一人になりたい時もある
私達は生活の中で様々な人と関わる。家族、親戚、友達、恋人、学校の先生、職場の先輩、上司等々。
苦手な人は極力関わらないように出来るが、完全に誰とも関わらない事は普通に生活していればほぼ不可能なのでは無いだろうか。
私は時々、誰とも喋りたくない日がある。何だか気分が落ち込んでいる時は、何でもネガティブに考えてしまって、誰と話していても不安になるのだ。
一つ一つの受け答えも物凄く気を使ってしまうし、色々と考え過ぎてとても疲れてしまう。そんな時は誰とも話したくないなと思ってしまう。
それでも、仕事をしていれば話しかけられる事も話しかけに行かなければならない事もあるし、実家暮らしなので、家に帰れば家族と話さなければならない。それがとても面倒で疲れてしまうのだ。
誰とも話さずにいられる日が1日くらいあればいいのになと思う。そうすれば、少しは気持ち的にも楽になるのに。だが、一人になりたい時に限って、仕事があったり、予定があったりするものだ。
なかなか上手くいかないものである。
基本的に私は愛想が良いらしく、そんな私なので、少しでも表情が固かったり口数が少ないと、体調悪い?大丈夫?と心配されてしまう。
まあそこで変に機嫌が悪い等と勘違いされるよりは心配してもらえる方が有難いのだが。
しかし、またそこで気を遣わせまいといつも通りを装うのも疲れてしまう。かといって、避けてしまっても態度が悪い。どうしたものかといつも悩んでしまう。
こんな1日だけの為に、今まで築き上げてきた友好関係を崩してしまうのは勿体無いと思い、できる限りいつも通りを装うが、それだと精神的に負担が掛かる。
…まあ、その程度で崩れる友好関係ならばその程度の人だったというだけなのかもしれないが。でも私の中ではそういった関係を築くのには時間が掛かるが、崩れるのは一瞬だと思っている。だからこそ、たった1日、たった一瞬でも気が抜けない。
別に自分が嫌いな人ならばそこまで気にはしないだろう。でも大抵私は自分の好きな人としか距離を縮めず、そうでも無い人とは一定の距離を保っているので基本的に関わりが多いのは仲が良い人なのだ。
だから毎回悩んでしまう。
私というのは実に面倒な人間である。
人間関係というのは正解がないからこそ難しい。必ずしも全員に当てはまることはないし、考え方も感じ方も人それぞれ違う。だからこの人がどんな人で、何が好きで何が嫌かなどを見極めないといけない。だが人によってわかりやすい人もいれば、わかりずらい人もいるのでそこがまた厄介である。
人間というのは実に面倒臭い生き物だなと思う。
だが、生きていく上で避けられないのだから、上手く他人と付き合っていかなければならないのだろうなあと思う。
私のあたまの中のこと。 神崎 紗奈 @kanzaki_03s
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。私のあたまの中のこと。の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
21歳社会人の日常/神崎 紗奈
★8 エッセイ・ノンフィクション 完結済 13話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます