さよなら風たちの日々 第11章―7 (連載38)

狩野晃翔《かのうこうしょう》

第38話

             【15】


 いつかヒロミが言っていたことを、ぼくは思い出していた。

 ジャズメンには、誰も知らない最期を遂げる人がいるんです。

 どうしてそうなってしまったのか、それは永遠に、誰も知ることのない物語なんですけどね。

 言葉こそ違え、いつかヒロミはそんなことを、ぼくに話してくれたことがああった。

 ならば訊かせてほしい。誰も知らなかった、あれからのヒロミの話を。ぼくの家から震える手で偏頭痛のような敬礼をし、泣きながら帰った、それ以降の物語を。そして二年後、この喫茶店で再会したときには、すでに結婚を前提とした男がいて、そいつと一緒に暮らすようになった、その経緯いきさつを。

 

 逡巡。躊躇。ためらい。それを何度も繰り返し、ヒロミはようやくそれ以降の物語を話そうとしていた。

 その話を訊くまでぼくは、何度も体内の血液が一瞬で沸騰したような錯覚にお襲われた。おおげさに言えばそれは、体内を高圧電流が駆け抜けて行ったような感覚だ。

 けれどそのピークはもう過ぎていた。ぼくは拳を強く握りしめ、目を閉じた。そうして心の中で、彼女の物語を訊く前に、気持ちをぼくに戻す、その言葉を探していた。

 嘘。嘘なんだろ。ヒロミ。嘘だって言ってくれ。だっておまえまだ、十九じゃないか。ぼくを好きになって、惚れてしまって、それが叶わないとなると喫茶店の名前にまでポールにしたくらいじゃないか。そのぼくが、もう一度やり直したいって言ってるんだ。あのとき応えてやれなくて悲しい思いをさせてしまったから、そのときの償いをしたくて、やり直したいって言ってるんだ。いや、そうじゃない。今のぼくはただ、ただおまえが好きなんだ。愛しているんだ。だから、だから。


 ぼくはヒロミを見た。ヒロミは、哀しそうな目をしていた。

 そうなのだ。ヒロミはいつだって、哀しそうな目をしているのだ。

 かつてはヒロミの想いに応えようとしないぼくに哀しい目をして、今はその逆の想いで、そんな目をしているんだ。

 またぼくとヒロミのあいだに、沈黙が流れた。

 ヒロミとの会話はいつだってこうだったな。ぼくは心の中でそうつぶやき、自虐的な笑いを浮かべてみせた。

 テーブルをはさんだ反対側に、ヒロミが座っている。あのときと同じ目をして、ヒロミが座っている。

 こんないい女になりやがって、とぼくは思った。こんないい女になるんだったら、ぼくはあのとき、友情もオートバイも受験も捨てて、ヒロミを選べばよかった。その気持ちに応えればよかった。とぼくは、再び心の中で思った。

「当てつけなんだろ。あんな男と結婚するなんて」

 このにおよんで、ぼくはまだ優位な立場を保とうとしていた。見苦しいほどの虚勢なのに、ぼくはそれを口に出さずにはいられなかった。その言葉に反応して、ヒロミの唇がかすかに震えるのが分かった。

 そうしてヒロミはようやく、それまでの誰も知らない物語を話し始めるのだった。




                           《この物語 続きます》




 




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