37.おまえだろ!

 リシェントに構わず、アシャスが言葉を続けた。


防人さきもりって言えば聞こえは良いけど、要するに、最初に死ぬ役回りだよな。攻めて行っても、攻め込まれても最前線、味方の体勢が整うまでの使い捨てだ。それが嫌なら、少しでも良い条件を引き出して、相手側に寝返るしかない」


「なるほど……魔界と人間界で変わらないのは、自然や構造物ばかりでは、ないようですね」


「他の連中も、当然、そこまで計算に入れててさ。辺境伯へんきょうはくがいつ裏切っても対応できるように、防衛線は二重三重に設定されて……みんなのための犠牲覚悟で、そんな扱いじゃ、腹も立つよなあ」


御意ぎょい、と言ってしまって良いのか、迷いますが……その辺境伯へんきょうはくが、ああして麾下きかさんじているのですから、よほどアシャスさまに心酔しんすいなされているのでしょう。確かに、わたくしめと同じでございますね」


「いや。あいつは、いつでも裏切れると思ってるから、安心してるんだよ」


 アシャスは、悪戯いたずらを成功させた顔で笑った。


 視線の先で、辺境伯へんきょうはくと兵士たちが、酒盛さかもりを始めた。


 白夜びゃくやでわかりにくいが、もう夜もふけた時間帯だ。あちこちで同じような酒盛さかもりと、糧食りょうしょく煮炊にたきが行われている。


 調子に乗った連中が、リシェント配下の魔物たちと、飲食物を交換していた。多分、双方で何人か腹を壊して、軽い喧嘩けんかの元になるだろう。通過儀礼つうかぎれいのようなもので、各個の指揮官たちも、見て見ぬふりをしていた。


 アシャス自身も、仲間やおもだった将軍たちと一緒に、リシェントとの晩餐会ばんさんかいを済ませていた。


 アシャスがおっかなびっくりするわけにはいかないので、もりもり食べた。ヒカロアがまゆをひそめていたが、まあ、なにも言ってこなかった。


辺境伯へんきょうはくもリシェントも、自分と部下を守るために、最善と思う判断をすれば良いさ。辺境伯へんきょうはくに言ったことを、おまえにも言うぞ」


「アシャスさま、あなたは……」


「裏切られたって、うらまないよ。その代わり、人間だろうと魔物だろうと、敵なら敵だ。俺は……俺を信じてくれるみんなのために、全力で戦う。うらむなよ?」


 アシャスの左腰で<創世の聖剣ウィルギニタス>が、淡い光を放つ。この神器は、アシャスの意思でさやから解き放たれた瞬間、膨大ぼうだいな魔力を縮退相転移しゅくたいそうてんいさせて、水晶のように輝く大剣を形成する。


 まだ完全な状態ではないが、それでもあらゆる魔物を、魔法を、瘴気しょうきも空間も斬り裂いてアシャスの願いにこたえてきた。これからも、その確信があった。


「もちろん、おまえが俺を信じてくれるなら、おまえのためにも全力で戦うけどな」


 アシャスが微笑ほほえんだ。


 微笑ほほえむアシャスと、<創世の聖剣ウィルギニタス>を交互に見て、リシェントはまぶしそうだった。


「アシャスさま……が救世主よ。あなたに出会えたことを感謝します。他の誰でもない、あなたさま自身に」


「いや、だから救世主はやめろって」


 リシェントの青白い肌が、紅玉こうぎょくを溶かしたような長髪と瞳の色が広がるように、しゅを帯びていた。つやめいた目じりと口元が、蕩然とうぜんと細くなる。


 まっすぐに見つめられて、アシャスも照れくさくなった。


 気がつけばほおが、少し熱いような感じがする。急に頭も、くらくらしてきた。


 晩餐会ばんさんかいで、アシャスもリシェントも、同じ果実酒のような酒を飲んでいた。魔界の酒は、口あたりの割りに、酒精しゅせいが強いのかも知れない。


「なんだか、今さらいが回ってきたみたいだな……おまえも、顔が変だぞ」


「申しわけありません。アシャスさまの御相伴ごしょうばんにあずかり、ついつい、飲みすぎてしまいました」


「どんどんいできたのは、おまえだろ! 俺は田舎育ちだからな、がれたらぎ返す。人のせいにするな」


「まったくもって、恐縮きょうしゅくしきりにございます」


 うやうやしく頭を下げるリシェントに、アシャスはまた苦笑しかけて、大あくびをもらした。


「本気で眠くなってきたな……悪いけど、リシェント、先に休ませてもら……」


 歩き出そうとした足が、ふらついた。そのアシャスの肩を、リシェントが、意外としっかり抱き支えた。


「アシャスさま。大切なお身体に御無理をさせてしまったのは、わたくしめの不徳ふとくの致すところ。どうか、ごゆっくりお休みいただけますよう、寝所まで御案内つかまつります」


「いや、まあ……そんな、大層な話でも……」


 背中から肩に手を回され、横に並ばれると、身長差もあって男女のようだ。少し腹が立つ。


 それはそれとして、本格的に意識が薄くなってきた。昼食後の軍議で王さまが長々と訓示を述べているような、あの感じだ。


 アシャスはかなり努力して、リシェントの歩みについて行った。肩を支えられ、手を引かれて、なにか違和感のある体勢だったが、殺気のようなものは感じない。


 いざとなれば、身体に覚醒状態かくせいじょうたいを強制する魔法もあるし、なんとでもなるだろう。アシャスは半分以上眠りながら、そんなことを考えていた。


 しばらくして、魔界の入り口、世界と世界の境界線に存在する勇壮ゆうそうな巨城に、羽根をむしられる鳥のような、頓狂とんきょうな悲鳴が響き渡った。



********************



 新築マンション上階の二フロアは、南面みなみめんの上辺を斜めに切り落としたような、庭つき物件だ。最上階は二世帯、その下は少し細長い三世帯になっている。


 よく晴れた日曜の午後、日差しに輝くバベルの塔さながらの空中庭園をながめながら、撫子なでしこは爆笑した。


「あっははははははは! ヘナチョコ! やっぱりヘナチョコじゃない、あんた! あっはははははははは!」


「反論の余地、ないけどさ……自分もあんな目に合っておいて、よく笑えるよな」


 アシャスが内心で、ため息をつく。


 自分なんだから、遠慮えんりょ会釈えしゃくもない。撫子なでしこにしても、ひらひらと片手を振ったものだった。


「無事に片づいたんだから、笑い話よ。かっこいいシンイチローとヒカっち、ミツヒデの魔王さまモードで、全部上書き保存しちゃったわ」


撫子なでしこちゃんの場合、強がりでもないからすごいよね」


「アシャスも見習うべきですね。まあ、罰ゲームとしては、この辺で勘弁かんべんしておいてあげましょう」


 慎一郎しんいちろうが、シフォンケーキと紅茶を持って、撫子なでしこの隣に座る。非日常は、どうやらまだ継続しているようだ。


 明るいリビングに素晴らしく調和した、ちょっと奮発ふんぱつしたソファは、もう人を駄目にする気満々の心地よさだった。

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