ブラッドウルフ
信じられないモノを見たようなグリフィスの焦りに満ちた声。冗談を言い快闊に笑う表情の面影はかけらすらも無い。集中を極めていて危険を感じてるのか冷や汗が垂れている。
「ブラッドウルフ?」
侑希は初めて聞く魔物の名前を反復させる。それにグリフィスはしっかりと言葉を続ける。
「ああそうだ。ブラッドウルフ、それこそ狼魔物系統でも上位クラスに入る強力な奴で殺傷力は極めて高い。特徴は純銀の毛並みに紅いラインが入っていて、また紅い眼を持っている事だ」
「具体的に強さを定義すると……?」
「中級魔法を数発耐える上に歯で鋼すら噛み砕く」
「嘘……ですよね?」
「嘘つける状況と思えるか馬鹿野朗」
ブラッドウルフ、血の狼。感じられる禍々しさから既に戦慄クラスだ。ミシェルタ周辺に湧く事は報告されていたがそれでも今まで年に一、二回程度だったので出会った冒険者は数人といないだろう。
ギルドのクエストで討伐依頼が張り出されたとしたら報酬は百万ドリム、ニホン価値に換算すると一般的な新車が一台買える程に登るだろう。
しかしそれでもグリフィスなら二体までなら何とか拮抗できただろうか。だが現在ここにいるブラッドウルフは三体。「二体だと思ってた? ねえどんな気持ち?」と嘲笑ってるかのように三体目のブラッドウルフは右手をつきだしている。
(何とも人間らしいなぁ。て感慨に浸ってる場合ではないな。魔法を)
「逃げろ」
「え?」
思考を切り替え即座に魔法を放とうとしたらグリフィスがそれを止めた。思わず聞き返す侑希だが半ば意味は分かっていた。それでも言葉を受け止める事は出来なかった。
グリフィスはそんな内心はある程度分かっていただろう。それなら全てハッキリと伝えるのが最速だ。
「お前にコイツは無理だ。戦ったらまず死ぬから逃げるんだ。できれば応援を呼んでこい。それまで持ち堪えれるかは分からないけどな」
「でもそれでは」
「僕……いや"俺"の事は良いから早くしろ! 冒険者とはそんな死の淵に立つ仕事なんだよ! 誰かの命を救う為にはな!」
「っ……」
それは侑希の覚悟でもあった。誰かの命を救うタメに自らが死の淵に立つ。言葉では分かっていたつもりだった。
しかし実際に体験すると、心の門が堅く閉じ塞がる。
「ガルゥッ!」
「チッ」
飛び掛ってきたブラッドウルフの牙とグリフィスの剣がぶつかり合った。金属音が響き渡りどちらも拮抗して譲らない。
そこに二体目、三体目とブラッドウルフの追い討ち。即座に剣を引き戻してバックステップで距離を取り、剣閃を残す事でウルフの軌道を調整し紙一重の場所で攻撃を逃れる。
「知ってたか? 俺の剣はミスリル製なんだ。そんな簡単に折れないぞ? 剣も、俺もな」
「格好つけてる場合ですかっ」
「空気を読めよっ! いや、早く逃げろ! 応援を呼ぶ事で窮地を脱する事が出来るのかも知れないんだぞ! いい加減じれったいぞ!」
その一言は侑希の心に突き刺さった。
(アホか、なに逡巡してるんだクソッ。この時間があれば助かる確率を稼げたかも知れないのにっ)
迷いほど戦場にて無駄なモノは無い。それは知っていたが現に思い知らされて自分を叱責する。
しかしそれもそこまで、後は全力で応援を呼んで来るのが侑希の仕事。それがこの場で最善の選択だ。
ダッ、と侑希は洞窟の入り口目掛けて走り出す。逃さないとばかりに迫るウルフの一体をグリフィスは斬りつくことで静止させる。それでも傷一つ、当然致命傷には程遠い。
残り二体は侑希に向かって突進を続ける。素早さに歴然とした差があり、すぐに侑希は追いつかれてしまうだろう。
だから侑希も、その手札を切った。
(技能発動、【描画】!)
それは【神理魔法】や蔑みのせいでどうも忘れられていた、しかし侑希の才能を表すこの上ない能力。
効果は単純、”空間上の魔力を色付けることができる”というもの。
そしてその技能で描いたものは、
「「ガルッ!?」」
洞窟の通路を塞ぐほどの大岩だった。
空間上の魔力を本物の岩のように着色したことで、まるでそこに大岩があるように惑わしたのだ。ブラッドウルフは突然そこに大岩が出現した、と
実際はただの着色魔力のため、触れても透過するが、ブラッドウルフには判断できなかった。
それにより侑希は追っ手を引き剥がすことに成功した。グリフィスは確かに侑希を逃せた。
(ふん。結局僕は言われた通り格好をつけたかっただけなのかも知れないな。情けないし残酷だけど、本当は死ぬのが一人なのは怖い。彼を一緒にしたかった。しかしそれでは駄目だ。僕は先輩だ)
自嘲気味に笑い、しかし内心は露知らずに襲い来るウルフを剣技でまく。
その鋭い攻撃が、どこかよく見知った風の魔法と重なる。そこでふと思い出すのが、緋髪の女性。
(もし死んだら
そう言い気合を入れなおす。同時にグリフィスの体を紺色の魔力が覆う。
「【身体強化】!」
再度かけ直すことで一気に膨れ上がるオーラ。グリフィスのステータスが魔力によって強化される。同時に魔力を剣にも纏わせることで殺傷力も上げることが出来る。
「さて、本番だ。はぁぁぁぁっ!」
ニィッと口元を吊り上げると上昇した脚力で踏み込み、一気にブラッドウルフの一体に急迫する。
狙われたウルフは急に跳ね上がった素早さに瞠目しながらも体を捻って回避する。しかし当然、回避行動には隙が付き纏う。
「━━飛べ緋色の弾、【火球】」
とはいえグリフィスも突進の威力は簡単には殺せない。だからその隙を打ち抜く手段は魔法に限る。
魔法陣が出現し、空間に浮かび上がった赤く揺らめく球が一気にウルフに命中する。
「グガァッ!?」
刹那、燃え広がるウルフの毛。熱によるダメージは魔物に貫通しやすいので初級魔法とは言え下手な剣技よりはよほど有効だ。
火達磨になってウルフの毛並みの一部が赤くなる、それでも普通の魔物に比べてはタフであるので体力が尽きることは無い。
それでも一体は一時的に封じれた。グリフィスはバランスを崩さないように地面に着き体勢を整えるとウルフの方に向きなおす。その咄嗟の行動は正しかった。
「グルガッ!」
「グワァッ!」
そこに二匹のウルフが双剣のように軌道をずらしながら襲い来る。風のように襲い来る二体のウルフはかなり素早く、グリフィスの知覚能力では視認がやっと。一瞬で距離を詰められてしまう。
「剣士の貫禄、舐めんな!」
それでも長年の経験から攻撃パターンを予想し先んじて剣を振る。するとニ振りのうち後の方がウルフの喉元に切り傷を加えた。
痛みのためかウルフは僅かに硬直する、その隙をグリフィスは見逃さない。
迫真の雄叫び、振りぬかれる剣
「セイヤァァァッ!」
シィンッ!
「ガァァァッ!?」
綺麗な金属音が響き渡り一気に一体のウルフの喉元が半分程まで斬られる。既に剣先は動脈に達していて致命傷クラスだ。すぐに絶命することは無いが、それでも無茶な行動は取れないだろう。
「グワァッ!」
「グワァッ!」
追撃で確実に仕留めたい。そうは思ってもそれをさせないのがもう二体のウルフ。
仲間を傷つけられた憤怒からか毛並みまで血のように紅くなり始め素早さは更に上がったように思える。
(もし仲間を殺されるごとにステータスが上がるのならこれほど厄介な敵はいない。まとめて殲滅が適切か、いやそれには圧倒的に火力が足りない)
この思考間は刹那にも満たず。もし満たしていたら、その間に死は確実に降り注ぐ。現にウルフは攻撃の手を緩めない。
牙を剥き出しにしてグリフィスの心臓を噛み千切らんと突進してくるウルフはまるで弾丸のよう。
「ソイヤッ!」
グリフィスは軌道を見計らい横凪ぎに剣を振るう。
……しかしこれは短絡的な行動だった。
確かに当たれば一刀両断クラス、致命傷に大きく近づくレベルのダメージを与えられるだろう。しかし逆に当たらなければ隙が大きすぎる。
そしてグリフィスの攻撃は当たる事が無かった。
(何!? 急迫してるにも関わらず突進の高さを変えただと! 風の力かっ!)
そう驚くのも束の間。ウルフの必殺の咆哮が響いて攻撃が続いた。
「グガァッ!」
「うぐっ!」
確かにウルフの鋭い牙はグリフィスに刺さった。防御力は伊達でない装備を着ているため致命傷には及ばなかったが綺麗に深いラインが刻まれた。若干皮膚にも攻撃が通り血が滲み出ている。
(なるほど流石はブラッドウルフ。最上位のキラーウルフほどでは無いが危険魔物に指定されてる訳よ)
しかし戦いは人の心を湧き立たせる。強敵に出会ったのならそれに対して絶望するかむしろ燃えるか、グリフィスは後者だった。
剣を盾にウルフの攻撃を凌ぎながら即座に距離を取る。詠唱を挟むことができる余裕がある程の距離だ。
「━━穿て風の弾丸よ、【ブレイク】」
痛みは既に思考外。即座に開いてる左手を突き出しそこから風魔法【ブレイク】を数発発射。お返しとばかりに放たれた風の弾丸は全弾命中した。
特に首を斬られたウルフはその追撃を心臓に喰らい流石にぐったりとした。それでも絶命しないタフさにグリフィスは驚くが、それがなお彼の心を湧きたたせる。
残った二匹の狼は身体から鮮血を漏らしながらも未だその目は爛々と紅く輝く。だがピンチであることに変わりない。
(……よしっ、ここが正念場だ)
そこでグリフィスは一回剣を腰の方まで引き戻す。その隙を見逃さない片方のウルフは軌道すら錯覚させる速度で襲撃する。
「オラッ!」
それを見切ったグリフィスは抜刀一閃を繰り出す。一気に剣身を抜きウルフを斬捨しようとするが、それもウルフも想定内だった。
むしろここまで戦っていてグリフィスが何もしないで攻撃を受けるわけが無いのだ。全ての行動に意味があると考えられないと、この場で戦闘出来る資格なんて持っていない。
スルッと身をかわすウルフだったが、
(よしきたっ!)
実はそれ自体までグリフィスに読まれていた。数手先までの展開を読んでその一手を的確に打っていく。
一気に抜き出された剣身は薄く何かバチバチするモノを纏っていた。ウルフには正体すら分からないだろうがそれが危険なモノと言うのは分かった。
しかし、時既に遅かったが。
バチバチバリィ! と電流がウルフに流れ込んだ
「グギュゥ、ガガッ」
「ミスリル製『雷斬』、その真価を舐めて貰っては困る」
グリフィスの持つ剣はそれ自体が雷を纏う事が出来る。それにより抜刀一閃で生じた剣閃上は一定時間スパークして触れた物体を問答無用で麻痺させることができるのだ。
しかしそれを発動させるにはチャージが必要。そのチャージは使用者の肉体を接近させて要となる魔力を享受する過程を得る。
つまりグリフィスが一旦剣を腰の方まで引き延ばしたのは剣の紫電をチャージする為だったと言うことだ。
ウルフは痺れて動けない。二体目も実質無力化。復活されると厄介なのでさっさととどめを刺してブラッドウルフを討伐してしまうことに。
しかしここで若干の違和感に襲われる。
(あれ、これってブラッドウルフだよね? 確かに強いけど何だかんだ言って
僅かに生まれた余裕は確かにおかしかった。それは同時にブラッドウルフの真価はこんなものじゃないと示していたようなもの。
痺れさせたウルフに気を取られていたが、瀕死のウルフに嫌な予感がしてチラと目線を向けてみる。
すると想像を絶する光景が映っていた。
「なっ、回復だと!?」
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