婚約者

 私には、人には言えない秘密がある。

 趣味……そう言っても過言ではない。過去に一度、下着が濡れてしまったから履かずに過ごして……その時に味わった背徳感から、こんな趣味が気持ちよく感じてしまった。


 分かっているわ。流石に、こんな趣味はおかしいって。

 でも、やめられなかったの……あの時の気持ちが忘れられなくて。


 知られれば公爵令嬢として、一人の女の子として────色々なものが地に落ちる。けれども、それが私は新しい要素として楽しく感じてしまった。


 ……やめましょう、こんな話。きっと、不快に思うだけだわ。


 ある日、私のクラスに転校生がやって来た。


 名前はナギト・ミズハラという男の子。変わった名前で、風貌は特徴らしい特徴は見当たらない。強いて言うなら、滅多に見かけない黒い双眸ぐらいだったわ。


 けど、ナギトはまるで見るもの全てが新しく映った子供のように、魔法を見て感動し、校舎を見て興奮していたりした。

 子供のようだったわ。初めに抱いたイメージは、正しく子供。


 だけど、初めての学園で初めての環境────右も左も分からないはず。ふとした思いで、私はナギトをサポートしてあげることにした。他の人と同じように接し、貴族としてできるだけ頼りに思ってもらえるように優しく何でも教えてあげた。


 ……それが数日ぐらい経った時かしら? 私は気が緩んで……そ、その……ナギトに見られちゃったのよ。


『ば、ばっかお前!? 下着履いてないっておかしいだろ!?』


 焦ったわ、幻滅したりこのことを広められると思った。正しく、この世の終わりだと思ったの。


 言い訳をしようとしたわ。だけど、嘘をつきたくないという無駄なプライドが、それを許さなくて────素直に話してしまった。私の秘密を、包み隠さず。

 その時、ナギトは何て言ったと思う?


『キャラにバグが……せっかくヒロインの到来だと思ったのに……。ちくしょう、異世界ファンタジーは変態込みなのかよ』


 一言も理解できなかったわ。何言ってるんだろう? そう思ったの。

 広められる……そんな不安より、それが先に湧き上がった。


 そして────


『お前……履けよ? 絶対に次からは下着履けよ? 俺、見ないふりするから、異世界のキャラバグなんて認めないから! ラブコメにいらないから、そんなヒロイン!』


 ナギトは誰にも言わなかった。それどころか、次の日からも普通に接してくれた。

 やめようと思った。流石に、二回もバレてしまえば次はないだろうから、と。


 けど……恥ずかしい話、やめられなかったの。そして、またしてもナギトに見られてしまったわ。


 でも、ナギトは何も言わない。それどころか、私の趣味が露見しないように気遣ってくれたりもした。


 それが嬉しくて────私はいつの間にか、ナギトとよく一緒にいるようになった。話していて楽しいし、全てを晒け出す存在がいることに、不思議と胸がフワフワしたの。


 変なところで紳士で、恋人がほしくて色々必死になって、魔法が使えないけど……優しくて、面白くて、安心して……間違いない、断言できる。私が一番親しい人間はナギトなんだって。


 だけど……今日、突き飛ばしてしまった。

 ナギトは私を心配してくれているだけだというのに、それを冷たく突き放した。


 この言葉で、もしかしたらそのまま離れていってしまうかもしれない。それが……怖い。


「いや……すがっちゃだめよ、私。この問題は、私の問題なんだから」


 放課後になり、久しぶりに一人で自宅に戻った。大きすぎる門を潜り、玄関を開けば何人ものメイドの人達が出迎えてくれた。


「「「お帰りなさいませ、リンネお嬢様」」」


「えぇ……ただいま」


 笑顔を向けてメイド達の出迎えに応じる。不安が心を占めるけど……ダメ、ここで揺らいでしまったら、せっかく差し伸べてくれた手を振り払った意味がないもの。


「リンネお嬢様……エリオット第三王子殿下が客間でお待ちしております」


「……そう。ありがとう」


 ……忌々しい《・・》相手が来ているようね。この前来たばかりだというのに、暇な王子様だわ。


 私は思わずため息が溢れてしまう。

 けど、ここで出迎えなければ色々と失礼にあたる。だからこそ、重たい足取りを引きずって湧き上がる黒い感情を抑えなくてはいけない。


 私は学生服のまま、メイド達の視線を浴びながら客間へと足を運ぼうとする。

 だけど────


「……リンネ」


 向かおうとした先に、暗い顔をしたお父様が立っていた。


「どうかしたの、お父様?」


 いつも通りの表情でお父様に反応する。

 けど、お父様は次の言葉を紡ごうとしない。


 何を言おうか迷っているのね。大丈夫、分かっているわ……どうせ、私の婚約の件なんでしょ? 今回は半ば私が強引に押し切ったようなものだし、本当に突然言い出したものね。


「大丈夫よ、お父様。私はこの婚約に不満もないわ」


 お父様の横を通り過ぎる。

 早足になってしまったのは、暗い顔を見てフツフツと罪悪感が湧き上がってきたからなのかもしれない。


「……リンネは、本当にそれでいいのかい?」


「えぇ……何度も言ってるけど、私は自分で望んで婚約したの。お父様も、私が選んだ相手だったら婚約を許してくれるって言ってたでしょ?」


「しかし、それは私が『リンネが幸せになる』を前提とし、望んでいるからこその話なんだ。王子の噂は私も聞いている────その上で、リンネは決めたのかい」


 ……そう、ね。幸せか幸せじゃないか────そう聞かれれば、少なくとも私は真っ直ぐ横に振るわ。


 けど、世の中幸せになれない人間なんて山ほどいるでしょ? 私は、たまたまその道のレールを歩くだけ。


 ナギトもお父様も、幸せにこだわりすぎ……本当に、涙が出そう。


「もちろんよ、お父様」


 だから、私は足早にお父様から離れる。いつまでも、お父様の顔を見ていたくなかったから。


 これなら、あいつに会った方がよっぽどマシだわ。


「失礼いたします、エリオット第三王子様」


 客間に辿り着くと、数回のノックをしてそのまま扉を開ける。


 質素な部屋ではあるものの、中央に置かれたテーブルとソファーはセレベスタ家に恥じない物を用意している。


 そのソファーでは、一人の金髪の青年が優雅に紅茶を飲みながら腰掛けていた。


「やぁ、リンネ嬢」


「……エリオット第三王子様」


 絵になる。その場にいるだけで周囲の目を惹いてしまうほどの雰囲気を感じてしまう。

 そんな男……エリオット第三王子様は、爽やかな笑みを向けてきた。


 だけど、私は扉を閉めた瞬間、言葉に苛立ちを見せる。


「一体、何の用……? 王子が気軽にやって来られると、色々と迷惑なのだけど」


「君もストレートに言うようになったね。まぁ、僕はそっちの方が気楽に話せて嬉しい限りなんだけどね」


「私としては、不愉快でしかないわ」


 エリオット第三王子様の正面のソファーに腰を下ろす。


「ん? 僕の隣には座らないのかい? 婚約者なのに?」


「誰が好きでもない相手の隣に座らないといけないのよ? それに、よくもまぁあんなこと《・・・・・》をしておいて、平然と接せられるものね」


「いやいや、たかだか『君の元専属使用人を抱く代わりに婚約してくれ』とお願いしただけじゃないか」


 ギリッ! と、思わず唇を噛み締めてしまう。

 今、この場で魔法をぶち込めないのが、これほど悔しいなんて思いもしなかった。


「……互いの同意があるなら許すわ。愛し合えとも言わない、そういうことも世の中にはあるでしょうから────けど、あの子の人生を人質にする《・・・・・・・・・》ことで迫るのは到底許すことができないわッ!!!」


 激しい音を鳴らし、私は思わずテーブルび拳を立ててしまう。拳から血が滲んでしまっているが、今の私にはそれさえ気にする余裕はなかった。


 ────あの日、私の誕生日パーティーのダンスの最後に言われた一言。


『僕は、君の元専属使用人を無理矢理抱く予定があるんだけど……この後、二人で話さないかい?』


 それから、私のレールは大きく逸れてしまった。

 話す場を設け、ことの話を聞くと『彼女の人生を狂わせない代わりに、僕の婚約者になる』というもの。


 私の元専属使用人にはよくしてもらっていたわ。色々迷惑をかけたこともあったけど、ずっと私を側で支えて続けてくれたもの。


 だからこそ、彼女が嬉しそうに王宮入りした時は寂しかったけど……笑顔で送り出した。噂こそ流れていたけど、それでも嫌そうな顔をしていなかったから。


 だけど……こうして、噂通りの男に彼女の笑顔が踏みにじられそうになっている。


(これはあの時、私が止めなかったことによって発生した問題……責任なのよ)


 多分、彼女は知らないだろう。自分が、自らの貞操を脅迫で奪われそうになっていることを。


 けど、それでいいの……私の責任は、こいつと婚約すれば清算されるのだから。


「まぁまぁ、落ち着いてよリンネ嬢。僕はただ、素直なだけなんだ」


「……素直?」


「そうだよ。僕は欲望・・に素直なだけなんだ。ほしいものはほしい。やりたいことはやりたい。本当に願うものは、僕は何としてでも手に入れたい────たった、それだけのことなんだ」


 飄々と、淡々と、国を担い、民を引っ張ってはいけない存在が、あらぬことを口にする。

 それが……私には信じられなかった。


「リンネ嬢……君は美しい。一目惚れという言葉は本当なんだ────思わず、その体と顔に傷をつけて自分のものだとアピールしてしまいたいほどに、ね」

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