番外之幕 大魔界?

36.我が救世主。

 昼なお暗く、夜なお幻明げんみょうに浮かぶ魔界の地平を、アシャスは見ていた。


 晴天を映したような青い瞳と、日に焼けた浅黒い肌、短いくせ毛の金髪が風になぶられている。


 白地しろじしゅ意匠いしょうを染めて、黄金色の飾り糸で王国連合旗おうこくれんごうきの紋章を刺繍ししゅうした軍服姿だ。胸、腕、脚に、最低限つまらない怪我をしない程度の防具を着けているが、攻撃を防ぐのはその防具に付与ふよされた、自動展開の魔法がおもだ。


 剣を振る全身の動きを妨げないことと、敵味方に存在を誇示することが大事だった。今やアシャスは、人間界の統一意志として連合軍をひきい、魔王に立ち向かう最先鋒さいせんぽうであり、偶像ぐうぞうだった。


「この城もそうだけど……魔界の土地や森なんかも、人間界と、あんまり変わらないんだな」


 地平を見渡す城は、鉱石こうせき煉瓦れんがを組み合わせた、基本的には人間界と変わらない物だ。魔界の入り口、世界と世界の境界線に存在する勇壮ゆうそうな巨城の最上部で、アシャスともう一人が、並んで立っていた。


 アシャスは背が高い方ではないが、それにしても隣の男は、アシャスより頭一つ以上も高い長身だった。


 青白い肌に、紅玉こうぎょくを溶かしたような長髪と瞳があざやかだ。目じりも口元も、どこかつやめいて切れ上がり、笑うと唇から白い牙がのぞいた。


 高度な知性と魔法の力を持ち、魔物の中でも支配的な地位にある、吸血鬼という種族だ。


「その通りです、が救世主。次元断層じげんだんそう隔絶かくぜつされているとは言え、この魔界も、古くは暗黒大陸と呼ばれた人間界の一部にございますれば……」


「救世主はやめろよ、伯爵。アシャスで良いよ」


 アシャスは苦笑して、左腰にいた剣をゆらした。


 大ぶりで、深く沈むような銀色のつか鍔飾つばかざりに比べて、さやだけが短く細い。この世界が生まれる以前、はるか太古から存在したという神器<創世の聖剣ウィルギニタス>だ。


 この底知れない存在につかとして選ばれ、あらゆる魔物を、魔法のことわりをも超える力を得た時から、アシャスは救世主、勇者となった。アシャス自身が、仲間と、多くの人の願いを背負って、そうらんと決意した。


 だが、こうして誰かと話していると、ふと恥ずかしくもなる。自分では、田舎者の子供だった頃と、そんなに変わった気はしていなかった。


 アシャスの内心を知ってか知らずか、伯爵と呼ばれた吸血鬼は、親しげな笑みを満面に浮かべた。


「ではアシャスさま。わたくしめのことも伯爵などと他人行儀たにんぎょうぎではなく、リシェントルネイ=カルナーパス=ドミナハルルストーナスとお呼びください」


「長いよ! リシェントだ! それで良いだろ!」


「光栄にございます、アシャスさま」


 伯爵改め、リシェントが大仰おおぎょうに頭を下げる。慇懃無礼いんぎんぶれいとはこのことで、アシャスはため息混じりに、視線を魔界の地平に戻した。


 魔界は、はるか天空にとどく次元断層じげんだんそう隔絶かくぜつされた、一つの大陸だ。


 創造の女神によって魔法の根源を封じられた土地で、その影響を受けて進化派生しんかはせいした魔物という生命体が存在する、暗黒大陸だ。


 魔法の力を強く身に宿した個体は、その次元断層じげんだんそうを超えてくる。強大な魔王の統率とうそつもと、人間界と魔界は、長く凄惨せいさんな殺し合いを続けてきた。


 リシェントは、その人間界と魔界をへだてる次元断層じげんだんそうに接した、最果さいはての領域を守る魔界の有力者だった。


「この魔界……暗黒大陸の奥深くに、魔王ワスティスヴェントスの鎮座ちんざする伏魔宮殿ふくまきゅうでんがあります。そしてそれを守護する、魔王軍統括の四柱よんちゅうの魔物の王も、いずれあなた方の前に現れるでしょう」


「王さまがたくさんいるのか。適当だな」


 アシャスの冗談に、リシェントも苦笑した。


 魔法で人語に変換しているが、多分、魔物同士の呼称には、細かい意味の違いがあるのだろう。人間だって大公と王と皇帝で規模が違うのだから、お互いさまだ。


「リシェントは、そいつらを知ってるのか?」


 アシャスの軽い調子に、リシェントの表情は、張りついたように変わらなかった。アシャスは気にしなかった。


 リシェントが自己の野心、打算、保身、計略、それらの帰結として魔王ワスティスヴェントスから離反りはんの動きを示していることは、これまでの長い戦いの経緯でそれなりにあきらかだ。


 視線を少し下に向ければ、リシェントの城の内外には、王国連合軍おうこくれんごうぐん先遣隊一個師団せんけんたいいっこしだん駐屯ちゅうとんしている。リシェント配下の吸血鬼や獣人たちも、ところどころで険悪になりながら、なんとか共同作戦行動を整えている。この先、リシェントの城の魔法回廊まほうかいろうを拡張して、人間界からの侵攻軍が増強されるだろう。


 人間界にも、魔法使いはいる。


 アシャスと旅をした仲間にもいるし、少人数で次元断層じげんだんそうを超えることは、人間界からも可能だ。いずれ双方から軍勢が行き来し、大規模な会戦になることは予想できた。


 リシェントの立ち回りは、ある意味で人間的で、理解し易い。


 だが、どこまでが真実で、どこからが虚偽きょいなのか。人間同士でもはっきりしないのだから、魔物相手はなおさらだ。


 確定情報を聞き出そうなどと、考えてはいない。どうせ戦いになれば、予想を超える事態が重なるのだ。アシャスにしてみれば、世間話の範疇はんちゅうだった。


 アシャスの横で、リシェントが、アシャスと同じ方向を見た。


いかづちをまとう風の王、山をゆるがす地の王、月の狂気を宿やどす水の王……そして天をき尽くす火の王、そううたわれております。わたくしめなどは、拝謁はいえつたまわったこともございません」


「そうか。魔物の世界も、いろいろと面倒くさそうだな」


 アシャスは肩をすくめて、眼下の駐屯軍ちゅうとんぐんの一角をし示した。


「リシェント、あいつが見えるか? 暑苦しい飾り外套がいとうで、ほら、酒樽さかだるをひっくり返しそうになって兵士たちに怒鳴どなられてる、つるつる頭」


「はい。あの御仁ごじんが、どうかなさいましたか?」


「あいつはおまえと同じだよ。次元断層じげんだんそうの人間界側を守護してた、ええと、ロゥアンドル=コラムナート辺境伯へんきょうはく。人間と魔物で同じかどうかわからないけど、伯爵ってのも一緒だな」


 リシェントの目が、不審ふしんそうに細くなった。

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