33.それなら絶対に大丈夫です!

 五年前の卒業式の日、私立、日榁学院大学ひむろがくいんだいがくの講堂前は、リクルートスーツ、成人式の晴れ着、お調子者の着ぐるみなど、思い思いの盛装で華やいでいた。


 学部や学科の一まとめで、順番に講堂を出入りする。そして枯井澤かれいざわ理事長りじちょうから一人ずつ、卒業証書と祝いの言葉を受け取った。


 順番の早い組は、定番の鰐柄わにがら賞状筒しょうじょうつつを持って、もう写真や動画を撮り合っている。サークルの後輩から花束を受け取っている者、肩を寄せ合って泣いている者、胴上げに失敗してのたうち回っている者、さまざまだ。


 撫子なでしこは、一番地味な部類だった。


 ネイビーカラーのリクルートスーツで一人、賞状筒しょうじょうつつを持て余している。最後まで仲良くしてくれていた、数少ない友人たちは、まだ講堂から出てこない。


 とっくに次の組も出てきているから、中で他の組の友人と、話し込んだりしているのだろう。自宅通いの直帰ちょっきサークル、悪評つきの撫子なでしこに、話しかけてくる後輩はいない。


 いや、一人だけいた。


撫子なでしこセンパイ! 卒業、おめでとうございます!」


 来月から工学部三年生になる冴木さえき慎一郎しんいちろうが、明るい声を響かせた。走ってきたのか、弾む息をそのままに、尻尾を振る大型犬のようだった。


 高校も後輩で、部活に同じナナミと読む姓がいたから、その頃の知り合いはみんな名前で呼んでくる。特別なことじゃなかった。


「あの、これ! お祝いです! 少し時間がかかっちゃって……撫子なでしこセンパイせっかちだから、帰る前に間に合って良かったです」


「イタいこと言うな! まさに今、ぼっちでそうするところだったわよ」


 思わず、いつもの調子で答えてから、撫子なでしこがあきれた。


「シンイチロー、あんたね……たかが卒業に、このチョイスはどうなのよ?」


 慎一郎しんいちろうが差し出したのは、一抱えもある、まっ赤な薔薇ばらの花束だった。こいつは、こういうところがある。


 まじめでおとなしいかと思えば、マイペースで、時々おかしい。素直で、小綺麗で、男友達も女友達も多いだろうに、こうして撫子なでしこに気をつかう。


 むしろ横暴で無神経な先輩だったはずだが、人間関係というのは理屈だけじゃないようだ。


 そう、理屈じゃない。違う。特別じゃないというのは、嘘だ。


「ありがとね……正直、学校がキツい時もあった。だから卒業できたのは、あんたのおかげよ」


 撫子なでしこは、精一杯に笑って見せた。


 慎一郎しんいちろうはいつも、撫子なでしこに明るく声をかけてきた。


 帰り道のちょっとした買い物に連れ歩いたり、授業がいた日は一緒にラーメンを食べたり、食べ放題スイーツバイキングで二人そろって気持ち悪くなったりした。


 高校生の頃に、昔に戻ったみたいな、楽な気分だった。


 ずっと振り回していた。


「今までごめんね。申しわけないことしてる自覚が、なかったわけじゃないのよ? メンドくさい先輩はいなくなるから、これからは、あんたもちゃんと青春しなさい。応援してあげるわ」


「本当ですかっ?」


 慎一郎しんいちろうが、ぱっと顔を輝かせた。


 お、と思う。


 素直だ素直だと思っていたが、ここまで素直に喜ばれると、悪戯心いたずらごころに毛が生える。撫子なでしこは、つい、悪い顔でふんぞり返った。


「でも、まあ、あんたの保護者的先輩としては、そんじゃそこらの小娘に甘い顔はしないわよ? あたしのメガネにかなうような、立派なお嬢さんを捕まえることね!」


「それなら絶対に大丈夫です! 良かった、本当はすごく、ドキドキしていたんですよ!」


「……んん?」


 なんか、会話がつながってないんじゃないか、と思ったが、撫子なでしこの疑問符を誰より早く、慎一郎しんいちろうが粉砕した。


撫子なでしこセンパイ、好きです! ぼくと、つき合ってください!」


「……んなっ? なに、言って……」


「本当は、高校の頃からずっと、好きでした! これから先もずっと好きです! 好きで、いさせてください!」


 撫子なでしこは、口をぱくぱくと開閉させた。


 慎一郎しんいちろうは、自分で言っているほど、顔色も調子も変わっていない。撫子なでしこだけが、不意打ちで林檎飴りんごあめのような顔色になっていた。


 どういうことだ。


 好きって、ずっと、って。高校の頃からなんて。


 大学であれこれあって、それでも今になってこんな、それはそれでどうかと思うぞ。女なら、完全にメンヘラ扱いだぞ。


 年齢だって、こっちが二つも上だ。


 男は基本、年下をリードしたがる生き物じゃないのか。女だって、俺さま男子とか壁ドンとか、リードされること前提じゃないか。


 頭の中をぐるぐる回す撫子なでしこに、慎一郎しんいちろうがたたみかけた。


「あの、撫子なでしこセンパイ。ここまで言って断わられたら、ぼく、明日から学校キツいです。応援してください」


「ちょ、ちょっと……」


撫子なでしこセンパイ自分に甘いから、自分で不合格点は出さないですよね? 立派なお嬢さんって自画自賛できる性格、してると思います。よろしくお願いします!」


「あ、あんたね! 告白しながらディスって脅迫きょうはくするやつ、初めて見たわよ……!」


 自分で言った迂闊うかつな言葉に、自分が追いつめられている。


 気がつけば、講堂前が静かになっていた。もう、撫子なでしこの返事待ちだ。ほとんど赤の他人どもが、耳をそば立てていた。


「ま、まあ……その……あれ、よ……」


 意味のない音の羅列られつに、無言の圧が高まった。いよいよ最後だ。逃げ場がない。


「も、ものは試し、って……言うからね……つき合って、みて……みなくも……ないかな、なんて……」


 ごにょごにょした台詞せりふに、撫子なでしこの後頭部で、賞状筒しょうじょうつつのフルスイングが炸裂した。


「そこはっ! ありがたき幸せ、でしょうっ! あんたの場合!」


「良かったぁぁぁあああ! 撫子なでしこ! 良かったよぉぉぉおおお!」


慎一郎しんいちろうくん! 私たち、聞いたからね! こんなんだけど、やっぱナシとか、ナシだからね!」


「……いっったぁああああい! な、なによ、みんな! もしかして、知ってたの、これ……っ?」


 一斉に飛び出してきた友人たちに、ひっくり返った撫子なでしこが、後頭部を抱えて抗議する。その撫子なでしこ慎一郎しんいちろうを囲んで、撫子なでしこの友人たちが、一呼吸置いて大笑いした。なにをか言わんや、だ。


 撫子なでしこ慎一郎しんいちろうを見た。


 慎一郎しんいちろうも、撫子なでしこを見た。


 昔に戻ったわけじゃない。とっくに、新しく進んでいたのだ。気がつかないでいたのは、撫子なでしこだけだ。


 静かだった講堂前に、赤の他人たちの、歓声と拍手はくしゅと口笛がき上がっていた。

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