28.なにがなにやら。

 大学生の夏休みは長い。


 予定を全部キャンセルして、実家に引きこもっていれば、なおさらだ。新発売のゲームもクリアして、もう、新顔の家族になった子猫をでるしか、することがなくなった。


 ゲームに登場する戦国武将モチーフの美形キャラから命名された黒猫は、小さいながら意外に太々ふてぶてしい態度で、撫子なでしこを苦笑させた。


 同棲どうせいしていた部屋から夜逃げして、最初の一週間で、とにかく全部、吐き出した。スマートフォンの機種も、番号も変えた。保存し直した連絡先に、メッセージで知らせた。


 お盆に、高校の部活の友達から呼び出されて、居酒屋で大騒ぎをした。まだ未成年だったけれど、後輩の慎一郎しんいちろうもいた。


 も、というのは正確じゃない。後で白状させたが、首謀者だった。


 部活では、おもしろ半分にしごいたりした。おとなしそうな顔で、その通り素直だったから、少し調子に乗ったこともあるのは、まあ、反省していた。


 大学も同じで、顔見知りの後輩だし、気安く声をかけたりしていた。のぞむと一緒にいるところも、同棲どうせいしていることも隠していなかった。写真の誤送信先にも入っていたから、状況を推測するのは難しくなかっただろう。


 生意気に気をつかいやがって、と、ほっぺたをつねってやった。


 笑っていた。


 撫子なでしこの実家は近郊きんこうだが、毎日の通学となると、さすがに遠い。授業が忙しい三年生で、門限厳守の自宅通いになった撫子なでしこは、友人つき合いも減った。


 彼氏をポイ捨てして退学にまで追い込んだ女、という評判が、学校中に広まっていた。事実だ。背中を丸めたり、うつむいたりは、絶対にしなかった。


 いつの間にか、慎一郎しんいちろうの方から、気安く声をかけてくるような関係性になっていた。


 友人らしい男女が慎一郎しんいちろうを囲んで、これ見よがしに忠告している場面にも出くわしたが、慎一郎しんいちろうは変わらなかった。


 撫子なでしこは、慎一郎しんいちろうの友人たちに完全同意しながら、気安い関係になんとなく甘える気持ちも、なくはなかった。


 あった。多分。



********************



 うすぼんやりとした意識で、撫子なでしこは、いや、アシャスは苦笑した。


「変な夢、見たな……もう、なにがなにやら。まったく……」


 身体を起こそうとした。動けない。なんだかっぱらったみたいに重いまぶたを、どうにか持ち上げる。


 意識と同じ、うすぼんやりとした暗がりに、何百人というダークグリーンのスプリングコートを着た男女がうごめいていた。


 講堂のような空間に、ぎっしりとひしめいて、むせかえる湿気に紫色の煙が混じっている。みつを溶かしたような甘い香りと、汗と体臭、荒い息づかいに両手を上げて、ゆらゆらと踊っているっぽい姿は、深海で奇形化した海藻かいそうのお化けのようだ。


 イケメン俳優が海賊にふんしたハリウッド映画で観た。ような気がする。


「な……ななな、なんだ、これ……?」


 身をよじる。


 ようやく、アシャスは自分の身体を見た。


 退勤した時の、ブラウスとボトムスが手首と足首までずり下げられて、インナー姿だ。両腕は後ろにまわされ、親指同士を、感触からして結束バンドのようなものでくくられている。無理に引っぱると、指がちぎれそうな痛みだった。


 足の方はパンプスが脱げて、ボトムスのベルトでそのまま縛られている。うつ伏せで、芋虫いもむしのように転がることしかできなかった。


『会長さまは神』


『自然の神は、我らと共に』


『心を一つに、世界を平和に』


『春はあけぼの、九州わかたか』


 海藻かいそうお化けどもは、わけのわからないことを絶妙なうるささで唱えながら、一心不乱に踊っている。ダークグリーンのスプリングコートから出ているのは男女ともに素手素足で、次はだいぶ先だが、世紀末的なカオスっぷりだ。


 アシャスは壇上だんじょう土臭つちくさいブルーシートに転がっていた。


 園芸関係のサークルなのか、周りを囲むようにたくさんのプランターが置かれて、大ぶりで先端のとがった葉っぱの植物が、青々としげっていた。


「なな、撫子なでしこ! おい、撫子なでしこ! こんな状態で、まだ起きないのかよ……あ! お、おまえら……!」


「や、やっと、気がついたかニャ……ヘナチョコ勇者……」


 周りを見たついでに、プランターに混ざって、四つ重なったペット用ケージが目についた。しゃべる三毛猫、サバトラ猫、ハト、ハスキー犬の取り合わせに、一所懸命、聞いた名前を思い出す。


「あっさり、カ、カイチョーに……だまされたみたいだニャ……不甲斐ふがいないニャ……」


 ぐったり横たわっても、三毛猫のブライストラは口が悪かった。


 アシャスが辟易へきえきする。


「いや、もう、おまえらこそなんなんだよ……? このおかしな連中に、関わってるのか? それでどうして、そのざま……?」


「も、申し開きようも、ありません……」


 サバトラ猫のガロウィーナが、ぺちゃんと水たまりのように、顔を伏せた。


 ハトのランスタンスが、無駄なイケボをふるわせる。


「む。勇者よ……薬物だ……。薬物に、気をつけよ……」


「遅いよ! 見りゃわかるだろ!」


 アシャスも、言いたくはないが、思わず言う。前後も経緯もさっぱりわからないが、同じ穴に落ちているのは確かなようだ。


「無味無臭でござる……せ、拙者せっしゃの鼻をもってしても、気づけなかったでござる……」


「じゃあ、俺が気がつかなくても仕方ないだろ! 人間さまに無茶ぶりするなよ、犬!」


 不毛な会話を打ち切った。お互い、自分をたなに上げて好き勝手を言っても、状況はなにも改善しない。


 相変わらず絶妙にうるさいカオスの中で、壇上だんじょうに調子外れな靴音が響いた。アシャスは、ぎくりと身体を固くした。


 芋虫いもむしのまま、苦労して視線を移動する。


 見たくなくても、見ないことに意味がない。アシャスは、壇上だんじょうそでから現れた、背の高いせぎすの姿をにらんだ。


 ブラックジーンズに、ダークグリーンのスプリングコートのフードを目深にかぶって、紙巻かみま煙草たばこのようなものを吹かしていた。フードの隙間すきまからこぼれた、色あせた赤茶色の髪が、煙にゆれた。


「やあ、撫子なでしこ。いいタイミングで目が覚めたね。やっぱり実験って、大切だなあ。みんなも、ちょうど盛り上がってきたところだよ」


のぞむ! おまえ……」


 声を上げた拍子ひょうしにバランスを崩して、アシャスは仰向けに転がった。

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