27.もちろんです!

 パトライトのサイレン音と、排気量の大きいエンジン音、そして少し乱暴なブレーキ音が、ほとんど連続して聞こえた。


 マンションの空気がざわめく。車のドアが開いてまた閉じる音は、二つ聞こえた。


 撫子なでしこの部屋に現れたかえでは、以前と同じ、くたびれたネイビーのスリーピースで、顔つきも変わらなかった。人懐ひとなつっこい笑顔で、まずは慎一郎しんいちろううなずいて見せる。


 とっさに声の出なかった慎一郎しんいちろうが、一呼吸、飲み込んだ。


かえでさん……っ! あれ? 母さんも……?」


 かえでに続いて、慎一郎しんいちろうの母、冴木さえき潤子じゅんこが現れた。潤子じゅんこはダークブラウンのスカートスーツで、日榁学院大学ひむろがくいんだいがくの校章をえりにつけていた。


「警察で、被害届の調書に立ち会っていました。多少は強引でしたが、何人かの学生の親御おやごさんから、失踪しっそうということで協力いただいています。状況も、かえでさんの車で聞きました」


「おかげで助かりました。慎一郎しんいちろうくん、電話でも言ったが、落ち着いてくれ。大丈夫だ」


 かえで潤子じゅんこを、慎一郎しんいちろうの方にうながした。潤子じゅんこ慎一郎しんいちろうの手を握る。


 慎一郎しんいちろうはようやく、自分と同じように撫子なでしこを心配して、動いてくれている周囲を認識した。大丈夫だ、という言葉の意味を、受け入れる。


「ありがとうございます……かえでさん。母さんも」


「よし。ギリギリだったが、潤子じゅんこさんの協力で形式が整った。被害届からの失踪者捜索しっそうしゃそうさくに、今までの捜査情報からの薬物販売目的所持の疑い、ついでに誘拐ゆうかいの現行犯捜査だ。これから厚労こうろうも総動員して、一斉摘発いっせいてきはつに出る」


 かえで慎一郎しんいちろうの目を見て言った。


 薬事法の調整を待たず、強行捜査するということだ。公権力執行の順序は微妙だが、薬物酩酊やくぶつめいていに類する心神喪失しんしんそうしつの被害者を確保できれば、法律更新の動きも加速できるだろう。


 一連の行動は、すぐにマスコミにも明らかになる。潤子じゅんこの働きで、日榁学院大学ひむろがくいんだいがくはともかくとしても、他の多くの大学を巻き込んだスキャンダルに発展するかどうかは、本当にぎりぎりのけだ。始めた以上、迅速に、徹底的に動くだけだった。


「連中の拠点は、都内の大学って大学に散在してる。俺も他の捜査官そうさかんと連携して、片っぱしから……」


「それでは一手、遅れるだろう」


 低く落ち着いた、それでいてつやのある声が、割って入った。


「この騒ぎは、吾輩わがはいの配下も無関係ではなくてな。四天王の現在位置を把握はあくしている。どうやら勇者も、同じところに運ばれてきたようだ。協力しよう」


 黄金色の目の黒猫が、三人の足元で、にやりと笑う。かえでが一人だけ、面食らった。


「おお、っと……ミツヒデか。おまえ、本当にしゃべれるんだな」


象徴詩しょうちょうしを原語でそらんじても良いぞ。ヴァレリーは美しい」


「言っている意味はわからんが、ありがたい。この際、猫の手も借りよう」


 なんとか平静をたもったらしいかえでに、ミツヒデが、つまらなそうに鼻を鳴らした。


「反応が薄いな。してみると、もう女神ホシ白状しゲロった後か」


「……その通りですが、下品な言葉ですね」


由緒正ゆいしょただしい警察の公用語だ」


「違うぞ」


 苦笑して、かえで慎一郎しんいちろうを見る。


「ヒカロアくん、だったな。情報交換と言うのも少し違うが、潤子じゅんこさんから大体のことは聞いている。アシャスくんのことも、ついでに、ミツヒデたちのこともな」


「ほら、慎一郎しんいちろう。女神のやることは、おおむね考えなしでしょう」


 あきれて嘆息たんそくするヒカロアに、ミツヒデも大きくうなずいて、潤子じゅんこが口をへの字に曲げた。


「それであなたは、自称女神の話を信じたのですか?」


「スケールが大きくて、いろいろ難しいところもあったけどね。でも、君とこうして話すのは、多分、初めてじゃないよな。だから信じることにした。現にミツヒデもしゃべったことだし、根拠が潤子じゅんこさんの話だけ、ってわけじゃないぞ」


 今度は潤子じゅんこが、勝ちほこったように胸を張って、ヒカロアが肩をすくめた。ミツヒデは、もう他人顔だ。


 そのミツヒデを、かえでが無造作に抱えた。


「少し太ったな? まあ、いい。心当たりに案内してくれ。総がかりは厚労こうろうに任せて、俺たちは別動隊に作戦変更だ」


「太ってなどいないが、案内は引き受けよう」


「よし。慎一郎しんいちろうくんは……」


 かえでが、少し考えるふりをした。


潤子じゅんこさんを頼む。いいか、君はここで……」


「ぼくも行きます!」


「だめだ。強行捜査に一般人は帯同たいどうさせられない。ここで待つんだ」


かえでさん!」


 大げさに首を横に振るかえでと、慎一郎しんいちろうの必死さに、隣にいた潤子じゅんこが吹き出した。可笑おかしそうに、口元を手で隠す。


「そういうところは、まだまだですね、慎一郎しんいちろう。言葉の通りなら、かえでさんがここまで来る必要がありませんよ。駄目猫だめねこの気まぐれは計算外、私だって、そこらに放り出しておけば良いのです」


「え……?」


「公務員は、建前たてまえを示すことも大切ですものね」


 潤子じゅんこの流し目に、かえでが人の悪い顔で笑う。


「絶対にだめだからな? 人っ子一人、猫の子一匹、だめだ。勝手についてきたら、承知しないぞ?」


 ミツヒデが、かえでの肩にするりと登る。大柄おおがらな背中と、大柄おおがらな黒猫が、慎一郎しんいちろうを待った。


 ヒカロアが、慎一郎しんいちろうに語りかけた。


「謝罪します、慎一郎しんいちろう


「ヒカロアさん……?」


撫子なでしこはああ見えて、しっかりした女性です。不埒者ふらちものにつけ入るすきを見せたのは、十中八九、アシャスでしょう。困ったものです」


 言葉ほど、声は軽くない。


「甘いと言うか、人がいと言うか、相手の身になって考えすぎると言うか……長所と表裏ですから、前世のままの最強の勇者であれば、やれやれで済ませられたのですが」


 慎一郎しんいちろうと同じ、焦燥しょうそうに満ちた声だった。それがはっきりと、慎一郎しんいちろうに伝わった。


「今は違います。恐らくアシャスの甘さが、あなたの婚約者を、危険な状況におちいらせてしまいました。そこの駄猫だねこの関係者も、なにやら不始末をしでかしたようですし……もう、まとめて謝罪します」


「そんな、他人行儀たにんぎょうぎはやめてください。ぼくたちは一緒です。撫子なでしこちゃんも、アシャスさんも」


 慎一郎しんいちろうは、やっと言葉にすることができた。百三十八億年の運命ではなく、ただ、この瞬間の意思だった。


 ヒカロアが、その意思にこたえた。


「力を貸します。そして、貸してください。必ず助けましょう」


「はい……っ! もちろんです!」


 慎一郎しんいちろうこたえて、こぶしを握りしめた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る