35.それだけだよ!

 ひとしきり笑ってから、アシャスはシャンパングラスをけて、ヒカロアと同じように肩をすくめた。


たましい輪廻転生りんねてんせいを、全部記憶しているとして……撫子なでしこ慎一郎しんいちろうくんは、現在更新中の最新フォルダ、俺たちは奥の方の圧縮保存データ、って感じかな?」


「そんなところですね。私とアシャスが、慎一郎しんいちろう撫子なでしこの記憶をすぐに共有できても、その逆、私たちの生前の記憶を共有するのは意識的な、言わば解凍が必要なのも、そのせいでしょう」


 ヒカロアが自然な動作で、アシャスのグラスにシャンパンを注ぐ。


 アシャスもアシャスで、だいぶ甘やかされている。撫子なでしこの意識が、いつかの仕返しのようにほくそんだ。ような気がしたが、アシャスは無視した。


「今は、ちょっと違うよな。この身体で体験した記憶なら、すぐに共有できるわけだから……」


「この身体とたましいの現在である慎一郎しんいちろう撫子なでしこの記憶領域に、私たちがお邪魔しているのでしょう。この状態の記憶は、私たちが体験しても、本来の慎一郎しんいちろう撫子なでしこの記憶領域にあるということです」


「そう! それなのよ!」


 アシャスとヒカロアの会話に、我が意を得た、とばかりに撫子なでしこが割り込んだ。


「途中のゴチャゴチャは置いといて、つまり、婚約指輪を受け取りに行ったあの時からは、記憶が一致してるってことよね? 同じ身体で体験してるわけだから」


「そう、だよな?」


「ですね」


「でしょでしょ? っていうことは、さ! 全員平均して、二十五歳くらいまでの記憶が別人でも、それ以後は一緒になるわけだから……」


「おい、自分だけ若く計算するなよ。おまえは今日で二十八歳だろ」


「うっさい! とにかく、例えば五十歳になったとしたら、人生の半分は別人の記憶だけど、残り半分は同じ記憶、同じような人格が占めるってことになるわよね? そのまま百歳まで行けば、これはもう、若い頃にちょっと変わった思い出のある普通の人じゃない!」


「……なるほど。百歳が普通かどうかはともかく、一理ありますね」


「すごいよ、撫子なでしこちゃん! それなら、今いろいろ考える必要なんて、ないってことだよね!」


慎一郎しんいちろうくん、君、ちょっと撫子なでしこ全肯定ぜんこうていしすぎるよ。自覚しようね、そういうところ」


 アシャスが苦言をていするが、聞くような慎一郎しんいちろうではない。普段もそうだが、まして新婚だ。


 アシャスとヒカロアが、顔を見合わせて苦笑した。


「けど、まあ……そう言ってくれるのは、俺たちにはありがたい、のかな」


「感謝します。慎一郎しんいちろう撫子なでしこ


「ぼくたちも嬉しいです! これからもよろしくお願いします、ヒカロアさん、アシャスさん!」


「んっふっふー! そんなわけで、あたしからサプラーイズ! 二人と二人の新しい門出かどでってことで、今日こそ逃がさないわよ!」


「え……?」


 撫子なでしこの意識の高笑いに、アシャスが気がついた時は、すでに遅かった。またしても素早く流れるような、完璧なシャットダウンだった。


「お……おい、撫子なでしこ? 急になんだよ? おまえ……っ!」


 慌てるアシャスを尻目に、ヒカロアが、さすがに気遣きづかわしげな顔をする。


撫子なでしこは、相変わらずああいう人物として、慎一郎しんいちろうはそれで良いのですか?」


撫子なでしこちゃんが幸せなら、ぼくも幸せです」


 慎一郎しんいちろうの意識も、撫子なでしこのようにほくそんだ。ような気がした。


「ヒカロアさんとアシャスさんの幸せも、ぼくたちの幸せです。撫子なでしこちゃんのああいうところ、大好きです!」


「し、慎一郎しんいちろうくん? ちょっと、あの、流れが見えないんだけど……っ?」


 慎一郎も、もう答えない。新婚初夜の豪華スイートルームに、アシャスとヒカロア、二人が取り残された。


かさがさね、感謝しますよ。撫子なでしこ慎一郎しんいちろう


「い、いや……その、ええと……」


 アシャスが剣のように、胸元に両手で持ったシャンパングラスを、ヒカロアがするりと取り上げる。その時点で、もう顔が近い。


「ま……ちょっと、待て! って……」


「待ちませんよ。百三十八億年も待って、これ以上、どう待てと言うのですか?」


「それは……っん……!」


 椅子に背中を押しつけられて、逃げようのないくちびるが交わった。ひっくり返りそうになる椅子は、ヒカロアの右手が、抜け目なく支えている。もう片方の左手に髪と耳たぶをなでられて、アシャスは、身体の奥の甘いしびれを自覚した。


「……やめ……」


 一度、離れたくちびるが、吐息をもらす。


 アシャスは、自分の言葉と身体がわからなかった。拒絶みたいに聞こえる。それでも、両手は少しふるえながら、ヒカロアのナイトウェアの胸元を握っている。


 つむっていた両目に、涙がにじむ。暖かい。そのまぶたを、鼻梁びりょうを、ほほを、ヒカロアのくちびるが伝っていった。


 そしてまた、くちびるくちびるが交わった。触れ合ったところから、身体がほどけていくようだった。


 ふわりと、浮かんだ。しがみつく。離れたいわけじゃない。


 アシャスの背中を、ベッドのやわらかい衝撃が受け止める。薄く開けた目に、天井の間接照明と、ヒカロアのさみしそうな笑顔が映った。


「できますよ。あなたにも」


「……なに、が……?」


 アシャスの胸がうずいた。


 初めて見る顔だった。どうしてそんな顔をするのか、自分がそうさせたのか、アシャスはヒカロアの腕を、力の入らない指で必死につかんだ。


 ヒカロアが、視線から逃げるように、アシャスの耳にくちびるを寄せた。


「<創世の聖剣ウィルギニタス>です。それがあなたの、真実の意思なら……撫子なでしこも応じてくれるでしょう。あの水晶の大剣で、私がやって見せたように、私の記憶だけを滅ぼそうと願えば良いのです」


「……っ!」


「同時に私も<破界の魔槍ザカーティウス>で、あなたの記憶だけを滅ぼします。そうすれば、この転生騒ぎも終焉しゅうえんです」


 ヒカロアの指が、胸に触れた。少し力が強くて、それでもナイトウェア越しの感触がもどかしくて、アシャスはまた吐息をもらした。


 ヒカロアが、起伏の形をなぞるように、アシャスをもてあそんだ。


「一緒に死にますよ。それも良いでしょう。でなければ、やめてあげません」


「そんな……言い方……」


「ここまで来たのですよ? 最後は、神も運命も関係ありません。あなたの意思を……あなたのこのくちびるに、言わせたいのです」


 ヒカロアが顔を上げて、アシャスを真正面に見た。顔が近くて、その顔が悲しそうで、アシャスは言葉を詰まらせた。


 わかっている。


 ヒカロアは、アシャスが一番言って欲しかったことを、言ってくれた。言われなくてもわかっていたことを、ちゃんと言葉にしてくれた。


 言葉が、どんな行動よりも大切な瞬間がある。アシャスにも、もうわかっていた。


「さ、最初に、言ってる……!」


 アシャスも、感情が涙になって濡れた目で、ヒカロアを真正面に見た。ヒカロアの腕を離さないように、微熱に溶けるような指に、ありったけの力を込める。


「考えて、ぐるぐる回って……結局、答えなんて、最初にもう出てた……」


 旧世界で出逢であって、一緒に旅をした。


 一緒に、泣くだけ泣いて、笑うだけ笑った。走って、転んで、戦って、生きた。


 百三十八億年が過ぎても、思い出は消えなかった。なにもかもが変わっても、また出逢であって、泣いて、笑った。


 怖くはなかった。


「おまえを愛してる。幸せだ。結婚して、家族になって……こんなに嬉しいこと、ない……! それだけだよ!」


 ヒカロアの目が、アシャスと同じようにゆれた。アシャスは微笑ほほえんだ。おもいを、精一杯の微笑ほほえみにして、大切なヒカロアに伝えた。


「俺と一緒に……ずっと一緒に、生きてくれ。ヒカロア」


「もちろんですよ。私のいとしいアシャス」


 二人で、微笑ほほえみ合った。


 そしてまたくちびるが交わって、指が、てのひらが、素肌が、胸が、吐息が、熱が触れ合った。


 求めて、溶けて、まどろみの中でいつまでも幸せを感じ合った。



〜 転生勇者のナデシコさんは、もうすぐ結婚する! 完(?) 〜

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