第二話 今日日ここまでのレベルは逆にレアだと考える

     1



 現在時刻、午前6時52分……。昨日の起床も確かこのくらいの時間だった気がする。

 窓から差し込む日射しによって安眠から叩き起こされる。俺の部屋のカーテンはレール部分が少し歪んでる所為で、どんなにしっかり閉めても僅かに開いてしまう。お陰で角度的に丁度俺の顔目掛けて光が差し込むようになってしまうのだ。

 まぁ天気によって問題ない日もあったりするし、わざわざカーテンを買い替えたりアイマスクを使わないといけない訳ではない。というか、アイマスクは目元や頭部を絞めつけるからあまり好きじゃないし。


「タツミー」

「もう起きてるよ」


 昨日と同じで妹が起こしに来やがった。

 しかし問題ない。昨日と違い、今日は午前の1時限から授業がある。むしろ丁度いい時間に起きれたので都合がいいのだ。

 いいのだが、今日は別の理由で行くのが鬱屈に感じていた。


「学校、行きたくねぇ……」

「じゃあ行かなきゃいいじゃない。どうせ全部オンライン授業なんでしょ?」

「いや、それがなぁ……」

「……『描く行為から遠ざかったら永遠に描けなくなる』、って自分で言ったとはいえさ。辞めたくなるほど億劫なら、少し離れてみてもいいんじゃない?」


 気恥ずかしそうな顔でそう言ってくる未織。どうやら、とか付けなくても分かる。気遣ってくれてる。

 何だかんだいつも食事やら掃除やら家事全般を請け負ってくれてるし、こんなだらしない兄を気遣ってくれる。そんな妹に嘘やはぐらかす行為は恩を仇で返すのと同義、理由を正直に話さねばなるまい。


「実は昨日、後輩の女子に『大事な話があるので明日必ず登校してください』って半ば強引に言い寄られてだな」

「それが妄想か万が一現実か知んないけどくだらないからやっぱ学校行けこのクソ兄」


 ちきしょう……久し振りに名前じゃなくて兄と呼んでくれたってのに辛辣すぎるよ……。まぁわざとらしい言い回しにしたのは意図してなんだが。

 だって言えるかよ、本当の事。そんな事を考えながら、俺は充電したままのスマホを手に取って画面を開く。昨日検索していたネットニュースのアプリを閉じずに寝落ちしてしまったので、ロック画面を開いた途端、例の記事が目に飛び込んできた。


『~全日本ジュニアチャンピオン選手権大会~ 優勝 本渡琴美 大会後インタビュー』


 あの空手女子の本渡琴美ほんどことみが、俺に絵を教えてくれって嘆願してきたなんて。



     2



 登校途中、駅から徒歩で向かいながら昨日の事を思い出していた。

 あの後、日も暮れていたので後日詳しい話を聞く事になった。向こうも偶然俺を見つけて気が動転していたなどと言っていたが、それでなんで鬼の形相で追っかけてくるんだよ……。まぁ盗撮と勘違いしたからってのが大きいだろうが。

 ってか、ちゃんと誤解を解いたのか正直怪しい。今日会ったらまずはそこを確認しとかないとな。

 昨日と同じでパソコン越しのオンライン授業。授業終了後すぐに絵の制作を開始できるようあえて画室で授業を受けている。

 そうこうしている内に正門が見えてきて、俺は他の生徒達に紛れて目的の実習棟まで歩く。俺と同じように実習棟でのオンライン授業か、対面授業を受ける、あるいは部活等の目的だろう。

 この学校の教育体制はオンライン限定という訳じゃない。生徒やその親の中には実際に教室まで出向いて、教師の生の声や板書を見聞きしての授業の方がいいという人もいる。

 だからそういった人達に合わせて、対面かオンラインかを自由に選択できる。どちらがいいかは生徒によってまちまちだし、授業毎に対面かオンラインかを分けてる人もいるので、実際に登校してる生徒も決して少なくない。

 だから昨日のようにすれ違う人が殆どいない時もあれば、今日みたいに100人近くの生徒が正門を潜るって日も当たり前にある。

 雑多な喧騒を姦しいと感じながら進んでいき、いつしか声や靴音が遠退いていく。どうやら殆どの生徒が硝子張りの校舎へ向かっていったようで、風に揺らぐ木の葉の擦れる音しか聞こえなくなった。


 と、ここでそういえばと思い至る。


「あいつ、今日のいつどこで話し合いするか言ってなかったな」


 別に慌てる理由にはならない。ともかく休憩時間か昼休みにでも探してみるか、と気ままに考えて終わりにした。



     3



 昼休み。結局捜索はしなかった。面倒ってのも理由の1つだが、俺にあんな頼み事をしてきた以上、俺が誰でどこの学科に在籍してるのか知ってる可能性が高い。ならばどこの学科在籍の彼女を俺が探すよりも、彼女の方から俺を探しに来るのを待つ方がいいと考えた。迷子になった時に相手を探し回るのではなく一ヵ所に留まって探してもらう方がいいのとちょっと似てる。

 結果として彼女は来なかったが、まだ時間はある。気長に待つとしようと俺は実習棟を後にして校内の食堂に向かっていた。

 今日の昼食は食堂で摂る事にした。特に食べたい物だとかは考えず、見慣れた建物へと到着する。実習棟からは少し離れており、徒歩数分から十数分とはいえ既に殆どの席が埋まっていた。

 とはいえ、だ。文句を言っても仕方がない。自動ドアを潜って、俺は入口付近に重ねてある使い捨ての『弁当箱』を取ってレジに向かった。


「こんな事なら弁当箱持ってくるんだった……」


 この食堂はおかずやサラダなどの料理をお好み分取っていくビュッフェ形式と、食券を買って定食等を注文する形式とで分かれている。ビュッフェは衛生上の理由なのか廃棄ロスの最小限化を考えてなのか、朝昼夕の1時間ずつだけ用意されている。屋内のテーブル席やテラス席が埋まってる場合、こうして使い捨ての弁当箱(有料)に詰めて買ってくのが普通だった。

 まぁこのビュッフェ形式の嬉しいところは、大中小それぞれの弁当箱を買えば好きな種類と量を好きなだけ入れていいというところだ(ちなみに自前の弁当箱持参の場合、大きさに拘らず『小』の10パーセントオフの値段になる)。だから人によっては蓋が閉まらないくらい詰め込む奴もいたりする、零す危険性があるのでおすすめしないが。


「袋はよろしいですか?」

「なしで大丈夫です」


 俺は一番大きい弁当箱を購入して、色んな料理が並んでるカウンターへと向かう。あまりお腹は空いてないので、数種類のサラダと小袋詰めのシーザーサラダを取る。あ、やっぱおにぎり2個ぐらい取っとくか。

 で、後は食べる場所だが……。ざっと見て回ったが、残念ながら屋内のテーブルやカウンター席は2階も含めて全部埋まっていた。テラス席も全部駄目。こうなると天気がいいから校庭とかで食べてる人もいるから、この分だとベンチとかの座れる場所は軒並み取られてるだろうな。

 そうなるとここにいても意味ないな。出入口から外へ出て、続々と昼食を求めてやって来る人垣とは反対の方向へ歩いていく。「仕方ない、画室で食べるか」と独り言を呟いた時だった。


「では、昼食ご一緒させてください」

「ああ、いいょおおっ!!!?」


 背後からいきなり声をかけられたので素っ頓狂な声を上げてしまった。周りにがっつり人がいるってのにこれは中々に恥ずかしい。

 振り返って声の主を確認すると、昨日振りの鋭い眼光が突き刺さってきた。

 本渡琴美。格闘技に疎い俺でも知ってる有名人。

 昨夜見かけたネット記事で取り上げられてた試合以外でも、数多くの大会で優勝した事がある空手女子。調べた限りじゃ父親が道場の師範をやってて、小二の時から修行……いや練習に明け暮れてたとか何とか……。

 

「ぁ……すみませんでした。驚かせてしまって……」

「お、お、前、いつの間に……!!」


 背後を取るな背後を!! 手刀で首折られるかと思ったわ!!


「ぁ、その……。昨日、話を聞いてくださると、お返事をいただいたのですが、いつとか、どことか、決めてませんでしたから……」

「……だから?」

「や、すみ時間とか、使って探して……。でも見つからなかったので、今度は食堂の入口で、待ち伏せ、してました……」


 待ち伏せって……暗殺者か何かか?


「お前それ、俺が弁当持参で教室で食べる派だったらどうするつもりだったんだ?」

「その時は……午後の空いた時間で、校内を探すつもりでした……」

「……そもそも、俺にあんな頼み事したって事は、俺が誰なのか知ってたんだよな?」


 そう聞くと、細めていた目をカッっと見開いて返答する。


「勿論です!! 数々のコンクールで大賞を掻っ攫う高校生画家、総合学科芸術系列美術コース2年、荒画辰巳師匠!!」

「前半の肩書と師匠呼びは不適切だから訂正してもらうとして、そこまで分かってるなら何で実習棟探しに来なかった? 美術コース生の大半はあそこに入り浸ってるのくらい、知ってるだろ?」


 基本的に1時限間の休み時間は20分と決まってる。それを午前中の休み時間全部を使って探したのなら、それなりの範囲を捜索できた筈だ。まぁ対面形式でかつ移動教室の授業が重なったりしたら、それも難しいだろうが。

 何より、


「俺朝登校した時、普通に正門通ったけど、そこでも待ち伏せしてたのか? それとも見つけられなかったとか」


 俺のカリキュラムを知らないのだから、いつどこで捜索しようとも待ち伏せしようとも空振りになるのは致し方ない。だが昨日の約束を了承した以上、学校に直接来る可能性を考えれば必ず通る場所をまず探すのが手っ取り早いだろう。その候補地となれば正門がまず思い浮かぶ。反対側に裏門もあるが、あそこは駅からも近隣の住宅街からも距離がある為、大体の学生は正門を通るのが普通だ。

 なら、午前中のどこかのタイミングで登校する可能性に賭けて、『正門で待ち伏せる』という方法もあった訳だ。話を聞く限りここまで熱心に俺を探してくれたとなれば、朝の段階で正門前にいてもおかしくはない筈だが。

 そう考えながら本渡の返答を待っていると、みるみる彼女の表情が消沈していった。


「…………その手があったか…………」

「は?」

「そういえば待ち合わせとか何もしてないのに気づいたのが10時過ぎで、それでも虱潰しに探せばなんとかなるかなって思って走り回ったけど見つからなくて、でも師匠も人間なんだから食事くらいするよねって考えて食堂で待ち伏せするっていう妙案を思いついて、案の定師匠を見かけたからラッキーって思ったのに……。そうだよ、芸術系列の学科生なら実習棟行けば一発だったじゃん……」


 などと供述しながら両手で顔を覆ってしまう。人間の耳ってあんな色になるんだ、と感心するくらい真っ赤になっていた。

 この女、色々と抜けていやがる。


「つーか、師匠も人間なんだからとか何その理論。お前の中で俺どういう位置付けなの? それと師匠呼びやめろ」

「え、でも師匠とお呼びした方が適切かなと」

「不適切だっつってんだろ。周り普通に人いんだからその呼び方やめろマジで恥ずい」


 そう。この一連のやり取り、普通に通行人に見られてた。ついでにテラス席でランチタイム中の連中にもがっつりと。

 俺が大声出した辺りからめっちゃ注目されてたけども、途中からオドオドとした様子で話してたと思ったら赤面した顔を手で覆う仕草に移行しやがったから、さっきから周囲の視線の痛さが増してやがる。違いますからね、痴情のもつれとかそういうんじゃないですからねって誰に弁明してんだ俺!!


「とにかくだ。話すんなら早く行くぞ。俺は午後も授業とかあるし、小腹とはいえ早く飯食いたいし」

「は、はい、すみません。ではご一緒させて……、ぁ」

「あ、って、どうした?」


 赤面したり無表情になったり忙しい奴だなとか思いつつ、突如何かやらかした感を醸し出す本渡に、俺は返答を待ってみる。


「…………すみません。お弁当……教室に忘れてきてしまいました……」


 ……………………。

 そういやよく見りゃ手ぶらじゃんこいつ。待ち伏せしてて買う暇なかったとかじゃなかったのか……。

 抜けてんなぁとは思ったけども、今日日ここまでのレベルは逆にレアだと考えるのは俺だけですか?


「ぅぅ……」

「はぁ……。仕方ない。午後は俺1限分しかないから、午後は結構暇だぞ」

「っ!! わ、私も、1限分だけです」

「そうか。なら授業終わったら実習棟4階に来い。話はその後にしよう」


 そう言って俺は本渡を教室に戻らせた。今から取りに向かって実習棟に行き、一緒に昼食を摂りつつ昨日の話の続きをするなんて、多分昼休み中じゃ絶対終わんないしお互い授業開始ギリギリになる。それなら、午後に余裕持って話し合った方が建設的だ。

 ありがとうございます!! っと大声で言って深く一礼する様は体育会系って感じだったが、恥ずかしいからやめていただきたい。そんな俺の思いなど露知らず、足早に自分の教室へと戻っていった。

 さて、俺もとっとと戻って昼飯にするか。

 

「……いや待て。何か忘れてるような気が、あっ」


 盗撮冤罪の弁明するの忘れてた。


 俺も存外、抜けていやがったみたいだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る