何かが起きそうな、特別な夜のこと②

「違うよーって言ったところで、信じてはもらえないんだよね」


 やれやれ、と言った態度でウェルは屋根の上に立ち、被っている三角帽子を直した。

 ウェルの様子に気を取られることもなく、騎士たちはボウガンを構えてウェルに狙いを定める。


「『災厄』認定から百余年、まさかこのような山奥で隠れ住んでいるなどとはな……。曾祖父の代から続く因縁、ここで決着をつけさせてもらう!」

「……曾祖父?」

「我が名はクライブ・ギルバード! 栄光あるギルバード家、百年の悲願が今日この日に達せられる! ――撃て!」


 クライブが振り上げた手を下ろす。それを合図に、ウェルを取り囲む騎士たちが一斉に矢を放った。何条もの銀色の閃光が、月明かりの下を走る。


 ウェルは身じろぎの一つもしなかった。クライブのことを、じっと見つめている。矢が飛んできているというのにそれらには一瞥もくれず、恐ろしいまでに冷めた瞳で、クライブのことをじっと見つめている。


 クライブが、ウェルに対して恐れを抱かなかったのは、勝利を確信していたからこそだろう。迅速な配置で、百の矢に狙われているのだ。まっとうな人間が、この状況で生き残れるはずがない。

 そう、まっとうな人間なら。


 ウェルが何をするまでもなかった。家の屋根が盛り上がったかと思うと、ウェルの周りをすっぽり包み込む。矢ははね返されるでもなく、盛り上がった家の屋根にすべて吸い込まれて消えてしまった。


「なっ! 魔法陣もなしに、防御壁だと?!」


 クライブが驚いたのも無理はない。魔法とは、魔法則に基づいた陣を描くことで、ようやく発動というのが常識である。いくら『災厄』に認定されるような魔法使いでも、その大前提を覆すことはできないはずだ。

 それなのに、ウェルはまったく動かずに防御壁を展開し、身を守った。


「あー、この家自体が『意志を持った魔法陣』なんだよって言えば、わかってもらえるかな。家が私を守ってくれるのさ」

「ば、ばかな……」

「ところでギルバードって言ったら、たぶん曾祖父ってアルセアのことだと思うんだけどさ、彼に聞いてないかな。ウェルは魔法の天才だってさ」


 クライブは唇をわなわな震わせるだけで答えようとしない。


「ああ、ごめんごめん、そう落ち込むなよ。祖父ならともかく曾祖父じゃ、話を聞くこともないよね。それにしてもアルセアの末裔が、私の命を狙ってくるとは世も末だ。そうは思わないかい、クーガー」

「主人よ、あんまり言ってやるものじゃないと思うんだガー。それじゃまるで悪役だ……」

「いや、だってさ、あの泣き虫アルテアだよ? 泣いてばっかりでぜんぜん役に立たなかった、あのアルテアだよ?」

「……どうしてもその話を聞カーせたいのだな」


 クライブは「ぐぬぬぬ、我が曾祖父をバカにすると許さんぞ!」と憤慨している。


「だってさ、とんだ笑い話じゃないか。なにが百年の悲願だよ。こっちは百年も、こんな山奥でひっそり暮らしていてあげてるっていうのにさ。いい加減、災厄認定を解除してくれていたって良い頃なのに、まだこうやって命を狙ってくる。しかも、あのアルセアの子どもの子どもの子どもが、偉そうにふんぞり返ってその指揮を執ってるんだ。小言の一つくらい許してよ」


 ウェルはここまで言って、ふうと息を吐いた。改めて何かを思い出したように、クライブの方を向き直る。


「そうだよ、訊きたかったんだ。どうやって君たちはこの家に気づいたんだ? あと数百年は、こもっていられる予定だったんだけれど」

「エルダバの聖女がご神託を授かり、それを教えてくださったのだ!」

「神託……? バカバカしい。ったく、エルダバ教は相変わらずだな」

「我が先祖だけでなく、聖女様のことさえ愚弄するか!」

「そりゃあそうさ、私はエルダバ教徒じゃないんだから。どうせ、どっかの魔法使いを、聖女だなんだと祭り上げているだけさ。……でも、この家の場所をあてる力は厄介だな」

「ふははは! それだけではないぞ、聖女様は、魔法使いには不可能なことを次々とやってみせた! 失われた手足を再生させ、失明を癒し、若返りの術も使えるという。それに、こうして災厄の魔法使いの居場所をも突き止められたのだ!」


 まるで自分の手柄のようにクライブは言って、高らかに笑う。

 こういうところは、曾祖父のアルセア・ギルバードにそっくりなんだなとウェルは思った。


 それにしても、失われた手足を再生させたり、若返らせたりというのは気にかかる。魔法によっては不可能ではないだろうが、そんなことをしようと思えば途方もない魔方陣を用意しなければならない。それこそ人生を丸ごとかけて、ようやく達成できるかどうか、という研究になるだろう。


「たぶん、そういう幻覚を見せてるんだろうな……。本当に、エルダバ教はろくなことを考えない」

「それを信じこんでしまう方にも、問題ガーあるような気もするガー」

「しかし問題は、全部を幻覚だと言うことができないことだね。実際に、この家の場所はあててきたわけだし」


 ウェルはクーガーと小声で会話をした。クライブは、聖女様の起こした奇跡の数々を自慢げに説明している。


「たとえ災厄の魔法使いでも、エルダバ聖女、ツムギ・ヤシロ様のような奇跡は起こせまい! あれこそまさに奇跡の技よ」


 ぴくり、とウェルが反応した。


「……いま何て言った?」

「エルダバの聖女様のような、奇跡は起こせまいと言ったのだ!」

「違う、そこじゃない。その聖女の名は、何と言ったのか訊いてるんだ」

「ツムギ・ヤシロ様よ!」


 ウェルとクーガーは顔を見合わせた。ツムギの名がここで出てくるとは思っていなかったのだ。


「まさか、『あの子』ガーそんな」

「たしかにツムギなら、ここに私がいることを知っているが……」

「なんだって自分の師を売り払うようなことをするんだー? 『あの子』ガーそんなことをするわけガーない」

「まあ何にせよ、確かめに行くしかないだろうね」


 ウェルとクーガーは頷き合う。


「待て待て、行かせるものかっ! このクライブ・ギルバード、曾祖父に代わり、この国の災厄を晴らして見せよう!」


 勢いよくクライブが剣を引き抜く。それを合図に、ウェルを取り囲んだ騎士たちが再びボウガンの矢を放つ。


「何度やったって無駄だって」


 ウェルの言う通りだった。先ほどと同じように屋根が伸びてきて防御壁を形成し、矢を吸い込んでしまう。

 防御壁がするすると屋根に戻っていく。その瞬間、


「今だっ!」


 クライブを先頭に、百の騎士たちが剣を抜き、ウェル目掛けて一斉に突撃をかけた。

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