもしれない。はたまた、作中にあまり描かれなかったサブキャラクターなのかもしれない。
条件こそ違うものの、笑顔を見せ、幸せに浸り、最後にはその結末に拍手をし涙を流す────そんな結末を、俺は好きで憧れて、目指したいと思った。
彼女がほしい────その根本は変わらない。
だけど、俺が作ろうとしているラブコメのヒロインであっても、ヒロインじゃなくても、作中で登場するのであれば俺と結ばれなくても幸せになってほしい。
不幸を甘んじて受け入れるなど……そんなこと、許されない。
「俺はリンネが中心の作中に登場するキャラクターであるとは思っています。であれば、最後に幸せな結末を迎えさせないと誰一人として報われない。門出を祝う者愛を祝福する者として、リンネという少女が不幸のまま結末を迎えるなんて……いち読者としては許したくない、それだけの話です」
彼女が幸せになるというなら、俺はそれを祝福しよう。
だけど、今の彼女からは幸せを感じられない────だったら、幸せになれるように作中の流れを変えてみせる。
彼女がほしい────それ一旦後回しだ。
美学を追い求める────俺というラブコメに戻すために、リンネには幸せになってもらう。本来のラブコメというのは、そういうものだ。
それが異世界に行こうが前世のどこであろうが、それは変わらない。変わってほしくないんだ。
「……そうか」
レイスさんは俺の話を聞いて、小さく息を吐く。
「親として、君がリンネ婚約者で会ってほし
かった……そう思うよ」
「それはリンネが決めることです。というか、俺とリンネはそういう関係じゃないっすよ」
「いやなに、親としてのただの願望だよ……」
レイスさんは立ち上がり、そのまま部屋から出ようと扉へと向かった。
話もお終い。外を見れば、すっかり日が暮れていた。
「君がそこまでするんだ……私も、立場を気にしないで全力で娘の幸せを願う────君は思う存分やるといい。後の始末は、大人であり親である私に全て任せてほしい」
「……ありがとうございます。とりあえず、ぶち壊す方法でも考えたら、ご報告だけはしますよ」
そう言うと、レイスさんは表情に笑みを浮かべてその場からいなくなってしまった。
(これで、とりあえずの関門は超えたかな……?)
一番の難所はレイスさんだった。レイスさんがリンネの婚約を望んでいるのであれば、俺も動きたくても動けず、俺の行動は完全に余計なお世話で終わっていただろうだけど、レイスさんもリンネの変化には気づいて俺の話に乗ってくれた────これで後腐れなく……ラブコメができる。
「ソフィアとミラシスにも相談するか……あいつらも、リンネのことを心配してるし」
その後は師匠に相談して……赤髪のヒロインを幸せな道に進ませればお終いだ。
「いいかリンネ……本当のラブコメがどういうものか、教えてやる」
俺はこの場にいないヒロインに向けて……本気の宣戦布告を向けた。
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