危険魔物の風格
侑希がブラッドウルフと相対する少し前のこと。
宿にいる客は明らかに目減りしている。皆はクエストもしくは仕事に出発したのだろう。
一階の酒場にてモーニングタイムを終えて一段落してる中イズはせっせと机を拭いていた。
「イズちゃん皿洗いの方もよろしくね」
「はい!」
そうイズに呼びかけ二階に上がるおばさんはこの宿の主人の妻でモリンという。
この宿自体は夫が冒険者で不安定な生活だということを危惧していたモリンが生活を安定させようと始めたのだ。当初はモリン一人でも全然切り盛りできていた。しかし歳が重なるとそれも大分厳しくなってきた。
数ヶ月前そこにやって来た助っ人がイズなのだ。今では住み込みで働いてくれてるありがたい存在でモリン夫妻はまるで実娘のように思っている。
「ふぅ……」
てきぱきと作業をこなすイズだが、それは無心では無い。考えているのは『勇者』とか称された少年のことだ。
(聞いた事の無い名前。それに持つ【神理魔法】。異世界から召喚されたということはあるのね)
長星侑希、突如異界に招かれし少年。定義上『勇者』と称されてるがその持つ【神理魔法】の残念さゆえに期待されていない。
それでも伝説と呼ばれた『勇者』と同じく異世界から来た者。興味が湧くのはこの世界の人にとっては必然と言える。大体の人はその前に落胆していたが。
(ニホン、かぁ。治安がいいんだってね。魔物が存在しない世界って、良いなぁ。それにカガクギジュツだっけ…… 幻想のような物品で溢れ返ってる。御伽噺みたい)
侑希に初日に聞いたニホンの話をいまだにイズは覚えている。侑希の元々いた世界とグラファスハイではあらゆるものが違う。ニホン人にとっては日常に溶け込んでいるような産物も異世界の人から見れば全て革命的なアーティファクト。イズが御伽噺と喩えるのも訳ある。
そんな侑希の評価は”神に捨てられた勇者”というもの。もう今となってはミシェルタの住民で知らない人の方が少ない。ある意味確立された評価だ。
(それにしても、”神に捨てられた”かぁー。はぁー…… 大司教様ともあろう人がそんな簡単に決めつけていいのかな。その称号はそんな短絡的に下せるものじゃないと思うけど)
しかしイズは、そんな評価を軽率だと切り捨てる。彼女にとってその程度でそう評価されるのは片腹痛いらしい。例えば教会に毎日通い詰めて、熱心に信仰を捧げて、それでもなお不運が重なりその身に余る苦痛を背負うことになった人ならそんな評価に値するかも知れないが。
侑希の称号はあくまで勝手な推論の上に成り立ってる暫定的な評価だ。正当性も効力もない。ただし影響力はある。
イズは頭の中で侑希の話を整理している。すると心優しき少女はふと侑希が隠していた影を洞察する。
(そういえば侑希さんは元気に振る舞っているけど、あのときに友達や家族と別れてしまったんだよね? そう勝手に、そう簡単に同情してはいけないと分かっていてもしてしまう私がいる…… 悪い癖だね)
大切な人達と引き離された、それは運命の悪戯。イズだって今こうして『水鳥の宿り木』で働いてるが彼女にだって両親はいた。しかし紆余曲折を得てこうして親元を離れてここにいる身としては侑希の気持ちが分かり同情する。
イズの歩んできた人生は、誰も知らないけど、とても深い。
「イズちゃん、ちょっと
「っ…… はい! 終わったらすぐに!」
「そう、頼むわよー」
モリンさんの呼びかけに一瞬だけ逡巡しながらも応じた。
~~
おつかいとは言いながらそれは決して安全では無い。
普通おつかいと言えば街中の店に買い物しに行く事を言うのだろう。しかし『水鳥の泊まり木』でのおつかいは別格だった。
いやそれでは語弊がある。正確にはイズの買い物が特異だっただけだ。
イズはその身を青色のロープに包み、同じく青色のフードを被ることでトレードマークの銀髪とエルフ耳を隠している。
(太陽が眩しい。風も美味しい。天気もこんなに良いから絶好の散歩日和なのに、はぁ……)
イズが現在歩いているのはソルティル大草原だ。そこに隣接する『マンタレンジ大森林』へ向かって街壁から徒歩二十分の距離のところにいる。
おつかいの内容はマンタレンジ大森林で採取出来る果物と数種類の茸を取って来ることだ。イズは見習いとはいえ目利きの技術はあるし毒があるか判別することも出来る。とは言っても普通はこのような仕事は冒険者に頼むもの。
というかそもそもモリンはイズが街中の市場でそれらを買ってきてるものだと思ってる。そのための駄賃も渡しているのだから。
(やっぱりこんなことダメだよね。だけどこうでもして自然に触れないと体調を維持できない。最近また鼓動が早くなってるから……)
彼女の内側で葛藤に苛まれながらも慣れた足取りで目的地へ向かう。
さて侑希が転移初日に襲われた通りこの草原、そして森林に魔物は湧く。しかもグリフィスの言った通りこの時間帯は魔物が多く出没する。
とてもこんな少女一人に出かけさせる場所では無い。現にこうして魔物がぞろぞろとイズに集まってきてる。
(いつ天秤のつり合いが崩れるか分からない。今はまだ寸前で制御できてるけど、一線を越えてしまったら…… どうなるんだろ。考えたくもない)
心の中で独り言が耐えない。魔物との間合いはかなり詰められて、そろそろイズの周囲十メートル範囲内に入りそうだ。
「ごめんなさい。こんな私で。折角宿った命なのに本能に従って襲う事しか出来ず私は自己防衛の為に殺す事しか出来ない」
懺悔の言葉を並べる間にも魔獣は集まる。数は優に五十体、いや少し離れた場所にいるのも含めると百体はいるだろう。
普通なら絶体絶命。逃れられない死がそこにあり首元に鎌がかけられてる現状だ。
「でもこれを繰り返す事しか出来ない。私事なのにね。どうにも出来ない」
「グワァッ!」
ついに魔物の一体がイズに襲い掛かった。連鎖的に数体の魔物が次々と襲い掛かる。
端から見れば魔物の嵐。襲われたら中堅の冒険者としても一たまりも無かっただろう。
しかしイズは事前にある魔法のトリガーを引く寸前まで詠唱によるイメージを保持し続けていた。それを今限界まで引きつけてから行使するだけ。
「【ブライトバースト】」
その瞬間イズの手元が眩しく輝いた。
一瞬だった。
白光はイズを中心に半径五十メートル大に駆け巡った。
範囲内の魔物を一切合切構わず焼き焦がし断罪の光で浄化させる。イズは圧倒的な光の奔流に呑まれながらも、とある手段で保身している。
火属性光系統上級魔法【ブライトバースト】。ただでさえ光系統に加えて上級魔法。
それはサミラのような高位の魔法使いでなければ放てないだろう一撃。しかもそれには詠唱やイメージ補完による隙が付き纏う効果に釣り合う程にペナルティーがある魔法。
それを手馴れた動作で発動させた、つまり今までも同じようにしてきたのだろう。
エルフという種族は皆能力が高い。彼女も例外ではないということもあり、馬鹿げた実力である。それこそこんな街で宿屋の看板娘なんかしてると言われて誰が信じるだろうか。
「……せめてかの地で安らぎを賜って下さいね」
手を合わせ魔物の死骸へそう言葉を送る。魔物の屍はきっとその銀髪少女の声を聞き遂げただろう。
◆◇◆◇◆◇
僅かに生まれた余裕は確かにおかしかった。それは同時にウルフの真価はこんなものじゃないと示していたようなもの。
痺れさせたウルフに気を取られていたが瀕死のウルフに嫌な予感がしてチラと目線を向けてみる。
すると想像を絶する光景が映っていた。
「なっ!? 復活だと!?」
「ガァァァァッ!」
なんと首を刻まれ心臓付近を穿たれたウルフが、生き残っていたもう一体のウルフの輸血によって全回復したのだ。
これこそがブラッドウルフの真価。名付けるなら、【輸血回復】。仲間の血を爪先の針を通して与える事でその仲間の体力及び傷をも回復させる反則能力だ。
複数のブラッドウルフを同時に失血さなければいつまで経っても戦闘は終わらない。なるほど確かに危険モンスターの名に相応しいだろう。
「くそっ、見誤ったか!」
まさかのその能力。それを知らずに油断していた自身を叱るが復活してしまったものは仕方の無い。このままでは麻痺している二体目が復活するのは時間の問題だろう。
「グワァッ!」「ガガァ!」
「いつっ!?」
それに加えて問題だったのは明らかにさっき戦った時よりもウルフが強くなっている事だ。
仲間を殺された怒りでパワーアップする、しかし仲間は復活できる。矛盾とも言えるこの理不尽な昇華ループはじりじりとグリフィスに凶刃を埋めてきてる。
現にさっきまでは視認できていたウルフの動きも今では気配で感じる事しか出来ない。足首、左手甲と順番にその牙で噛み千切られ、咄嗟の身体強化で防御力を底上げするものの深い傷を負わされる。
「おらっ!」
急所を攻撃されそうになるのは何んとか剣をさばく事でウルフを切りつけて攻撃を免れる。しかしウルフのこの傷はじきに回復して何事も無くなる事だろう。
与えられた傷は三つ。なのに既にグリフィスは血塗れだった。流石は古来より羊を食い人間を襲ってきた狼ということはある。そしてウルフの攻撃の手が緩められることは無い。
傷を負うたびに明らかに目減りしてる身体強化の出力。徐々に行動が遅くなりウルフの攻撃の命中率が明らかに上昇している。
ウルフの一噛み、首筋を狙った攻撃を遂にグリフィスは避ける事が出来なかった。
「がはっ!?」
噴き出す鮮血は滝のように、この場一体を真っ赤に染め上げ、錆びた鉄の臭いが充満して戦場を彩る。
もうミスリルの剣に輝きは薄く、グリフィスの視界はレッドアラートが点灯してるかのように真っ赤だった。
剣の斬りつける音よりウルフの肉を抉る音の回数が増えてきてしばらく、そこにいたのは満身創痍のグリフィスだった。
紺色のオーラに紅蓮が絡み合っている。それがより一層グリフィスの傷つけられた姿の悲惨さを引き立てる。
(チッ、二体ならやはり何とかなったものを。いつの間にか三体全部が復活してるし、しかも全快。対して僕は…… 言うまでもないか)
グリフィスの揺れる視界に映るのは六つの紅蓮の宝石。計算されたかのように幾何学的に光輝くその美しさ。
しかしあまりにも禍々しい。地獄の釜の内部と言う表現が似合っていた。
(あぁ美しいのに。美しい程だけ怖い。この期に及んで恐れるとは僕はまだ冒険者としては未熟だったのか。それは国の騎士にも叶わないハズよ)
浮かべるのは自嘲気味な笑み。それを意にも介せずじりじりと間合いを詰めるウルフ。
死は眼前に、逃れられない。それでも冒険者の身である以上は剣を握りながら最後の抵抗を試みる。全身の魔力を全て注いででもこの場に雷の華を咲かせウルフを道連れにしようとする。
「ふん、食うなら一思いにしろよ?」
そうグリフィスは覚悟を告げ、今から行う術から目を保護するために目を瞑った。
剣に貯めた雷を放ちウルフがそれをかい潜れればウルフの勝ち、潜れなければグリフィスの勝ち。そういう勝負を持ち掛けた。剣身は腰付近に引き戻されていて薄らと紺色に輝いている。
「いざぁっ!」
「ガァッ!」
居合の構えで『雷斬』が一気に引き抜かれ、轟音と共に雷の暴虐が解き放たれる。圧倒的な力の奔流をウルフに向かって突き出した。
迸る電流は会心の一撃。まさしく全力というものを体現したものだっただろう。
それなのに気配が消えない。巻き起こる風が、ウルフの迫り来る様子を感覚的に伝える。
(この一撃でも避けられるのかっ!? くそっ、やっぱりブラッドウルフは強かったか……)
そう思っても悔いは無い。全力を以ってして、それで打ち破れなかった相手に殺されるのならむしろ本望。魔力消費による倦怠感も今では心地良いと感じられるほどだ。
ウルフの牙はもう目と鼻の先に。牙の先端から滴る血がグリフィスの顔を濡らす。
その感触に死への親しみと恐怖を同時に覚えるという、なんとも不思議な感覚に見舞われるグリフィス。
そして遂にウルフの牙がグリフィスを頭から脚まで無残に噛み千切ろうとした時、
「【エレキハンマー】!」
「【サイコキネシス】!」
ウルフの攻撃がグリフィスに届くよりも早く二人の男女が放った魔法がウルフを殲滅するほうが早かった。
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