この世界になじむために

魔法訓練!




 チュンチュン、チュン


 朝を知らせる鳥のさえずりがカーテンの隙間から陽の光と一緒に薄暗い部屋へと入り込む。その部屋にて布団に体を埋めた少年は僅かに意識を覚醒させる。


 この後に響くのは目覚まし時計という悪魔の咆哮、もしくは母親というこれまた悪魔の雄叫びだ。聞くに耐えない耳障りなノイズに対して布団に深く潜ることで全力の防備を固める。


 そして誰かが部屋の扉をノックした。

 返事したら負けだ、流れる水のようにズルズルと起きることを強いられる。今は少しでも睡眠時間を稼ぐのだ。


「侑希さんー、時間ですよ。起きてるなら返事を下さいー」


 しかしその声は聞きなれた母親悪魔の声ではなかった。

 不意に訪れる違和感。まだ若干まどろみつつある意識に鞭打ち、現状をあらためて確認する。


 布団からもぞもぞと体を出して周囲を見渡す。そこにあるのは独特な形をしたランプや時計に棚などだった。いつも見て来たデジタル式の目覚まし時計やノートパソコンはそこにない。


「侑希さん、聞こえてますか? 返事が無いなら入りますよ」


 再度聞こえる不思議な声。急に別世界に迷い込んだような感覚に段々と焦りを覚える。

 今ここで部屋へ入ることをを許可したら首を狩られるかも知れない、と呆れるほど物騒な考えが脳裏によぎる。


 しかし不思議な声の主はそんな危ない考えなんか微塵にも知らず「入りますよー」と言うと扉を開ける。侑希は即座に飛び起きザッザッとテレビで見たカンフーの構えをする。


「な、何者だ! 侵入者か! 泥坊か!?」

「……寝ぼけているんですか?」


 シュシュッとパンチっぽいことをして威嚇してみる。しかし銀髪の少女は呆れた顔でそう答えると右手をスナップつけて鳴らす。するとその瞬間に侑希の顔面に水が降り注いだ。


「あうわっ!! 冷たいっ!?」

「ホラ、顔洗って目を覚まして下さい。モーニングコールをしてと頼んだのは侑希さんですよね?」


 水属性の魔法で水のボールを生成し侑希の顔に当てただけなのだが魔法にはまだうとい侑希は驚くことしかできなかった。

 そしてその間にようやく今までの出来事を思い出した。


「そういえばそうでしたね。いやあお恥ずかしい所を……痛っ!」

「急に動くからですよ。はい、【ヒール】です。落ち着いてから階下へ来て下さいね」


 さっき急に動かした腕がズキズキ痛んだ。相変わらず表情が呆れの一点張りなイズは簡単な回復魔法を唱えると部屋から出て行った。


 衣服については昨日のうちにギルドから支給されたものがある。しばらくはそれを着ることになりそうだ。

 ヒールをかけられて血行が良くなったのかほんのり暖かい患部に不思議な思いをはせながらさっさと着替えを済ませた。


 そして階下にて適当にモーニングを注文して食事とした。


 会計は勿論先払いだ。荷物は既に昨晩のうちにまとめてあるので後は歯を磨いて身だしなみを少し整えると出発することにした。


 目的の場所はギルドの訓練施設。今の侑希は珍しくやる気モードなのだ。水を差すのは無粋と言える。こういう時くらいはなすがままにさせておくのが良い。


 ということで侑希は意気揚々とギルドへ向かって出発した。




 ◇◆◇◆◇◆




「さて、来たわね」


 ギルドに設営してある訓練施設にて、魔導師の正装と言うべし黒法衣に上下を包んで三角帽を被ったサミラがこころよく迎え出てくれた。


「早いですねサミラさん。予定時刻よりまだ十五分ほど早いのですが」

「ギルド職員の朝は早いの。さっさと朝の仕事を片付けて、こっちの準備をしていたの。それにしても侑希君だって早いわよ? やる気を感じるわ」

「いえいえ、ありがとうございます」


 称賛は素直に受け止める。一しきりの会話をした後はサミラは雰囲気を切り替え、教授モードになる。つられて侑希も表情が引き締まる。


「さて魔法の訓練、もとい講習を始めるわ。まず魔法というものを理解するところからはじめるわね」


 そう言うとサミラは右手を前に突き出した。

 掌は上になっている。と思うと、ちょうど掌の上あたりの視界が僅かにブレはじめた。まるで空間が揺れてるような、不可視の何かが渦巻いている。


「魔力の流れが見える? 揺れ動いてるのは”魔力”、私達の環境を取り巻く未知の力よ。魔法というのはね、この魔力を様々な形に『変化』させることで成り立つの」


 ふむふむ、と相槌を打つ。それを確認してサミラは言葉を続けた。


「で、その基本は魔力を『活性』させることにあるの。魔力は純粋なエネルギーだから、活性させれば攻撃にも防御にもなる。身体に魔力を纏わせて活性すれば身体のスペックが跳ね上がるのよ」


 そう言うとサミラの身体が一瞬だけ緋色に輝いた。

 その直後に跳ね上がる彼女のオーラ。本能的な何かが彼女に対して威圧感を感じている。


「これが【身体強化】。出来なければ冒険者はまず務まらないと言われてるレベルの基礎中の基礎。まずは侑希君にこれをしてもらうわ」


 確かに荒事やオーガのような魔物退治に繰り出るなら相応の能力は必要だ。人間の身体である以上は普通ならば野生の魔物には叶わない。

 それでも人間が常に上位に立つ理由はこの能力なのだ。


 ちなみにサミラの言った言葉だが、ギルド規則にも冒険者登録条件に【身体強化】が錬度に関わらず使えることが記されている。使えると強さも手に入るので、一般市民の登竜門と言えるだろう。


「で、でもどうやってするのか分からないです……」

「詳しく教えたらちゃんと定着しないから、私はあえて方法は言わない方針よ。それでもノーヒントからは難しいでしょうし、ちょっとだけ。肝心なのは『イメージ』、自身にまとわりつく力を爆発させるような、そんなイメージを強く持つのよ。慣れれば無意識に出来るわ」


 魔法はマニュアルが細かく組まれてたり、あるカリキュラムに乗っ取れば必ず習得出来るものでなく、完全に術者のセンス次第だ。こればかりはギルド職員もどうすることもできない、ただ見守るだけである。


 悩む侑希。まとわりつく力、と言われても実感が湧かない。爆発するイメージも、中々に構成出来ない。


(むぅ……どうすれば…… 近いイメージ、近いイメージは…… 力が活性する、まるで湧き上がって来るような……)


 記憶を必至に掘り返す作業をどのくらい続けたのだろうか。その結果、何とか結論を導くことが出来た。


(いわばこれは、『覚醒』みたいなものでは? 吹っ切れるみたいな……殻を破るみたいな、そんなイメージ……)


 言うならば『覚醒』が【身体強化】には最も近いのではと結論付けたのだ。


 早速実行してみることに。身体の中心から髄までに纏わる力を一気にBAMGさせる、そのイメージを強く、強く!


「うぉっ!?」


 するとできた。彼の身体に一瞬だけ、蒼に輝く波紋が駆け抜けたかと思うとゴォッ! という音と共に確かな力が湧き上がって来るのを感じた。

 その様子を確認したサミラは驚きながらも近くにおいてあった木の板を取り出した。


「そう、それが【身体強化】。その状況なら貴方の力は増大されてるわ。この木の板を思いっきりパンチしてみて」

「え、はい。分かりました」


 脆そうに見える木の板だが触り心地はまるで石のよう。

 こんな木の板にパンチをしかけるなんて反動によるダメージが怖い。しかしやるしかない、と覚悟を決める。


 木の板を見つめ、拳をあてる位置を見定める。

 そして腕をちょうど後ろに引くと、侑希は本気の正拳突きを繰り出した。


 すると木の板は、バコン! という音を立てると粉々に砕けて跡形も無くなった。その腕の先からは白煙が立ち上るのが幻視出来る。

 自分のしたことながら信じられず驚いていると、サミラが拍手をしながら話しかけて来た。


「さすがね。本当は【身体強化】を習得するのは適性がある人なら約一時間、と言われてるんだけど、半時間ほどで取得するなんて。しかも扱いもグッド、センスがあるわね。いやさすがは『勇者』と言ったところかしら?」


 その言葉に侑希は更に戦慄する。さらっと自分がセンスを持っていたということになると受け入れがたいが、ニホンの知識を活用したのだからと考えると少し納得がいく。


 さてサミラはついでにとある事実を告げることにする。


「そして【身体強化】だけど、どうやら侑希君は転移直後にそれを発動させていたみたいなのよ」

「どういうことですか?」

「けど侑希君の魔力じゃない、もっと仰々しい何かの魔力がギラギラと侑希君の周りにみなぎってるのを感じたの。……思い当たる節はない?」

「そういえば……」


 思い出したのは、正拳突きでオーガを突き飛ばしたこと。

 信じられない火力が出てあの巨体を空中バク転に追いやった、アレの原因がサミラの言った通りに【身体強化】だったとすると納得がいく。


「でも侑希君は今はじめて・・・・・【身体強化】が使えた。だから人為的に誰かにその魔法を付与された、と考えるのが合理的ね。恐らくだけど召喚主……アブソ様とかだと思うわ」

「なるほどです」


 さて身体強化の訓練はとりあえず一段落。まだまだ改良の余地はあるけど、ここらでメインディッシュに移ることにした。


「さて【身体強化】は一まず置きまして、メインの属性魔法の方に移りましょうか」


 その言葉に侑希は目を誰にも分かるほどに輝かせる。

 彼に限らず多くのニホン人が憧れるだろう魔法、いよいよそれを行使出来るのだ。


 その様子を見たサミラは小さく微笑みながら続ける。


「さっきも言った通り、魔法は魔力を変化させて起こすものなのよ」


 それから「例えば……」と続け、一瞬瞑目した。途端に掌上に集まる魔力が多くなったような気がした、その一拍後


「【火球】!」


 ボゥッ!


 サミラの高らかな声に応じて、掌にハンドボール大の火の球が出現した。


「おおっ!」

「今の場合は魔力を火に変化した具合ね。他にも色々と変化できるんだけど、まず普通の属性は大まかにくくって四種類あるの」


 炎や光の系統、【火属性】


 水や氷の系統、【水属性】


 風や電気の系統、【風属性】


 土や植物の系統、【土属性】


「そして特殊属性と呼ばれ、持ってる人が少ない属性が二つあるの。それぞれ体と魂に関わる属性、【生命属性】と【精神属性】ね」


 生命属性は主に回復魔法、精神属性は主に精神に関わってくる魔法だ。人間は肉体と精神でできているという実体二元論がこの世界では通じるらしい。


「どの属性が使えるかは適正次第。各属性ごとに存在すると言われる”大精霊”が、その属性を使える”器”のある人に、属性魔法を使う技術を提供してると言われてるの」


 これが属性適正ということだ。適正のない属性は基本的に使うことはできない。だから侑希は、風属性しか使うことができないのだ。


「魔法のクラスは難易度に応じて初級、中級、上級となっていて、最上級に至ると国でも使える人はそうそういないわ」


 それもそのはず、最上級魔法をボコボコ使えるだろうならバランスが崩壊するし、そもそも最上級と言われることはないだろう。きっと難易度相応に凄まじいものだろう、と未知の魔法に期待を寄せる。


 でもその前に、まずは目の前の魔法だ。初級を使えずしてその上の魔法をどうして使えるだろうか。


「初級魔法に不可欠な技能は【魔力操作】。侑希君はデフォルトで持っていたわね。既に【身体強化】で少しは魔力を掌握しているし、その技能があるなら割と短時間で魔法が行使出来るはずだわ」


 なるほど、【魔力操作】によって体にまとっている魔力を人為的に動かし、狙った場所に集めて活性化させることで魔法として体系させるのだろう。そして恐らく、これも重要なのはイメージだろう。


「じゃあまずは風属性魔法から行使することにします」

「風の初級魔法……【風球】ね。ワンポイントアドバイス、魔法は術者の深層心理に影響される。イメージに連なる言葉を発すれば自然にイメージは強固に補完されるのよ」

「つまるところ、詠唱ですか……」


 黒歴史筆頭の要素が満を持して登場。しかし魔法を使ってる時点で黒歴史みたいなものなので今更だと割り切る。黒歴史は作ってから後悔しろ、という格言もあるくらいなのだ。


 【風球】は名前の通り風で出来たボールを生成する魔法だ。

 さっきイズが作っていた水球、それを風に置き換えた様子を思い出し、深層心理にフワフワと浮かぶ球状の風を思い浮かべて詠唱を紡ぐ。


「━━揺れ動く宝珠よ、【風球】」


 するとボフッ、という音がして一瞬だけ掌上にエネルギーを感じた、がすぐに何も無い元通りになってしまった。


「それでは失敗よ。コツを掴むまで頑張ってみて」


 サミラはそういう。でも属性適正を持ってるのだし、できない訳が無い。ただイメージを思い浮かべるだけでは足りないのだろう。


 それから数十分、試行錯誤に時間を費やす。そもそもの【魔力操作】すら上手く操れない上、かなりの集中力を要するので連続してチャレンジできないのも難点だ。


 試行錯誤し、休憩し、また試行錯誤を繰り返してそろそろ二時間になろうとしていた。


 そこで侑希は根本的な原理に基づいて魔法を使ってみれば良いのではないかということに気づいた。


(風……風……つまり空気の流れ。ボール内を空気が駆け巡るような、流れを起こすような感じで良いのかな?)


 魔力は掌に集め、これらをすべて”風”に変換することを強く意識する。そのまま、魔力を渦巻くように強く念じる。


「━━揺れ動く宝珠よ、【風球】」


 すると一つの風球が侑希の右の掌に現れた。大きさは思っていたのより二周りも小さくすぐに消えてしまったが、できたことに間違いは無い。


「マ、マジで……? まだ半日にも満たしてないよね……?」


 その様子にサミラは思わず素が出てしまってる。

 彼女も数多くの人を指導してきた身として経験には長けている自信はあったが、今まで遭遇してきた才能ある人の習得速度よりも遥かに早かった。早過ぎたのだ。


「よしっ、出来た! サミラさん、他の魔法を試してもいいですか?」

「え、うん、どうぞ……これが風魔法の書物よ」


(よし、自在に操れるように鍛錬だ。取りあえず今日中に風属性の初級魔法は有る程度操れるようになっておくつもりで!)


 意気込む侑希。簡単に言うがそもそも初級魔法とはいえ全てを操るとなれば努力を重ねた一般人でも一ヶ月は要するだろう。

 知識量が大きく関わるので普通は魔法学院などの専門機関に通って習得するものである。


 それに魔法は才能にも強く依存される。その才能を有している証拠となる【属性適正】は各属性、およそ”五人に一人”が生涯で習得できると言われている。

 いくらニホンで環境の整った教育を受けて知識が高く【神理魔法】を授けられた身とは言え最低でも数日は必要としただろう。


 しかし侑希は異常な程の早さで習得していった。と言うのも


(ふふ、イメージが重要だって? 常日頃から想像でイラストを描き続けてきた俺を舐めてもらっては困る。想像は得意分野なので)


 侑希の深層心理の干渉能力自体が既に鍛えられたものだったからだ。


 イラストを描くにあたり侑希はオリジナル創作もする。そのとき顔や体の特徴から性格や口調まで全てをしっかりとイメージしてこそ人気なイラストを描けると言うものだ。

 伊達にガキの頃からイラストを描き続けてきたわけでは無かった。


(有り得ないでしょう? 本当に”異世界人”なの? そもそも魔法に対する飲み込みも早すぎよ……)


 サミラは侑希がこんなにも早く魔法を行使できたという、彼女の経験したことのない事態に戸惑う。そしてそのまま侑希の色々な可能性についての思考の海に沈んでしまう。


「そう言えばサミラさん」

「……ん?」


 一体どれほどの時を考えに費やしていたのだろうか、次に意識を取り戻したのはトキの呼び掛けによってだった。

 侑希は何をそんなに考えてるのか、とサミラを訝しみながら質問をぶつける。


「適正が無い属性の魔法は使えないんですよね?」

「え? ええそうよ。古今東西、適正のない属性を操る魔導師は現れてないわ」

「な、ならこれは……?」


 そう困惑しながらいう侑希。彼の右手には……


━━小さな火球が揺らめいていた。



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