誰よりも強い願い、あるいは無謀な挑戦③
ウェルにとっても、これは大きな誤算だった。よもや結界が破られるなど、想像もしていなかったのである。
「じゃあ、あの少女は本当に主人を殺しに来たのカー?」
「いや知らないよ! っていうか、いくら何でも早すぎない? 山の向こう側にいたんでしょ、その子」
クーガーが少女を最後に見てから、まだ二、三時間しか経っていない。休まずまっすぐ歩いてきたとしても、早すぎる。全力疾走してようやくという距離だろう。
「山を越えてきたっていうのカー?」
「……馬とかロバに乗ってたとかじゃないよね?」
「い、いや徒歩だったガー」
「えっと、飲み水も切れてて、唇はかさかさで、爪も割れてたんだよね」
「そう見えたガー」
「よくそれで山道を走ってきたな……」
砂漠を越えてきたことも含めて、もはや体力オバケどころの話ではない。
「で、主人、どうするつもりなのカー」
「どうって……どうしようね。私の結界を破ってここにまで入ってきたってことは、私の『入ってきて欲しくない』っていう思いを越える、強い願いをその子は持っているってことになる。その強烈な願いが『私を殺したい』っていう話ならそりゃ返り討ちにするか、逃げるしかないけれど、その割にはまったく殺意というか害意というか、そういう物を感じないんだよね。でも、それ以外に何か目的を持ってここを目指してくるなんてこと……ん?」
「どうカーしたのカー?」
「いや……さ。『白いカラスを捕まえたい』っていう願いだったりしない?」
クーガーの背中に、冷たい汗が流れた。
「主人。まさかと思うガー」
ウェルの眼が怪しく光る。とっさに逃げようとしたクーガーだったが、ウェルの方が早かった。空中に魔方陣を描くと、指一本くらいの太さの縄が出現し、飛び立とうとするクーガーを捕らえた。
クーガーは必死に抵抗したが、ウェルの魔法には敵わなかった。ぽとん、と地面に落ちて、恨めしそうな顔でウェルを見上げる。
「まあまあ。その少女の願いをいったん叶えてやろうよ。それでとりあえず、結界の外に出て行ってもらう。そのうち、機会を見て助けに行ってあげるからさ。ほら、黒いカラスに戻してしまえば追いかけられることもなくなるだろうし、それで万事解決じゃない」
「カァー……」
この人でなし、という視線でウェルを見るが、ウェルは気にした様子もない。
「いまのうちに、黒く戻すというのはダメなのカー?」
「もう結界破られちゃったんだから、すぐ来ちゃうよたぶん」
「そ、それもそうカー」
クーガーは観念した。ウェルはどこか、この状況を楽しんでいる風であった。
山奥にこもってから百年足らず。人と会うことはほとんどなくなっていたから、どんな相手なのか見てみたいという気持ちがあるようだ。
相手が東洋人であることも、ウェルの油断の原因の一つだった。キサルピア王国の人間ならば、ウェルの姿を見て「災厄の魔法使い」のおとぎ話とつなげてしまうかもしれなかったが、東洋にまで話が広がっているとは考えにくい。
白いカラスを捕まえて、満足してそのままもう一度砂漠を越えて帰ってくれるならば、ウェルとしてはそれで構わなかったのである。なんなら、一晩くらいは話し相手になってくれるかも、と期待していた部分さえある。山奥に住んでいると、どうしても人と関わる機会が少なくなって寂しい。
そんなわけで、ウェルは魔法で細長い木の棒を出して、クーガーを目立つようにくくりつけた。
「これでよし、と」
「主人、こういうことしてると恨まれると思うんだガー」
「大丈夫大丈夫。クーガーはそんなことじゃ恨まない」
「その信頼の
クーガーが溜息をついたちょうどその時、近くの針葉樹の間から少女が顔を出した。赤い月明かりにあたって、真っ黒な髪が妖しく光る。
少女は満身創痍だった。着ている服はボロボロで、腕や足には小さな切り傷がたくさん入っている。砂漠越えの軽装が仇となり、草木や虫に引っかかれたのだろう。
「あ、こんばんは。はじめまして」
ウェルは朗らかに挨拶をして、三角帽子を脱ぐと、敵意がないことを示すように胸の前に持っていって軽く頭を下げた。
「言葉、通じるかな。白いカラスは珍しいかなーと思って捕らえておいたんだけど。君の狙いはこれかい?」
少女はウェルをじっと見つめていたが、ウェルが指差したクーガーに視線を移し、再びウェルを見て、静かに刀を抜いた。
「……え?」
少女から、殺気が溢れ出す。あまりに咄嗟のことにウェルも対応が間に合わない。
「破ッ!」
少女はウェルに対して間合いを詰め、強烈な斬撃を放った。ウェルは何とか見切ってかわしたが、三角帽子の端が斬られてしまう。
「ちょ、ちょ、ちょっと待って! あのカラスあげようと思ってたんだよ! なんで急に襲い掛かっ……うわっ! 待って!」
少女は斬撃を繰り返す。目に宿った殺気が凄まじい。
モレアーの樹を一撃で斬り倒したというのも疑いようがないくらいの斬撃の素早さと正確さの斬撃が繰り返される。ウェルは飛びのいてかわすのが精いっぱいで、魔方陣を構築する余裕さえない。
家の屋根にまで飛び乗ったウェルに、少女は斬りかかる。
防御壁が展開され、少女の刀は屋根に吸い込まれて消える……はずだったのだが、展開した防御壁も一撃で斬られてしまう。
「嘘でしょ」
ウェルは何とか身をかわしたが、その顔からはもう余裕は消えている。ロングコートも袈裟懸けに斬られ、ざっくり裂けてしまう。肌にまで刃が届かなかったのは不幸中の幸いだった。
屋根の上にまで上られてしまったので、もう防御壁も発動しない。ウェルは屋根の上を必死の形相で逃げ回った。
「主人!」
クーガーが声を上げた。少女は声に驚き、
「猛々しくも優しき太陽の神よ、古き盟約と我が心臓の鼓動に応え、その力を示せ。――『ルグの槍』」
空中に魔方陣を描き、詠唱を完了する。次の瞬間には、魔法によって具現化した炎の槍が、ウェルの両腕にあった。まるで炎をその内側に閉じ込めているかのような、真っ赤な槍である。
「ちょっと痛くするよ!」
ウェルは槍を少女に突き刺した。少女は刀で槍を払おうとするが、槍は刀をすり抜けて、少女の胴を貫く。
やられた、という苦悶の表情を浮かべて地面に伏せる。ウェルはほっと息を吐いて、『ルグの槍』を消滅させた。少女は地面に手をあててて、刀を探している。ウェルは転がっている刀を、少女より先に拾い上げた。
「眼、見えないでしょ。一時間もしたら見えるようになるから、大人しくしてて」
「くそッ」
「なんだよ、言葉わかるんじゃないか。てっきり言葉がわからないのかと思ってたよ」
少女から取り上げた刀で、クーガーの縄を斬る。ようやく解放されたクーガーは、羽根をぱたぱたと広げて自由を噛みしめている。
ウェルはクーガーを縛っていた縄をじっと見つめ「そうだ、一応捕えておこうか」と言って魔方陣を描き、四つん這いで武器を探して地面を弄る少女を縛り上げた。
「さて。なんで急に襲ってきたのか、教えてもらおうかな」
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